武蔵と小次郎


そよそよと柔らかい風が花を撫でる。黄色い花弁が微風にあおられながら懸命に光を求める姿には胸を打つものがある。
成長途中の若草が揺れて少しこそばゆい。
時刻は正午を過ぎた頃合いである。この季節さほどきつくない太陽の日差しはぽかぽかと暖かくまさに昼寝日和であると言えるだろう。

二刀を傍らに置き手頃な草原に身を預ける。
想像通りの心地よさだ。そのまま天を仰ぐとすっきりとした良い青空に鳶が舞うのが見えた。

武蔵は武者修行の旅の途中である。修行とは言っても四六時中身体を動かしている訳ではない。
休みだってきちんととる。こうみえて普段はのどかなものなのだ。

であるからにしてこうしてのんびりと寝そべっている訳だ。健全たる肉体に健全たる精神は宿る、最もな意見だと武蔵は思った。どこぞの白塗りの剣士にも教えてやりたいものだ。
それにしても本当にぽかぽかとして気持ちが良い。少し昼寝でもしようか。ぼんやりと空を眺めて鳶の数を数えるのもたまには良いかもしれない。

…ちなみに獲物を傍らに置いて昼寝なぞして野党や不良浪人達に襲われる心配は無いのかと一般平民は思うだろうが武蔵は天下無双を名乗る剣豪である。彼の間合いに殺気を持って入ったとしたら千切りにされるのは相手であろう。良い子はけして真似をしてはいけない。


ふわふわと意識が浮いてきたその時、機嫌の良さそうな軽快な足音が近づいてきた。


「武蔵、みーつけたっ!」

「げっ……小次郎!」


これ以上無いくらいの満面の笑みで現れたのは白面の男佐々木小次郎であった。
武蔵に執着しているこの男は度々目の前に現れる。嵐のようにやってきて嵐のように去って行く、予測も回避も不可能な小次郎を武蔵は警戒していた。

一方の小次郎はそんな武蔵になどお構い無しに寝転がる武蔵の真横まで駆けてゆき、ちょこんと傍に腰かけた。
腰に掛けてある彼の愛刀は長すぎるが故に草原に半分横たわっている。抜かれる気配はない。今回は斬り合う気はないのだろうか。
出会う度に時場所を問わず斬りかかられていた武蔵は珍しい様子に少々面食らった。


「武蔵、何してるの?」

「見りゃ分かるだろ、昼寝だ」

「ふぅん……呑気だねえ武蔵は……」

「うるせー」


剣豪がする会話とは思えないくらいのんびりとした内容に雀が笑うかのようにさえずる。なんとなく居心地が悪くなった武蔵は小次郎に背を向けるように寝返りをうった。
小次郎はその様子すら楽しげに笑い声をあげて、「僕も昼寝、してみようっと」と同じように背中を芝生に預けた。金属のこすれる音が澄んだ青空に響く。物干竿を腰から外し、隣の芝生に寝かせたようだ。
いよいよもって通行人がみたらぎょっとするような異様な光景であるが、この辺りは人通りが少ないので気にする必要はなさそうであった。風が凪ぎ、二人の黒髪がふんわりと揺れた。





くうくうと寝息が聞こえて小次郎はうっすらと目蓋を持ち上げた。
視界に飛び込むのは天下無双の金文字。広い背中。最後に柔らかい草原に青々とした木々。半刻前と寸分も違わない光景がただ広がっている。
昼寝の経験など皆無であった小次郎は目を閉じていたものの微睡む事すらできずにいた。なんとなく落ち着かずごろごろと寝返りをうってばかりいたのが先程までの小次郎である。

本当は武蔵と斬り合うつもりでやってきたのだが、あまりにのほほんとした武蔵の様子に面食らって思わず気力が削がれてしまった。ならば会話に花でも咲かせるかと口を開けば何やら眠たげであるし、しかたなしと昼寝に挑戦してみたものの上手くいかず、結局のところ小次郎は暇をもて余しているのだった。


「……」


何気なしに寝ている武蔵の横顔を覗き混む。なるほど、天下に名を馳せる剣豪も今はすっかり夢の中らしい。吐息が触れるほど近くにいても気付く様子はない。
男らしい顔付きも眠っていると幼く見えるのだから面白い。不意に言い得ぬ愛しさが込み上げてきて小次郎は思わず破顔した。

武蔵に対し剣に対する執着だけでない感情を持っている事に気付いたのはいつ頃であったか、最早覚えてはいないが。斬り合いの最中に感じるゾクゾクとした感覚の根底にあるものだと気付いてからは早かった。
全身を走る稲妻のように、あるいは内から込み上げる炎のように身を焦がすあの感覚は、可哀想な人ばかりの世知辛い世界に生きる小次郎にとって革命に近い衝撃であった。それは武蔵限定で起きるものだから初めは流石に戸惑ったものだ。

ちょっとばかし歪んでいるだけで、小次郎のそれはつまり恋である。
まさか自分に衆道の気があったとは驚きだが、一度納得してしまえば後は転がるだけだ。実に簡単な話であるとひとり心の中で頷いた。


改めて無防備に眠る武蔵の傍らに寄り添う。キラキラと宝石のように輝いて見えるこの剣豪の相手に相応しいのはきっと自分だ。今は閉じられている澄んだ瞳を思い出して、小次郎はぼんやりと考える。
斬り合うだけでは伝わらないものもあると最近知った。武蔵、どうしたら武蔵に想いを伝えられるだろう。

ふと横になった時に唇についてしまったらしい草の欠片を指で避ける。指先にうっすらとついた紅の赤をみて、小次郎は思い立った。柔らかい風が背中を押すように吹く。
これだ。

さらさらと流れる己の黒髪を押さえ、眠る武蔵の頬に唇を寄せた。





「……くすっ…武蔵、気付いてくれるかな」

のどかな風景をなかなかに不釣り合いな笑みで歩く。街道に差し掛かった頃には太陽は既に傾きはじめていて、柔らかかった日差しも色を強くし出していた。
武蔵に気付かれないようそっと草原から抜け出したのは、すやすやと眠る武蔵を起こさないようにする為の親切心と、少しの悪戯心からであった。

込めた想いの少しでも伝わればいい。きっと武蔵のことだから、真っ赤になったり真っ青になったり面白く百面相をしてくれる事だろう。その上でいつか答えを聞いてみせる。恐らく遠くない未来になるだろうと、機嫌の良い頭でうっすらとした予知が脳内をめぐった。



君が堕ちるまであと少し。






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まだ武蔵←小次郎って感じの平和なアレ
むさこじはシリアスもほのぼのもエryもこなせる優秀な子です(真顔)

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