※致してないけど注意です


「ま、まって、そうすけ」

   ベッドの上で向き合った鍛え上げられた胸板に手のひらを当てて制止をかけた。布地を一切纏っていない、初めて直接触れるたくましい身体に少しだけ手が震えた。
   宗介が本気になれば私の腕なんかすぐに押し返せるだろうけど、そんなことは絶対にしない。言葉の通りにぴたりと止まってくれた宗介がじっとこちらを見下ろす。ただそれだけなのに、ただでさえ穏やかでいられない心臓が今にもはちきれそうなくらいに暴れ出した。

「……怖いか」

   宗介の声はいつも優しい。けれど少し間を置いてから尋ねてくれるその声はいつもよりさらに優しさを増していた。慌てて首を横に振って聞かれたことを否定する。少しだけ宗介の目元が安心したように下がった。

「そうじゃ、なくて……ええと…えっと、ね」

   しかし、言い淀んだせいですぐに心配そうな表情に戻ってしまった。ああもう、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。宗介の胸に当てていた両手を戻し、ボタンの外れたワンピースの襟を掴んで真ん中に寄せると露わになっていた下着が少しだけ隠れた。
   もちろんここまでしたのは宗介で、着ていたTシャツを自ら脱ぎ去ってベッドの下へ放ったのも宗介だ。大学に入ってから一人暮らしをしている私の部屋。閉め切られたカーテンから差し込む少し明るいぼんやりとした光。これから何をしようとしているのか、宗介から目を逸らしてもあちこちからその情報が入ってきて、きゅっと身体が萎縮した。

「怖えんだろ。無理しなくていい」
「ちがうよ!そうじゃ、なくて…だから、その…」

   この状況で怖がっていることを疑われるのも無理はないだろう。ちっとも怖くないと言ったらもちろん嘘になるけど、私が宗介を止める理由の大部分はもっとほかのことだった。こんなことを言ったら幻滅されちゃうかもしれない。そんな心配が頭を過ぎる。

「……あ、あの、ね」

   心配は尽きないけど、宗介にずっと眉をひそめられるのも、誤解されるのも嫌だ。意を決しておそるおそる口を開いた。

「私ね、宗介と付き合うようになってからすごくご飯が美味しいの」
「……は?」
「前よりたくさん食べるようになったの!なんでか分かる!?」
「…んなこと急に言われても分かんねえよ」
「幸せ太りって言うんだって!恋をするとホルモンの分泌に変化が起きて、痩せにくく太りやすくなること!心に余裕が出来るから食事が付き合う前より美味しく感じて、食べ過ぎてることに気づかなくなること!」

   宗介がリハビリ頑張ってる間もほとんど毎日お菓子とか食べてたし、最近暑くなってきたからアイスが美味しくて一日に二つも食べちゃう日もあるし、宗介みたいに筋トレとかしてないから全然引き締まってなくて、とにかく普通体型で。
   一度吐き出しはじめたら止まらない口が、我ながらよく回る。むしろ普通よりちょっと丸いかも?柔らかいかも…?顎に手を当てて至極真面目にそうこぼしたとき、正面に座る宗介の肩が震えているのが視界の端に映った。

「……って!なんで笑うの!」
「ふっ……笑うなって方が無理だ」
「私は真剣に言ってるのに…!!」

   ガーン!と頭の中で音がした。私はこんなに真剣なのに笑うなんてひどい。そう訴えたのにもかかわらず、ますます声を出して笑い続ける宗介に軽く拳を押しつける。絶対痛くないはずなのに「痛えよ」と言う宗介は変わらずくしゃりと表情を崩したまま。無邪気に笑うの、ちょっとずるい。これじゃあ怒るよりも先にときめいてしまう。認めるのが悔しくてむっと顔に力を入れていると、頭に大きな手のひらがぽんと乗せられた。

「むくれるなよ。悪かったな」
「まだ笑ってるじゃんか…」
「仕方ねえだろ。そんなこと気にしてるなんて思わなかったんだよ」
「気にするよ!私はこんななのに宗介はどんどんかっこよくなっちゃうし!」
「…自分じゃよく分かんねえ」

   ただ夢に向かって前を向いて、そのために努力を積んできた結果が身体に現れている宗介にはよく分からなくて当然だろう。何言ってんだと言いたげな瞳にまた少しだけ落ち込む。でも、考えるのは仕方ないじゃないか。

「宗介のことが好きだから、宗介のこといっぱい考えちゃうんだよ」

   視線を落としながらぽつりとこぼす。このことをめちゃくちゃ悲観しているわけじゃないけど、気にするのは宗介のことが好きだからっていうのは分かってほしい。

「………」
「……宗介?」
「……分かったから、あんまり煽るな」

   返事がないことを不思議に思って顔を上げると、頬を少し赤色に染めた宗介が顔を逸らしながら、さっきまで私の頭に乗せていた手のひらで口元を覆っていた。こちらを向いている瞳の奥がなんだかぎらぎらしている。私がストップをかける前も、同じ目をしていた。

「えへへ、煽れてた?」
「…待ってほしいのかほしくねえのかどっちだ」
「宗介が気にならないなら、いいよ」
「なるわけねえだろ」
「そうなの?」
「……そもそも、ナマエじゃなきゃ触りてえなんて思わねえよ」

   予想外すぎる直接的な表現に身体の至るところがきゅうんと切なくなった。とほぼ同時に、再び身体が強張る。二人きりの静かな室内で見逃してもらえるわけもなく、宗介はまた少しだけ眉をひそめた。

「やっぱ怖いんだろ」
「まあ……少しだけ」
「…無理に最後までしねえから、安心しろ」
「ふふ、大丈夫。本当に、ちょっとだけだよ」

   痛いとは既に済ませている友人たちからよく聞く。どれほどの痛みか分かっていないから舐めてるというのも無くはないけど、それよりも、宗介に触れてほしい気持ちの方が怖いという気持ちより何倍も強い。
   両手を伸ばして、宗介、と控えめに名前を呼ぶ。ずっと片手で抑えたままだったワンピースがするりとはだけて再び胸元が外気に触れる。一瞬だけ何かを堪えるように眉間に皺を寄せたのが見えたけど、すぐにそれは消え去った。

「ナマエ」

   優しかった声がさらにとびきり優しくなる。無意識にそうなっているのか、それとも意識的にそうしてくれているのか。宗介が無意識に優しい声を私に向けてくれてるでも、優しくしたいと意図してくれてるでも、どっちでも、すごく嬉しい。
   大きな手のひらが頬に添えられると宗介の顔がゆっくり近づいてくる。少しずつ加速しはじめる心拍数を背景にして、身を委ねるようにそっと目を伏せた。


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