※合同文化祭ネタ
※前半は遙出てきません



「りーーんくーーん!そーーすけくーーん!」

   郁弥と一戦を交えた凛と、その間に旭にクレープを作ってもらった宗介の背後から大きな声が飛んできた。文化祭の喧騒の中でも少し目立ったその声に反応して、呼ばれた本人以外の何人かが振り返る。凛と宗介の前にいた郁弥、旭、貴澄も例外ではなく、目の前にいる二人が呼ばれたことに気がついて自然とそちらへ目を向けた。

「あ、ナマエちゃんだ」
「"ナマエちゃん"?」
「誰?」

   駆け寄ってきている女の子はどうやら貴澄も知っている人物らしい。姿を認めるなり、ぱっと表情を明るくさせて喜んでいる。
   一方、顔を見ても誰だか分からない旭とは郁弥は二人揃って首を傾げた。誰?という郁弥の質問にどこから答えるのが面白いかと考えながら「んーとねえ、」と貴澄がこぼしたとき、件の彼女は側まで来て凛と宗介の前で足を止めた。

「久しぶりだね!元気だった?」
「おう。ナマエも元気そうだな」
「久しぶりって、この前全日本のとき会っただろ」
「うわあ、凛くん可愛くな〜い」
「可愛くねえな」
「お前に可愛がられたかねえよ」

   ナマエと呼ばれている女の子の発言に乗った宗介を呆れた様子で見る凛。久しぶり、という言葉が会話に含まれているにもかかわらず、久しぶりという雰囲気は一切出ていない。旭と郁弥はますます不思議そうに顔を見合わせた。

「ナマエちゃん久しぶり〜」
「わっ!貴澄くん!?」

   声をかけられてようやく貴澄の存在に気がついたらしい。ただでさえ嬉しそうにきらきらしていた瞳がより一層輝きを増した。忙しなくあちこちへ動く瞳はテントの文字や旭や郁弥を映してから貴澄へと戻っていく。

「貴澄くんクレープ屋さんなんだ!お店もお洋服もすっごくかわいいよ!」
「ふふ、ありがとう。ナマエちゃんも可愛いね。おめかししてきたの?」
「えっ!?」

   突然驚いた声を上げる彼女に注目する。たちまち頬を赤らめていく彼女はばっとその頬を両手で隠しているが、もうこの場にいる全員がその様子に気がついていた。

「う、うん。だって、久しぶりに、あ、会えるから」

   さっきまで小さな子どもみたいにはしゃいでいたのが嘘のように、突然しおらしくもじもじしはじめる彼女。貴澄は「そっかあ」とにこにこしながら頷き、凛は何故だか呆れたような視線を送っている。いつの間にかクレープをたいらげていた宗介は興味なさげにスマホを触りはじめた。
   すっかり置いてけぼりの旭と郁弥は何度目かの疑問を抱く。彼女の発言は、確実に特定の誰かを意識していた。この感じははもしかして、もしかしたら。

「ナマエ、貴澄のクレープ食うか?奢ってやるよ」
「えっ、い、いいよ!ちゃんとお金持ってるもん!」
「ここまで来んの大変だったろ」
「それは、まあ、うん。少し……」
「いいから奢られとけよ。どれ食いたい?」
「え、ええとね、じゃあ貴澄くんのおすすめで!」
「はあーい。じゃあ凛、四百円ね」
「おう」

   何食わぬ顔で慣れたように彼女を甘やかす凛。そんな凛に嬉しそうにお礼を言う彼女。相変わらずスマホを眺めている宗介。貴澄はお金を受け取ってクレープの準備をはじめる。状況から見て、想像できる答えをひとつに絞った。

「………凛の彼女?」

   先ほど浮かんだ"もしかしたら"を郁弥がこっそり呟くと、スマホを触っていた宗介が反応して顔を上げる。

「"凛の"ではねえな」
「じゃあ貴澄か?あいつ今は彼女いねえって言ってた気すんだけどな」
「貴澄でもねえ。ついでに俺でもねえからな」

   質問を先回りして否定する宗介が続けて「幼馴染。凛の妹と同い年」と簡潔的に紹介をしてくれた。さらに貴澄が作業をしながら「佐野中で水泳部だったんだよ。来年から鷹大入るから、今日は見にきたんだって」と付け足してくれる。
   それならこの三人と仲良く会話しているのも、岩鳶の子がわざわざ足を運んでいるのにも頷ける。納得した旭と郁弥ではあったが、さっきの宗介の言い方に妙な引っ掛かりを感じていた。

