23.

「ゲーム………」
「だろうと思った」

山崎くんがぼそりと溢す。私を含めた三人の視線の先では郁ちゃんと凛、遠野くんと椎名くんが四人で肩を並べてレースゲームで対戦しており、座席の背もたれの向こうからは楽しそうな声が聞こえてくる。

「ねえ宗介、肩の調子どう?」

先ほどまで遠野くんが可愛いとかどうとか話していた貴澄くんが控えめなトーンで山崎くんに尋ねる。

「手術した。経過も順調だ」
「! じゃあまた、泳げるんだね!」

山崎くんの言葉に貴澄くんの目がきらりと明るく輝いた。貴澄くんの隣で聞いていた私も心の中で密かに喜ぶ。地方大会も見ていたし、遙や真琴から話も聞いていたから、気になってはいたんだ。一度区切りをつけた気持ちをもう一度見つめ直して、競泳を続けると決意するなんて生半可な気持ちで出来ることじゃない。山崎くんはすごいなぁ、と改めて感じる。しばらくはリハビリだ、また一緒に泳げるといいね、誰かのために手術決めたわけじゃねえから、分かってるよ、という二人の仲の良さが窺えるやり取りを見守っていると思わずふふふっと笑い声が漏れてしまった。

「なんだ?」

それを拾ったのは山崎くんだった。慌てて口元を隠すが、もちろんもう遅い。

「あ、ご、ごめんね!だから凛がよく笑うんだなぁと思って」

大きな背もたれのせいで今はその表情を確認することは出来ないけど、賑やかな声はまだ聞こえてきている。凛が座っている席を見てへらりとしていると「そっちは、」と声がした。

「留学してる友達には会えたのか?」

声の主は山崎くんで、顔を上げるとそう言われた。あの話を覚えていてくれたんだなぁ、と穏やかな気持ちに包まれて、へらりと笑ってみせる。さっきの手術の話といい、その後の貴澄くんとの話といい、やっぱり山崎くんには尊敬の念を抱かざるを得ない。

「すっごく楽しそうだよ、今も!それに、凛の良いライバルになってるみたい」

もう一度レースゲームをするみんなのほうへ目を向ける。凛の隣には件の友達がいた。手を伸ばせば、声をかければ、届く距離に。

「そいつは楽しみだな」
「うん!ありがとう、山崎くん!」

ふっと表情を崩してくれる山崎くん。そのやりとりは記憶の中の会話と被った気がした。

「宗介でいい。くん、もいらねえ」

そう思ったけれど、言葉の続きは記憶の中と違うものだった。隣の貴澄くんがくすくすと笑い出したので、せっかく崩れた山崎くんが険しい顔で貴澄くんを睨みつける。そんなことはお構いなく口を開いた。

「ありがとう、そ、そっ、宗介!」

まずい、呼ぶのに気合いを入れすぎた。羞恥心から口元を抑えてると「何どもってんだよ」と宗介がはにかむから、私もおかしくなってへらりと笑った。


そのあとは全日本の話をしたり、夏休みが明けてからの合同学園祭の話をしていたら時間はすぐに過ぎていき、ゲームをしていた四人が戻ってきた。終わってからも郁ちゃんと凛はなんだかんだと噛みつきあっていたので、どっちが勝ったのかはよく分からない。

「じゃあ俺たちはそろそろ帰るか」
「おう」
「宗介は東京でどうしてるの?寝るとことか」
「今はリハビリ病院が提携してる施設に泊まってる」
「ほー、そんなものが!」

ゲームセンターの外へ出ると、辺りは薄暗く、街灯がぽつぽつと点灯していた。凛と宗介の会話に入り込むと、凛が先ほどのように眉を顰めてこちらを見る。

「…………"宗介"?」
「うん!宗介がそう呼んでいいよって!」
「へーえ?」
「なんだよ。なんでもいいだろ、呼び方なんて」
「まだ何も言ってねえだろ」

挑発するような目をする凛から面倒くさそうに視線を外す宗介。きっと昔からこんな感じなんだろう。私は幼馴染とかいないから羨ましいなぁ、と笑ってみていると、また郁ちゃんと視線が絡み合った。「僕たちはどうする?」と貴澄くん。「飯でも食ってくか?」と椎名くん。二人が相談をはじめる傍で、さっきと同じようにへろりと笑ってみせたけど、またすぐに逸らされてしまった。………やっぱり何か、怒らせてしまったのだろうか。しゅん、と気持ちが沈むのが分かる。せっかく久しぶりに会えて、まだそんなに話もしていないのに。ひとまずみんな駅へ向かおうと言うことになったそうなので、一番後ろをとぼとぼと歩く。すると前を歩いていた凛が振り返り、少しずつ私に歩幅を合わせて隣を歩いてくれた。なんだか難しい顔をしている。

