14.

その後はメッセージに導かれるまま、遙の自宅近くの区民プールへと足を運ぶ。すれ違う子どもたちが「こんにちは!」と元気に挨拶してくれるのが可愛くて「うへへ、こんにちはぁ」とデレデレしながら挨拶を返す。怪しいおばさんだと思われないだろうか。すっかり癒されてしまったところでプールサイドにお邪魔すると、見慣れた後ろ姿が目に入った。

「やっぱり真琴くんだ!」
「茅?どうしたの?」
「なんか遙がここに来いって」

実際メッセージには来いと書いてあったわけではなく、私がそう勝手に解釈しただけなんだけれど。プールの中にいる遙より先に、真琴くんの隣に立つもう一人の人物が気になった。

「あ?七瀬の彼女か?」
「違いますよ。俺たちの中高の同級生で、ハルのことずっと応援してくれてるんです」
「なんだ、彼女じゃねぇのか」

なんで少し残念そうなんだ。代わりに答えてくれた真琴くんの腕をつついてさりげなく呼ぶ。質問をするより先に私が言いたいことを察してくれたらしい真琴くんは「ハルがコーチを頼んだ人だよ」と教えてくれた。コーチ?遙が?そこでようやく水の中にいる遙に目をやった。

「わあっ……!!」

口から歓声がこぼれ落ちる。遙の泳ぎに魅せられて胸をときめかせた回数はもう数えきれないほど。しかし今日はいつもと違った。

「すごい!すごいね遙!フリー以外もすっごく綺麗!」
「ふふ、そうだね」

子どもみたいはしゃぐ私に対して、真琴くんは蓮くんと蘭ちゃんを見ているような穏やかな笑顔を見せてくれる。フリーしか泳がない、と長いこと言い続けていた遙が、その信念を目の前で曲げようとしている。部活の練習なんかではフリー以外も泳いでるみたいだけど、あまりお目にかかったことはなく、大会ではフリーでしかエントリーしない。今は大学選手権を控えているのに、もしかしたら。


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「でもちょっと驚いた。まさかハルが自分からあんな練習を言い出したなんて」
「俺もまだ迷ってる。けど、郁弥のためだ」

三人で遙の自宅を目指して歩きながら話をする。時間も時間なので夕食を遙の家で食べようということになった。大学に入ってからもう何度もそんなことがあったので、別に珍しくはないのだけれど、私も真琴くんもバイトが増えたので少し久しぶりだ。

「そっかぁ、郁ちゃんのために新しいことに挑戦するのも、全部なんだって遙のフリーなんだね。それに全部、すっごく綺麗だったよ!バッタもブレもバックも!私、遙のフリー以外ってちゃんと見たの今日が初めてかも!あっ、なんだっけ、あれ、ええと」

迷ってると言いつつも決心したような顔をする遙に、素直な感想を興奮気味に述べる。確か高校二年のときに見た地方大会のときに遙か真琴くんが教えてくれた言葉があった。離れていても自分たちは仲間だと、それを表す言葉。

「" For the Team "だ!」
「………ふっ」
「ふふ、はは、茅ちょっと落ち着きなって」

目を見開いた遙が目尻をゆるりと下げて小さな笑い声を溢した。それに釣られるように真琴くんもくすくすと笑いはじめる。何故笑う。きょと、としているとひとしきり笑ったらしい真琴くんが口を開く。

「そういえば、ハルはどうして茅のこと呼んだの?」

言われてみれば確かにそうだ。いつもは私が見に行くね!と意気込んで勝手にさせてくれてる、という感じなのに、遙から呼ばれるのは珍しい。返事を待っていれば、遙は薄く口を開く。

「郁弥のことは茅のほうがよく分かってるだろ」
「………へ」
「あと、茅が元気になる方法、ほかに見つからなかった」

一言目を飲み込む前に二言目が耳に入ってくる。それは中学三年の夏、怪我で陸上を辞めることになった私に、当時隣の席だった遙がくれた言葉だった。驚いたのは真琴くんも同じだったようで、再び顔を見合わせる。
郁ちゃんから手紙が来ないことに悩んで、部活にのめり込んで、無理をして怪我をして、一時的とはいえ長い期間足の自由がなくなって、さらに進路の悩みが重なって、上手く笑うことも泣くことも出来なくなった私を海に連れてきてくれたのは遙だった。真琴くんと一緒に、松葉杖の私に歩幅を合わせながら、ゆっくりと。そこで水泳部の辞めたはずの遙が綺麗な泳ぎを見せてくれて、それから言ったんだ。


「一昨年の夏、俺が泳ぐところをまた見たいって言ってただろ」

「瀬戸が元気になる方法、ほかに見つからなかった」

「泣きたいときは泣けばいい。それで、もう泣くな」

「お前は強い」



ずっと泣けなかった私を救いあげてくれたのは遙だった。言われた言葉に嬉しさやら知らんぷりし続けた寂しさやらが溢れ出て、それが涙に変わって、しばらくその場でぼろぼろと泣き続けた私の頭を少し動揺しながら撫でてくれた。怪我をしてからも表情を変えなかった遙が私を心配して、元気づけてくれている。それが何よりも嬉しくて、何度も何度も「ありがとう」と言えば「別に。隣の席でずっと辛気くさい顔されるのが嫌だっただけだ」なんてぶっきらぼうに言われたけれど。中学一年のときに遙の泳ぎを魅せられたあとに芽生えたふわふわとした感情の正体にも気づいた日。大事な大事な、私の初恋。

頭で再生される思い出に少し浸る。もうあのときのような子どもじゃない。遙は自分に出来ることを探して前を向いている。私もこのままじゃいけない、後ろを向くのはもうやめよう。二人のことを信じて、胸を張って前を見なければ。

「うん、元気出た!遙が泳ぐと元気が出るよ、すっごく!だからいつもありがとう!ハルちゃん!」

暗い気持ちを深呼吸と一緒に吐き出してから、二人に笑顔を向ける。遙にどうか、伝わればいい。一緒に泳ぐ選手じゃなくたって、遙の泳ぎに魅せられて、笑顔になったり勇気をもらったりする人はたくさんいるんだよって。遙と一緒に泳いで不幸になる人なんて一人もいないんだ。

「よかった」

私の気持ちが届いたことなのか、それとも遙の気持ちが私に届いたことなのか、どちらに対して言われたのかは分からない。分からないけれど、柔らかく口元をあげる遙に、また救われる。今は大事な大事な、私の友達だ。

「あとちゃん付けはやめろ」
「あ、うん、ゴメンネ」



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