16 years old


『まだ渡してないの?!』

   一難高校正門前。修了式のときには咲いていなかった桜がひらひらと舞い落ちて、緑色に染まり始めている。
   意を決してここまで来たものの、最後の最後で勇気が持てずに立ち止まっていたところで友達から進捗を確認する電話が来た。スマホ越しの大きい声に耳がキーンとなったけど、それよりも言われた言葉のほうがよっぽどぐっさりと胸に刺さって、私にダメージを与えた。

『学校着いてからもう十分以上経ってんじゃん!』
「わ、分かってるよそんなことは…!でも、いざ、こう…行こうとすると足が全然動かないんだよ!」
『ナマエ、同じこと言ってバレンタイン渡しそびれたの忘れたの?』
「忘れてないけど…美味しく食べてくれたことには感謝してるけど…!」
『いや、うん。美味しかったけどさ。自分で言っちゃうとこ好きよ』

   はあ、と友達が溜め息を吐く。今日は四月一日。決してエイプリルフールの悪だくみをして春休み中の学校に来たわけではなく、同じクラスの潔世一くんが所属するサッカー部の練習があると聞いて、わざわざ制服に着替えてやって来た。そして今日は彼の誕生日である。となれば、私が学校へ来た理由なんて誰が聞いてもひとつしかないだろう。

「もう帰りたい…」
『帰ったらまたナマエの頑張りが無駄になっちゃうでしょ。チョコもきんつばも食べてあげられるけど、ナマエの気持ちを伝えられるのはナマエだけなんだからさ」
「うう……わ、分かった。行ってくる!」
『よし、よく言った!行ってこい!』

   友達に背を押され、通話を切ってからいざ校門をくぐった。一年通して通い慣れたはずなのに、こんなに緊張するのは先ほど話題に出たバレンタインぶりだ。あの日は結局弱気になって渡せないまま終わっちゃったけど、今日は絶対に失敗しない。誕生日プレゼントも潔くんが好きって言ってたきんつばにした。振られても振られなくても、形に残らないほうが重たくないと思ったから。
   震える足をなんとか進めてグラウンドのほうへ向かう。サッカー部、まだ練習中かな。もしそうだったら終わるまで待ってなくちゃいけないけど、普通にみんなで固まって部室から出てくるよね。どうやって潔くんだけに渡せばいいんだろう。いっそ帰宅の群れに飛び込んで渡すとか?ハードル高すぎない?どうにか都合の良く潔くんだけ一人で帰っててくれたりとか…しないよね。本日の主役だし。
   来たはいいけどノープランすぎて自分に呆れてきた。グラウンドが見えてきたけど、どうやら休憩中なのか端のほうに人が寄っている。潔くん、どこにいるんだろう。見つけたとしてもまだ練習中なら終わるまで待っていないと。そう思ったところで視界の端にある水道の向こう側から誰かがひょこっと顔を出した。

「あれ?ミョウジさん?」
「わっ!い、いっ、潔くん?!」

   潔くんだった。どうやらあっち側で顔を洗っていたらしい。真ん中が壁になっていて全然気がつかなかった。元々緊張していたのに思わぬサプライズ的な状況でますます心臓はより早くなる。しかもタオルで顔を拭ったあとに濡れた前髪を片手で掻きあげるから…!その仕草さえ反則すぎてさらに胸が苦しくなった。

「お、お疲れ様!休憩中?」
「そう。ミョウジさんも部活?……ん?ミョウジさんって部活入ってなかったよな?」
「いや、あの、そうじゃなくて…!今日はちょっと用事があって…」
「そうなんだ。ごめん、引き留めちゃって。じゃあまた始業式で!」
「えっ、ま、待って潔くん!」

   グラウンドのほうへ方向転換して去ろうとする潔くんを慌てて呼び止める。「ん?」と言いながら足を止めて再びこっちを向いてくれたことに、安堵はできなかった。むしろ、千載一遇のチャンスに身体がかちこちに固くなる。潔くんに紙袋を差し出すその腕は、自分でもびっくりするくらいに震えていた。

