テスト期間ともなると全ての部活が休みになる。水泳部が設立されてから幼馴染たちとの時間はすごく減ってしまったけれど、この期間になるとハルの家に集って放課後に勉強会が開かれるため、実はこのテスト期間が嫌いじゃなかったりする。

「あれ、真琴一人?ハルは?」

   昇降口に行くと真琴だけが立っていて、いつも隣にいるはずのハルの姿がない。先に帰っていても不思議ではないけども。首を傾げて聞いてみれば、真琴は昔から変わらない笑顔で口を開いた。

「先生に呼ばれて職員室。もうすぐ戻ってくると思うけどな」
「そうなんだ。いやぁ、もうすっかり秋ですなぁ。今日ちょっと気温低いよねー」
「朝晩は特に冷えるよね。ってナマエ、ブレザーは?」
「まだクリーニング出したままでさ、今日の帰りに取り行く予定、ふ、ふぇ、ふえっくし!!!」
「ああもうほら!風邪引くからこれ着て!」

   くしゃみひとつで慌てる世話焼き真琴がリュックから取り出したのは、水泳部が出来てから頻繁に目にするようになった白地に青いラインのジャージだ。もしやと思ったのも束の間で、真琴は何の躊躇いものなくそのジャージを私の肩にかける。私と真琴の身長差、約三十センチ。膝上のスカートまですっぽりと覆う長さがある。真琴が背負っていたからか、ほんのりぬくいそれはワイシャツの私を温めるのには十分だった。

「わー、ぶっかぶか!でもありがとう真琴」
「昨日部室に忘れちゃったんだけど、役に立って良かったよ。ほとんど使ってないから汗臭くはないと思う」
「すんすん、大丈夫だよ。いつもの真琴のにおい!」
「嗅がなくていいから!」
「……何やってるんだ」

   袖口に顔を埋めていると、呆れた声が聞こえた。真琴と二人で顔をそちらに向けると、いつもの無表情なままの遙が立っており「それ」と短く尋ねてきた。

「真琴が貸してくれた」
「ナマエがブレザー無いって言うから。今日ちょっと寒いしね」
「何も真琴が貸すことないだろ」
「でも今日体育も無かったら学校ジャージも無いし、ナマエが風邪引いたらハルだって困るだろ?」
「別に困らない。自業自得だ」
「えええ、ハルちゃん冷たい」
「うるさい。ちゃん付けで呼ぶな」

   なんだかハルが冷たい。せっかく真琴のジャージで温まったのに、凍てしまいそうなくらい冷たい。茶化すみたいにコメントしてもなお冷たい。視線が冷たい。先生の話が嫌だったのかなぁ、と大して気にも止めず「帰るぞ」という相変わらず温度を持たない声の後ろをついていった。ひゅう、と外に出ればたちまち冷たい風に吹かれる。男子はずるいなぁ。女子の足の防御力はゼロに近いっていうのに。

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「ハルー」
「………」
「ハルー、ハルー」
「………」
「ハルー、ハルちゃーん」
「………」
「七瀬くーーん、七瀬遙くーーん」

   ダメだこりゃ。無事に七瀬宅へ到着したはいいものの、ハルのご機嫌は斜めのまま。真琴は使いたい教科書類を取りに戻ると言って、一度家に帰ってしまった。そうなればもちろんハルの家では私とハルの二人きり。

「もう!なんでずっと怒ってるの?私なにかした?」

   さすがに二人になっても、こんな理不尽な扱いを受けては嫌な気持ちになる。呼びかけに応答しないハルに耐えかねて少し強めに声を上げれば、ようやく一度だけハルと目があって、だけどもすぐに逸らされてしまった。

