26.

新幹線に乗ってしばらくすると、さらりと赤い髪にくすぐられた。隣に座っている凛をちらりと横目で見上げると、瞼を閉じた凛が今にもこちらに寄りかかりそうな状態になっている。寝ちゃったのかな?顔を覗き込んでみれば、静かに規則正しい寝息をたてていた。寝顔は江ちゃんに似ているなぁ。いや、江ちゃんが凛に似てるのかな。一人でくすくす笑っていると、凛の向こう側に座る真琴くんが神妙な面持ちで窓の外を眺めていることに気がついた。自動販売機のところでふと見た表情に似ている。遙に会えてすっきりしているとばかり思っていたけれど、もしかしたら何か悩んでいることがあるのかもしれない。そんなことを考えて凝視してしまっていたからか、視線に気が付いたらしい真琴くんがくるりとこちらを向いた。

「あれ………凛、寝ちゃった?」
「うん。帰国してからあっちこっち移動してるから、疲れてるのかもね」
「着くまで寝かせておいてあげよっか」
「ふふ、そうだね」

そうだ、せっかくだし写真にでも収めておこう。芽生えた悪戯心に逆らうことなくスマホを取り出した。メッセージの通知は特に来ていない。

「茅はさ、」

カシャ、とスマホのシャッター音とほぼ同時くらいのタイミングで真琴くんに名前を呼ばれる。うん?と撮影した写真を確認しながら返事をする。くそう、さすが江ちゃんの兄。顔が整っている。

「今、どこを目指してるのか、聞いてもいい?」

真面目さを帯びた声にぱっと顔を上げる。ぱちぱちと数回瞬きをしてから質問を飲み込んだ。どこを、というのは将来を指し示しているんだろうか。

「うーん……真琴くんみたいに子どもたちに夢を与えるのも素敵だと思うけど、大きな舞台を夢に掲げてる選手を、夢を叶える場所へ連れていく手伝いのできる場所にいたいと思ってるよ。実業団のコーチスタッフか、大学や高校のコーチとか!」
「……はっきりとはまだ決まってない感じ?」
「ええと、そうだなぁ………新しいことがしたくなったらまた一から勉強し直せばいいだけだし、何にでもなれるかなぁって!」

まだまだ若いですから!さっきも言ったばかりな気がする台詞をふふんと自慢げに言えば、真琴くんは一瞬きょとんとしてから、少しだけ俯くように視線を下げた。

「最近、たまに思うんだ。ハルや、今教えてる子どもたち………選手にもっと出来ることがあるんじゃないかって。何か出来ないかなって」
「出来ること……」

そこでふと思い出す。もうすぐ真琴くんがバイトしてるスイミングクラブの子の大会があるって、昨日言ってたっけ。最近の遙の様子が分からなかったこともあるし、もしかしたら、もっと選手自身の手助けをしたいって考えているのかな。

「私たちにはまだまだ時間があるけど、選手が選手でいられる時間には限りがあるから。真琴くんならきっと、その時間を大切にしてあげられると思うよ」

思わずふふっと笑みが溢れてしまう。東コーチに言われたことも、少なからず気にしているのかもしれない。私も、ほんのちょっとだけ気にはなっている。真琴くんらしいなぁ、と今までの思い出に少し浸っていると。

「いつもかっこいいな、茅は」
「かっこいい?」
「うん。かっこいいよ」

ふふっと微笑む真琴くんに、今度は私がきょとんとする番だった。かっこいいなんて、陸上をしているときはよく言われていたけど、こんなふうに言われたことはない。言葉の詳細は分からないけど、とても褒められた気分だ。にへにへとだらしなく笑っていると、手に持ったままのスマホが震えた。迷わずに画面を確認すると。

"練習終わって、これから日和と僕の家でご飯"

メッセージの差出人は郁ちゃんだった。びくっ!と分かりやすく肩が飛ぶ。今度は別の意味で顔がにやけていくのが分かった。

(…………うーん、どうしよう。どうしよう、かなぁ)

困惑の文字が頭の中を悶々と駆け巡る。このまま気づかないふりも知らん顔も貫き通せる気がしない。ふぅー…と深く一息、もやもやを吐き出すように息を吐く。落ち着け。落ち着きたまえ瀬戸茅。

「………もしかしたらなんだけど、茅も最近いろいろ考えてる?」
「へっ?」

声をかけられたことで頭の中がぱっとクリアになる。もちろん声をかけてくれたのは真琴くんだ。

「いつも俺やハルのこと、一歩引いて見ててくれるから。茅の大人な部分に甘えちゃってることも結構あるんだけど、この前からちょっと、たまに難しい顔してる」
「お、大人……!?そんな、真琴くんに比べたら全然だよ!」
「そんなことないよ?俺もハルも、頼りにしてるんだ」