「こ…これ!潔くんに渡しにきたの!」
「え…お、俺に…わざわざ…?」
「今日お誕生日だって、前に言ってたし…ええと、ほら、潔くんにはいつもお世話になってるし!」
「いや、いやいや全然!むしろ俺のほうがミョウジさんに勉強教えてもらったりで世話になってるから!」

   あたふたした様子で謙虚な姿勢を見せながらも差し出した紙袋を受け取ってくれた。「見ていい?」と聞かれてこくこくと頷く。すでに嬉しそうにキラキラしている潔くんの目が、中身を確認したことでもっと輝いたように見えた。

「お、きんつば!しかも駅前のやつだ!俺ここの特に好きなんだよな」
「それも、前に聞いたから」
「覚えててくれてたの?うわ、超嬉しい!ありがとうミョウジさん」
「う、ううん!お誕生日おめでとう、潔くん…!」

   普段は比較的控えめな潔くんのテンションがいつもより高い。本当に喜んでくれてるのが伝わってきて胸はきゅんきゅんとなりっぱなしだ。来てよかった。今度こそ安心感が訪れてきてこっそり一息吐く。そこでふと、思ってしまった。
   潔くん、私がどうして潔くんの誕生日を祝いに来たのか聞いてくれたりしないのかな。なんでかとか、考えたりしないのかな。人任せな自分に喝を入れるべく、ぎゅっと手を握る。そして口を開いた。

「私、あの、潔くんが、ね」
「ん?」
「チームのためにいろいろ考えてプレーしてたり、みんなこと考えて大事にサッカーしてたりするのが、好きで、あの……好き、です!」

   い、言ってしまった!だって、しょうがないじゃん。今度いつ二人きりになれるか分かんないし、今すごくいい雰囲気なんじゃないかなって思ったし、喜んでる潔くんめちゃくちゃ可愛いし!
   自分で自分に言い訳を並べ立てる。その反面でよくやった!よく言った!と自画自賛をする。目を合わせて言うので精一杯で、言い終わってすぐに俯いてしまったから、潔くんが今どんな顔をしているのかは見えない。何も、言われない。おそるおそる目線を上げてぱちりと絡み合った視線の先で、見えたものに目を見開いた。

「そ、っか」

   潔くんの表情が、途端に曇った。え?あれ?……私、もしかして、気に触ること言っちゃったのかな。上がっていた体温がどんどんどんどん下がっていく。曇ったその表情は少し俯きがちになってしまった。
   今度は私が何も言えなくなって立ち尽くしていると「おーい!潔どこだー?」多田くんの声が遠くから聞こえてきて、はっとした顔の潔くんが顔を上げた。

「ミョウジさんありがとう。家帰ったら食うよ」
「う、うん…召し上がれ!」
「じゃあまた始業式で」
「あっ……部活…頑張って、ね…」

   今度こそ走って去ってしまった潔くんを見送るために振った手が、行き場をなくして宙を浮いたままになる。最後の一言は聞こえたのか聞こえてないのかも分からないくらいに小さくなってしまった。
   目的は、達成出来たと思う。誕生日プレゼントってことも伝えたし、勢い余って告白までしてしまった。万が一に振られる覚悟も一応してきたし、淡い期待だって抱いてここに立った。なのに、手と同じように、気持ちが宙ぶらりんになっている。

「………あれ?」

   私って、今、振られたんだよね……?多分……?