「貴澄。迎え来るらしいから、それまでナマエのこと頼む」
「え?宗介、連絡してくれてたの?」
「本人に直接ってわけじゃねえけどな」
「あー、なるほどねえ。分かったよ」
「ナマエは目離したらすぐどっか行っちまうからな」
「凛くん、私もう子どもじゃないんだよ」
「俺からしたらまだまだお子様だっつーの」
「ひとつしか違わないでしょ!」
「はいはい。そのへんで、ね?」

   にこにこしてると思いきや顔をむすりとさせ、むすりとさせたかと思えば、登場したクレープを見て目をきらきらさせる。「わあーい!貴澄くんありがとう!」と受け取る頃にはすっかり機嫌は直したようで、去っていく凛と宗介に大きく手を振りながら見送っていた。
   忙しい子だな。ころころ変わる表情についつい笑いを誘われる。残された三人が顔を見合わせて小さく笑っていると、凛と宗介を見送り終わったらしい彼女がくるりとこちらを向いた。ここでようやく、旭と郁弥ときちんと目が合う。

「あ、ええと、桐嶋さんと椎名さん、ですよね!」
「えっ」
「お、おう」
「お二人のことはよく聞いていたので、お会いしてみたかったんです!あ、でも椎名さんとは今年の高校選手権で一度お会いしましたよね」

   初対面(?)とは思えないくらいにこやかに話してくれる彼女に、やや戸惑いながらも「そうなの?」と郁弥が旭に確認する。しかし旭は「いや、そんな気が、しなくもないような…?」と曖昧すぎる返答をした。あてにならない。ジトッとした目を旭に向けながら、ふと気がついた。聞いていたって、一体誰に?何を?
   ひとつ解消されてはひとつ芽生える疑問に再び郁弥が首を傾げた。話の途中であったが、我慢できなくなったらしい彼女はぱくっとクレープにかぶりついた。瞬間、目をきらきらに輝かせて「んー!美味しー!」と喜びを露わにする。弟を見るかのようなあたたかい眼差しを送っていた貴澄は何かに気がつき「あっ」と声を漏らした。

「ナマエちゃん、来たみたいだよ。お迎え」

   貴澄がナマエの後ろを指差した。その指に導かれるようにナマエと旭、郁弥は視線を持っていく。二人よりも先に人混みの中からお目当ての人物を見つけ出したナマエはただでさえ明るかった表情をさらに明るくさせて、嬉しそうに声を弾ませた。

「遙くん!」

   !!!??
   二人の心境を文字に起こすとしたら、まさにこんな感じであった。

「悪い。遅くなった」
「ううん!全然だよ!」

   もちろんそんなことに気がつくわけがない遙はナマエの前に立つなり、頭から足元まで観察するように眺める。それが何を意味しているのか、分かったのは数秒後だった。

「新幹線も電車も間違えずに乗れたか」
「うん!」
「変なやつに声かけられたりしなかったか」
「うん!」
「そうか」

   まるで親子だ。はじめてのおつかいだ。さっきの視線は身の無事を確認していたんだと気がつかされるやり取りに呆然としていると遙の腕が上がり、手のひらが彼女の頭の上に乗せられた。

「ちゃんと来られて、えらいな」

   ふわり。そんな効果音が遙から聞こえてきたんじゃないかってくらいに、優しく、柔らかい声と微笑み。ゆったり細められる澄んだ青色の瞳がいつもの何倍もあたたかい。
   記憶が確かであれば中学時代に遙がこんなふうに笑うところを見たことがなかった。昔に比べて笑顔も口数も多少増えた最近でさえ、こんな笑顔を浮かべていたことはない。
   −−"特別"だ。目で、声で、態度で、行動で、そう表現している笑顔だった。

