1.

忘れられない男の子がいる。

中学一年生のときに隣の席だった、繊細な雰囲気の男の子。クールな面持ちからは想像しがたいことに、お昼の時間になると教室の後ろで椎名くんたちと騒いでいるのものだから余計に目を引いた。隣の席だから毎朝欠かさずに「おはよう桐嶋くん!」と挨拶はしているものの、あちらから戸惑いがちに「………おはよ」と返ってくるだけで、それ以上もそれ以下の会話も無い。小五から同じクラスのエミちゃんには「人見知りなんじゃない?茅には分からない人種」と若干失礼なことを言われた。いつか桐嶋くんの笑った顔が見たいなぁ、と綺麗な後ろ髪に目を奪われながら思っていた。そんな日々。


「………なにこれ」

小テストの答え合わせで解答用紙を交換したときに小さく聞こえた声は、私の解答に対する疑問を口にしたわけではないようだった。

「何って、かにまろくんだよ?上手でしょ?」

彼の視線の先は解答欄でなく、私が用紙のはしっこに落書きしたゆるキャラのかにまろくんに向いている。ふふん、と自慢げに腕を組んで高らかに顔を上げてみた。てっきり呆れられるか、スルーされるか。そう思っていたのに、隣からはぷっと吹き出すのが聞こえた。

「ふふっ、はは、下手すぎない?言われなきゃ分かんないよ、これ」

静かに笑う桐嶋くんのまわりがキラキラして見えた。女優さんやモデルさん、いつも仲良くしてくれるエミちゃんアヤちゃんユイちゃん。みんな可愛くて見ているだけでもつい顔がにやけてしまうけど、桐嶋くんの笑顔はどこか違う。何が違うのか表現する言葉がすぐに出てこないけれど、とにかく、これは。

「桐嶋くん、笑うとすごく可愛いね!」
「は、はぁっ!?意味分かんないんだけど……か、可愛いとか、男に言わないでくれる?」
「ねえねえ郁弥くんって呼んでもいい?」
「いや会話の流れおかしいよね?」
「えー?うーん、あっ、そうだ。じゃあ郁ちゃんにしよう!」
「な、なんでそうなるんだよ!」

あ、今度は怒った顔。もっと表情筋固い人かと思ったのに。無意識に抱いていた偏見を捨ててみたら、桐嶋くん、もとい郁ちゃんは案外親しみやすい人だった。

その日を境に、タガが外れたように事あるごとに郁ちゃんに話しかけた。もっともっとたくさん笑った顔が見たい。朝の挨拶をして、昨日見たテレビの話、郁ちゃんが所属している水泳部のこと、私が所属してる陸上部のこと、仲良しのエミちゃんアヤちゃんのこと、将来の夢のこと、郁ちゃんがいつか世界を目指したいと思ってること。もちろん最初は警戒しているような顔をたくさんされたけど。話してくれるようになる話題が増えるたび、表情がほぐれるたび、郁ちゃんは水泳部のみんなと仲を深めていってるように感じた。

「茅は、よく喋るね」

しょっちゅう呆れた顔でそう言われた。もう私に話しかけられることに戸惑っている様子はない。なんだかんだで私の話を嫌がらずに聞いてくれたし、はじめは「呼ぶ必要ある?」と曖昧に断られていた名前呼びも呼んでほしいと何度も何度もめげずに頼みこめば、十回目くらいには名前で呼んでくれるようになった。「郁ちゃんと話したいことがたくさんあるからかなぁ」へらへらしながらそう言えば、郁ちゃんは赤くなって焦りながら「ばっ、バカじゃないの!」と言っていた。

私は郁ちゃんが大好きになった。笑ったところも、照れ隠しに怒ったときに顔が赤くなるところも、全部全部、可愛くて大好きだ。


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「郁ちゃんおはよう!今日も暑いですなー」
「………おはよ」
「………郁ちゃん?」

今日も教室に行けばいつものように郁ちゃんがいて、返事はあったけど頬杖をついて窓の外を眺める郁ちゃんとは目が合わなかった。不審に思ってもう一度名前を呼んだみたけど反応はない。まるで仲良くなる前みたいだ。話しかけられるのがしんどいと訴えているように見えた。

「体調が悪かったら、無理しないでね」

腰掛けながらもう一言添える。ちらりと郁ちゃんを見るけどやっぱり目は合わない。顔をこちらに向けない。無理矢理にでも保健室に連れてくべき?それとも機嫌が悪いだけなのかな?うーん、と悩んでいると小さく小さく「……ありがと」と聞こえた。


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