26 years old


「あのときの世一、超絶微妙な顔してたもんね〜」

   お祝いで持ってきたシャンパンに口をつけながら言うと、その顔は曇ってしまった。けど理由があのときとは全く違う意味を持っている。

「……あんときは、サッカーで頭がいっぱいで」
「今"も"サッカーで頭いっぱいでしょ?」
「だから悪かったって何回も…。ごめん」
「ふふ、謝ってほしいわけじゃないよ。私もあの頃は世一のことがよく分かってなかったってことだし。分かってなくても、好きだったから」
「過去形で言うのやめろよ…」
「もー、過去形だったらわざわざ海を渡って来たりしないよ」

   今日訪れたのは、桜が舞い落ちる春休みの一難高校……ではなく。日本よりも幾分か気温の低い土地、ドイツのとあるアパート。
   本当は世一が帰ってくる予定になっていたけど、練習日程が調整された都合で急遽キャンセルになってしまった。『本っっっ当にごめん!!』と申し訳なさ全開で謝ってきた世一が数秒後に驚き全開で『はっ?!』とさらに大きい声を出して、大笑いしたのはまだ記憶に新しい。

「今はあの頃より分かってるつもりだよ。世界一のエゴイストさん?」
「まあ、確かに。今ここにいるくらいだもんな」

   呆れ半分で世一がははっと笑ってシャンパンを口につける。使っているお揃いのグラスは、お酒が飲めるようになったら一緒に使おうと買ったものだ。このグラスとの付き合いももう年単位になる。
   ちなみに謝ってきた世一に対しての返事は『大丈夫だよ。もうドイツ行きの便取ってあるから』だった。

『はっ?!いつ取ったの?!』
『世一と約束したときかな』
『最初っからじゃん…!!』

   大笑いした。だって世一はサッカーと私を天秤にかけない。いつでも彼の中心はサッカーで出来ている。あの日、世一の顔が曇った理由も私の告白を曖昧にしてしまった理由も、全部全部そこにあった。
   一難高校サッカー部の教訓は『ワンフォーオール、オールフォーワン』一人はみんなのために。みんなは一人のために。仲間を思い、チームの勝利のために日々練習に励み、プレーをする。控えめながらも気配りが上手で親しみやすい潔くんが好きだった。
   でもそれは、潔くんが本当に求めていた潔世一ではなかったんだと、あとからテレビ越しに知った。好きって言ってくれた部分が本当に求めていた自分じゃない部分だったら、困っちゃうよね。それでも私は初めて目の当たりにした彼が求めた本当のストライカーの姿に、懲りずに再び恋をした。

『……休暇の間にミョウジさんに会えたら、言おうと思ってたことがあって』

   試合後から数日後。多田くんに会った帰りだという潔くんにばったり会って、逃げようとしたところで腕を掴まれた。その手は、私が紙袋を差し出したときと同じくらい震えていて、顔も強張っていて、緊張しているんだってことが嫌でも伝わってきた。
   それだけじゃない。言葉でちゃんと伝えてくれる『ごめん』も『ミョウジさんが好きって言ってくれた俺じゃないかもしれないけど』も『俺も本当はずっと前から』も『好き』も。紡ぐ顔には一点の曇りもなくて、全てがまっすぐだった。
   だから私は、潔くんにもう一度恋をしてるんだって伝えられた。その手を取ることが出来た。あの日の告白がなければ世一とこうして過ごす未来は訪れなかったかもしれない。後悔なんてひとつもしてない。だから本当にもう、謝らなくてもいいのになあ。
   そう思いながらくすっと笑ってシャンパンを一口含む。世一と二人で初めて飲んだこのシャンパンも、もうすっかり口に馴染むようになった。

「ナマエ。ここまで来てくれてありがとな」
「どういたしまして。お誕生日おめでとう、世一」
「……俺さ、今年の誕生日にナマエに会えたら、言おうと思ってたことがあって」

   グラスを置いて、真剣な顔をする世一を見てきょとんとする。次の言葉が予想できなくてなんだろう?と首を傾げると、両手で空いている左手を包まれた。
   まさかその言葉を言う日をエイプリルフールでもある自分の誕生日に選ぶあたり、もしかしたら私はまだこのエゴイストのことを理解しきれていないのかもしれない。


Happy Birthday Yoichi Isagi !!!



- ナノ -