「そういえば郁弥と旭には紹介したことなかったな」
「えっと……さっき、凛たちの幼馴染っていうのは聞いたけど」
「ああ。それと、俺の彼女だ」
「へ、へえ……ハルの彼女…………ハルの彼女っ!?」

   一度飲み込んで、それでも飲み込みきれずに旭は声を荒げる。声には出さなかったものの、郁弥も旭と同じくらいに内心では驚いていた。
   落ち着いているクールな雰囲気と、しなやかで素人さえ魅了する泳ぎ、優秀な成績をおさめているハルは結構モテると同じ大学の旭と貴澄から聞いたことはあったし、それについては驚きもしなかったけれど。彼女がいるだなんて、本人からも真琴たちからも聞いたことがなかった。

「改めて、はじめまして。岩鳶高校三年のミョウジナマエです。遙くんとお付き合いさせていただいてます!」

   再び彼女の大きな瞳が旭と郁弥をとらえた。あたたかな雰囲気を纏い、かわいらしく、人懐っこい笑顔を浮かべている。誰がどう見ても隣にいる遙とは相反していた。
   いつから?どうして?どちらから?カップルに聞きたくなる単純な質問がぽんぽんと浮かんでくる。普通のカップルなら事細かに聞こうとは思わないけれど、なんせ相手は遙だ。想像がひとつも出来ない。しかし驚きの余韻がなかなか引かず、まだ声は出なかった。

「着いたらまず俺のところに来いって言っただろ」
「ちゃんと行こうと思ってたんだよ。でも西館ってどこか分からなくて……凛くんたち見つけたら遙くんにも無事に会えたからよかったあ」

   言葉を失う二人を置いて会話が再開する。「これも凛くんが買ってくれたの!」と子どものように喜ぶ彼女を見て、遙は何故だか拗ねたように眉をひそめ、恨めしそうに手にあるクレープを見つめた。

「俺だってクレープくらい買ってやる」
「もー、そんなところ張り合わなくてもいいのに」
「…別に張り合ってない」
「ふふ、遙くんも食べる?貴澄くんが作ってくれたクレープ、すっごく美味しいんだよ!」

   そう言って一口口に含んだ彼女が遙にクレープを差し出す。食べたばかりの一口のせいで唇の横にはホイップクリームが少し付いてしまっていた。遙の手が彼女へと伸びていき、差し出されたクレープを手にする。かと思いきや、その手はクレープをあっさり通り越して彼女の口元へと辿り着き、ホイップクリームをそうっと指先で掬った。そして。

「…ああ。甘いな」

   ふわり。効果音が聞こえてきたのは二度目だった。開いた口は塞がらないし、声だって出ない。旭と郁弥は目を疑った。見間違いでなければ、遙が指で掬ったホイップクリームを自分の口に含んだ。時間を巻き戻して確認することは出来ない。唯一確認できるものといえば、頬を真っ赤に染めた彼女だけだった。

「ハル、そうゆうのは人目のないところでやった方がいいんじゃないかなあ」
「? そうゆうものなのか」
「ナマエちゃんがほっぺた真っ赤にして可愛いところ、僕たちも見ちゃっていいの〜?」
「……それは困る」

   ずっとにこにこと見守っていた貴澄が、お手拭きを差し出しながらようやく口を開いた。そして見事、遙を納得させることに成功する。出されたお手拭きで指と彼女の口元を優しくトントンと拭った遙は、流れるような動作で彼女の手を取った。

「ナマエ、行くぞ。真琴を待たせてる」
「へっ、え、あ、は、はい!」
「……敬語はやめろって言ってるだろ」
「え、あああ、う、うん!」

   冷静さを取り戻しきれていない彼女の手を引いて「じゃあまたな」と去っていく遙。「お、おう…」「うん。また…」「まったね〜」三者三様にその背中に別れを告げる。嵐が去っていったような気分だ。そう思っていたのに、嵐にはまだ続きがあった。

「その服、初めて見る」
「えへへ……遙くんに会えるから、おめかししてきちゃった」
「そうか。可愛いな」
「へえっ!?」

   そんな会話が小さくなっていく背中から聞こえてくる。どうやら翻弄されているのは旭と郁弥だけではないらしい。見えなくなってからもしばらく言葉が発せない二人を見て貴澄は至極愉快そうに笑った。



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