今日の真琴くんはなんだかやけに褒めてくれる。嬉しいのだけれど、それに喜んでいる余裕が今は少し足りない。だって難しい顔の心当たりなら、まさに現在進行形で、あるところです。

「あ……あの、ね、真琴くん」
「うん」
「全然違う話なんだけど、聞いてくれる?」
「ふふ、もちろん」

自分で言うのもあれだけど、珍しく自信なさげな、小さな声が出たと思う。

「その……あっ!真琴くんって今、気になる人とか、いる?」

何から話して、どこまで言えばいいのかが分からない。ひとまず話の流れを、と思って出た言葉がこれだった。まさかこうゆう話をされると思わなかったのか、真琴くんは少し目を丸くしていたけど、すぐにいつものように優しく目元を下げる。

「いないよ」
「そ、そっか!……そっ、かぁ」
「茅はいるんだ?気になる人」
「あ、う、うぐ……!」
「さすがにもうハルのことじゃ無さそうだね」

言葉にならない声が出ていく。あからさまに動揺してるのがバレてしまう。いや、もうバレているに違いない。なんせ相手は真琴くんだ。遙ほど心の声は読まれないにしても、私だってもう長い付き合いなんだから、遠回しにあれこれ言ったって意味はない。

「………ハルちゃんのときみたいに、特別な何かがあったわけじゃないのに、特別に思うって、変、なのかな」

心の中にあるものを曝け出す。込み上げる羞恥心のせいで真琴くんの顔をまともに見られない。

「そうやって考える時点で、答えはもう決まってるんじゃない?」
「う、うあ」

見られないけど、真琴くんの声が優しくて、ほっとする。そう、なのかもしれない。言葉を発するたびに、何かを言われるたびに、気がついてしまう。かもしれないじゃないことにも。答えはもうとっくに決まってて、私は真琴くんに背中を押して欲しいだけなんだ。肯定してほしいだけなんだ。

「ずるくてすみません……」
「えっ、何が?」
「い、いえ、ナンデモ……」

熱くなるほっぺたを抑えてなんとか冷まそうと試みた。もちろんあまり意味はなく、真琴くんはそんな私の様子を優しく笑いながらも、穏やかなトーンで続けてくれる。

「特別な日もそうじゃない日も、一緒に過ごしたいと思うから、特別なんじゃないかな」
「………うん」
「それに茅は、ハルのことはみんながいるから大丈夫だって見守っていられるけど、郁弥のことになるとじっとしていられないからさ」

本当にもう、真琴くんの言う通りだ。私は遙のことはみんながいれば大抵のことはなんとかなるって思ってるけど、郁ちゃんのことは、ん?……………あれ?

「うえっ!?なっ、なんで、わ、わたし!郁ちゃんのことなんて、言ってなっ、」
「違った?」
「っ、っ、っ!ち……………が、いません」

語尾がどんどん小さくなっていく。恥ずかしくて死にそうだ。凛が寝ててくれて本当に良かった。ちらりと確認してみても、やはりその瞼は閉ざされている。本当に良かった。こんな話を何人もの友達に聞かれたらパニックになってしまう。もう若干なってはいるけれども。むしろ真琴くんが落ち着いて聞いてくれているのが不自然なくらいだ。

「…………真琴くん、驚かないんだね」
「茅が郁弥のこと好きだなんて、今に始まったことじゃないだろ?」


「桐嶋くん、笑うとすごく可愛いね!」

言われた言葉に、はっとして、あの日のことを思い出す。言われてみれば確かにそうだ。特別な何かがあったわけじゃないなんて言ったけど、郁ちゃんの隣で過ごした中一の一年間は、私にとってずっと特別なもので、ずっと郁ちゃんのことが、ほかの男の子よりも特別大好きだった。郁ちゃんが初めて笑ってくれたあの日から、郁ちゃんはずっと特別だった。正直に言うと告白されたことがないわけではない。遙のことが好きだった間は確かに断る理由があったけれど、そうじゃないときは部活に忙しいからなぁ、と言って断り続けていた。彼氏が出来ないと言いながら、誰とも付き合う気さえ、そもそも無かった。きっとずっと、忘れられなかったから。郁ちゃん以上に、特別だと思える人なんていないって、思っていたのかもしれない。なんかもう私の"かもしれない"は、自分ですら信用しがたい。

「……真琴くんの言うとおりだなぁ」

ほっぺたはまだ熱いままだけど、いつもみたいにへらりと笑えば、真琴くんはいっとう優しく「応援するよ」と口元を緩めてくれた。返事、なんて返そう。メッセージ画面を開いて内容を考えていると、とくとくと心臓がちょっとだけ速くなっているのに気がついてしまう。もう気づいてないふりは、とてもじゃないけど出来そうになかった。



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