「ハルとは連絡取ってるか?」
「ああー……」

凛の言葉が何を尋ねたいのか、すぐに勘づいてしまう。それとなく二人とも歩くスピードを下げて、談笑しているみんなと距離を置いてから続きを話す。

「連絡取れないでしょ?私も取れてないよ」
「なんだよ。相変わらず放任主義だな。心配じゃねえのかよ」
「放任主義って」

私は母親か。いや、遙のリアルご両親もかなり放任主義ではあるけれども。

「凛は心配なんだ?相変わらず優しいなぁ」
「っな……そ、そんな話は今してねえよ」
「まあまあそんなに照れてなくても」
「照れてねえっつうの!」

強めに反論する凛の声に離れて前を歩くみんなの輪の中から、宗介や貴澄くんが振り返る。しまった、という顔をする凛がおかしくてけらけらと笑えば本日三度目のチョップが降ってきた。いたぁ!と声を漏らしながらぶたれた頭に手を置くと、今度は貴澄くんが「またやってるよ」とけらけら笑っていた。くそう、痛い。私も貴澄くんに笑われたし、おあいこだ。話を戻そう。

「心配だよ。心配だけど、きっと大丈夫だよ。遙はみんながいれば大抵のことはなんとかなるから」

たはは、とあっけらかんとそう言ってのけた。今までだってそうだったんだから、今回だってきっと大丈夫。凛にもきっと伝わるはずだ。そう思って見上げた先の凛は、一瞬目を見張ったかと思えば、すぐに何故だか不服そうな顔をしはじめる。あれ?と首を傾げると、これまた不服そうに口を開いた。

「ハルにとって、その"みんな"にお前だって入ってんだろ」

今度は私が目を見開く番になった。こちらもそれは一瞬で、すぐに穏やかな気持ちになる。

「そうだったらいいなぁ」
「言っとくけどハルだけじゃねえぞ。お前を仲間だって認識してんのは」
「………そっかぁ、へへ、うへへ、優しいじゃないか凛くんよ」
「うっせえな。変な笑い方すんじゃねえ」

今度はチョップではなく、ぺしりと肩のあたりを軽くはたかれる。痛くはないが暴力的なことには変わりない。もちろんそれが心を許している証だとは重々承知してはいる。

「そういえば明日真琴と出かける予定だけど、お前も来るか?」
「明日はバイトなんだよね。真琴くんが明日も空いてるか聞いてきた理由は凛だったのかー」
「バイトじゃしょうがねえな。今もハルと真琴と走ったりしてんのか?岩鳶にいた頃はあいつらのランニングに付き合ったりしてたろ」
「ううん、こっちに来てからは全然だよ。定期的に一人で走るようにはしてるけど」
「なら今は俺のほうが速いかもな」
「それはどうかなぁ!陸の上なら負けませんよ!」
「じゃあ勝負だな、今度」
「その前に全日本だね」
「ああ。全日本ではハルに勝ってやる」
「遙だって負けないよ?」
「ハル贔屓も相変わらずかよ」
「当然!なんたって七瀬遙応援団長だからね!」

えっへん!と効果音がつきそうなくらいに腕を組んで胸を張って言ってのける。岩鳶高校だけではなく、鮫柄学園水泳部にも浸透していたこの誇らしいあだ名を凛が知らないわけがない。呆れた顔をされたけれど、それに、と私は構わず言葉を続けた。

「ハルちゃんを"ただの人"から遠ざけたのは凛でしょう」

早くただの人になりたい、とぼんやりした瞳で無気力に言っていた遙はもうどこにもいない。天才は有限だが、努力は無限だと聞いたことがある。限りのある場所から遙を連れ出したのは、紛れもなく目の前にいる赤色の男の子だ。

「………最高の褒め言葉だぜ」

どこか切羽詰まったような、奮い立つような、力の入った声で凛が呟く。凛はきっと遙と泳げるのをすごく楽しみにしているはずだ。けど、それだけじゃない。次の全日本はそれだけじゃないんだよ、凛。

「ハルちゃんに負けないくらい、あの子もすごいからね」
「あの子?」

私の言葉に首を傾げる凛がおもしろくて、むふふー、と笑って誤魔化していると「じゃあここで解散だね〜」と歩みを止めた貴澄くんが言った。最寄りの駅に到着したようで、全日本も近いからか、先ほど相談していた晩ごはんの話は無くなっていたらしい。別れの挨拶もほどほどに凛と宗介とは駅で別れ、残ったみんなで電車に乗り込む。時間帯的に少し乗客が多く、座れそうにはなかった。私は貴澄くんと椎名くんとドア付近で立ってお喋りをしているけれど、郁ちゃんと遠野くんは座席前で吊革を持って話している。やっぱり目は、合わない。ここからなら私の家が一番近いこともあり、何駅分か揺られたのちにすぐに通い慣れた駅名がアナウンスされた。

「じゃあね茅」
「気をつけて帰れよ」
「うん!みんなも!」

電車が停止しきる前にお別れを言う。少し離れた場所の遠野くんにも声が届いたようで、手をひらりと軽く振ってくれた。

「気をつけてね。郁弥も、また練習で」
「うん。またね」

へ?と思ったときには扉が音を立てて開いていた。立ち止まっては迷惑だと無意識に進めた足で電車を降りて人の波から外れる。遠野くんの言葉のとおり、再び電車が走り出しても郁ちゃんは隣にいた。この間出かけたときの帰り道はまだ明るかったこともあり「いつも送ってもらわなくても大丈夫だよ!」と伝えて納得してくれていたはずなのに。

「送っていくよ。もう暗いし」



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