「……ブレザー持ってこないのが悪いんだろ」
「……はい?」

   溜め息混じりに言われた言葉を理解するのに数秒を要した。昼休みに話したときは普通だった。と、なると今と異なる部分は私が今でも着ているこの真琴のジャージのみ。

「私が水泳部のジャージ着てるから嫌なの?水泳部じゃないから?」
「そうゆう意味で言ってるんじゃない」

   じゃあどうゆう意味だと聞こうとしたら、ハルは立ち上がってスタスタと二階へ行ってしまった。呆然としたままハルが閉めた引き戸を見つめていると、戻ってきた足音がすぱんっと勢いよく戸を開く。腕には水泳部のジャージを持って。

「こっち着ろ」
「へ?」
「いいから」
「いやでも真琴に借りたやつがあるし」
「………」
「いだだだだだだ!!分かった分かった!脱ぐから!着るから!!」

   あろうことかハルは着ていた真琴のジャージを引っ張ってきた。女子に対する力加減じゃないだろう、このやろう。これ以上不機嫌にさせるのは得策ではないと考え、悪態をつくのは心の中に留めて、言われた通りに真琴のジャージを脱いでハルのジャージに袖を通した。脱いだ真琴のジャージはひとまず膝の上へ。スカートまですっぽり煽っていたジャージがスカートの半分くらいの丈になる。防御力が八センチ分減った。

「ほら着たよ。これでいい?」
「ああ」

   あれだけ不機嫌そうにしておいて返す言葉は「ああ」だけなのか、と今度は私が少々不服に思うところがあったけれど、ハルが満足そうにしているのでもう良しとしよう。それにしても一連の流れは一体何だったんだろう。私がブレザー忘れるから、水泳部のジャージを着ていたから、私がブレザーを忘れて真琴の水泳部ジャージを、あっ。

「なんで私が真琴のジャージ着てるの嫌だったの?」

   怒ってる理由を辿りに辿って巡り合った疑問を口にした。さっきまでテーブルを挟んだ向こう側で、満足げにテスト勉強の準備をしていたハルが一瞬だけ目を見開いたところを見ると、どうやら答え合わせに成功したらしい。けど、まだだ。まだ真実は明かされていない。でももしそうだとしたら、その理由が私の胸を締め付けはじめている予想と被ったとしたら、どうしよう。

「……言わないと分からないのか」
「真琴みたいに、ハルの考えてることがなんでも分かるわけじゃないよ」

   なんだか居た堪れなくて、広げたままの教科書とノートに一度視線を落とすと何度か畳を踏む音が鳴り、隣にハルが来たのだと分かった。

「真琴のはもう着るな」
「だめなの?」
「だめだ。渚でも、怜でもだめだ」

   こっちを見ろ、とでも言いたげな頬に手を添えられる。もろちんびっくりして振り返れば、真剣な目をしたハルがすぐそこにいた。ジャージからも、部屋からも、ハルからも、ハルの香りがする。

「ナマエが他の男の服を着てるのは、だめだ」

   どうして、と口にしようとしたところで「ごめん!遅くなって!」と玄関のほうから真琴の声がした。ぱっとハルの身体が離れていく。真琴が部屋に上がってくる頃には、私もハルもあたかも今まで勉強してたような格好をしていて、ハルの機嫌が直ったのを一目で確認したらしい真琴が安心したように空いてる場所へ座る。

「あれ?ナマエ、ハルからもジャージ借りたんだ。顔赤いけど、大丈夫?」

   あいつは変なところで察しが悪い、とたまに溢しているハルに激しく同意したい。なんでもないと意思表示するために首を縦に振った。今日のテスト勉強には集中出来そうにないし、結局聞けなかったどうして?の続きが聞けるまで、ハルのことばっかり考えてしまいそうだ。
   ちらりと見たハルが平然とノートに向かっているのがなんとなく気に入らなくて、破ったノートに一文書き殴ってハルに投げつけた。

「?……っ、お前な」
「え?何?ハルどうしたの」
「……なんでもない」

   変なところで察しの悪い真琴に続きを拒まれたハルが、渡したノートの一ページで口元を隠しながらこちらを睨んでいる。ざまあみろだ。私だけが集中出来ないなんて不公平だからね。

   私だって、ハルが他の女の子に上着を貸していたら嫌だよ。



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