劉禅と星彩

手綱を引かれて、しなやかな体をした馬は草原を駆ける。
私は貴い人を抱えるように前に座らせて、そして父上や叔父上がそうしたみたいに愛馬に風を切らせた。
ただひたすらに青い空の下。風に吹かれて桃色の花弁が舞っている。
周りには誰もいない。
私と貴い人だけが、ここにいる。幼い私は平然を装って仏頂面をただつらぬいた。

風は、さむくないですか。と、ちいさな声でつぶやく。

貴い人は一度だけ振り向いて、花が綻ぶみたいに笑顔をみせた。



これは夢だ。
今は私もあの方ももう大人だし、そもそも護衛もつけずに野原で散歩など出来るはずがない。
これはただただ甘ったるい、それでいて酷く残酷な夢なのだ。








『思い出の反復』








「桃の花が咲いたなあ」

ふわふわとした召し物を揺らして、劉禅様は私に微笑む。
ほら、花びらが舞っていた。と私の両手に手のひらをかさねて、離すと桃色の花びらが乗っていた。

「きれいだろう」

「まるでそなたのようだと思わないか?」

そう仰るあなたの方が、私は美しく感じると言うのに。
私の視線など構わず、今宵は花見と洒落込むのも悪くない、などと少々現実味のない発言をする。


次代へと想いが託されて、もう幾度かの春が過ぎた。
繰り返される北伐に、この国の国力は既に悲鳴をあげている。着々と兵力を蓄えてゆく魏、沈黙を貫く呉、…私たちの国がどれだけ斜陽にあるのかは誰が見ても分かる事実としてそこにあった。


「星彩は、嫌いな季節はあるか?」

不意に劉禅様は突拍子もなく話題を変える。
この方の気まぐれはいつもの事だ。その位の事で困惑したりはしない程度には、私とこの方の付き合いは長い。

「劉禅様にはあるのですか」

「質問を質問で返すのは、良くないと思うぞ」

「私は」


不意に、父上達の亡くなった日を思い出した。
あの頃はまだ少し陽が長くって、思い想いに怒りや悲しみを嘆く皆の顔に、暗い影を作っていた。
寒くはない日だったと思う。でも、あの時の暗い影のせいだろうか。私は冬になると無性にあの頃を思い出すのだ。

だからだろうか。

「冬は嫌いです」


冬にあなたをみかけると、胸にぽっかりと穴が空いたような気分になる。
外の景色を仰いでも彩度の低い味気ない景色が広がるだけで、あなたの色だけが鮮やかで、でもあなたが一番色がない。
あなたがどこにもいないような錯覚さえ覚える。

私はこわいのだろうか。


「冬か」

言葉を反復して空を見上げる劉禅様はいつもと全く変わらない風でぼんやりと笑みをたたえているだけだった。
不思議な色の瞳に柔らかそうな唇。
いつも微笑んでいらっしゃる、他人への思い遣りに溢れた、おだやかで心優しい貴い人。
劉禅様は春のような御方だ。

彼をじっとみつめている間に、私の手のひらにあった花弁は微風にもまれて散っていった。
私たちの春が終わるような心細さ。ちゃんと握っておけば、散らずにすんだのだろうか。


「私は、冬はすきだぞ」

「何故ですか?」

「何故だと思う?」

「質問を質問で返すのは良くないと思いますよ」

「ふふ…かなわないなあ」


鈴が鳴るみたいにコロコロと笑って、劉禅様は再び舞い散る花びらを白い手に乗せた。柔和な横顔が城外の街へ向けられる。

「殆どの草木がその葉を散らしても、全てを覆い隠すような冷たい雪に包まれても、民はめげず、いずれ来る春に向けて懸命に生きている」


「私はその、一生懸命に生きていると教えてくれる冬が、すきだ」

不思議な色の瞳が私の光の無い瞳とかち合う。
まあ、寒さが少々身に堪えるのが偶に傷だが。とおどけるように続けた劉禅様の笑顔は、花が綻ぶようだった。
私はその笑顔に対する上手い返事が思いつかず、少し頬を赤らめて、そうですか、と返すだけしか出来なかった。




手綱を引かれて、貴い人を乗せた馬は彩度の低い草原を駆ける。
あなたはひとりで、たったひとりで全てを背負っていってしまった。私たちの春はとうとう来なかった。
あなたの判断は間違っていなかったと思う。あなたが大切に想っていた民達は誰一人として傷つかなかった。何より大切にすべき者達を、あなたは守りきった。

でも私は守れなかった。何より大切に想っていたあなたを、誰よりもそばにいたはずのあなたを私は守れなかった。
あなたがみえなかった。春の色をした色鮮やかな、けれど一番色のないあなた。とうとう消えてしまった。盲目の私はひどく無力だった。

あの甘ったるくて残酷な夢を思い出す。


あなたと逃げてしまいたかったのだろうな。

託されたものを全て脱ぎ捨てて、あたたかい春の化身のようなあなたと一緒に。ずっと。


ただひたすらに淀んだ空の下。風に吹かれた桃色の花弁が、目の前を横切った気がした。






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星彩は強い子だけど、同時に弱い子でもある気がした


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