「おいニート」

 なんだその言いぐさは。勝手に家に上り込んできた分際で。そのパンダみたいな目に装着されているばさばさのつけまつげとるぞ。
 俺のことをニートと呼ぶやつは二人しかいない。マキと、こいつだ。日課のようにインターフォンを鳴らさず家に上がりこんだ末丁度弟が俺のことをニートと呼んでいる場面に遭遇したこの女は以来ヨウジとも谷原とも呼ばなくなった。公衆の面前でも躊躇なくデカい声でニートと呼ぶのでこちらもいい迷惑だ。ちなみに近所のおばちゃんからは白い目で見られるようになったぜ!そしてこの女に刃向うと渾身の右ストレートが頬をぶち抜く。一つ言うと俺はニートではなくフリーターだ。

「外でマキオ君に会った。ニートかと思って声かけたらなんか女の子と一緒に居てすっごい睨まれてたわ。後で謝っといて」
「…ごめん、マキ」

 コンビニの袋を片手にぶら下げた女はずかずかと居間に上がりこんで座布団の上に居座る。がさがさと袋の中からハーゲンダッツのバニラとクッキー、それからスプーンを出した。クッキーに手を出そうとすると女はすかさず箸で俺の手の甲を刺した。貫通するかと思いました。「私の取るな」まるで同性と話しているんじゃないかと勘違いする程低い声。聞こえない程度に舌を鳴らしてバニラに手を伸ばすと女は素早くそれを取り、カップの蓋を開ける。この伸ばした手の行き先はどこだ

「二個とも自分のかよ!」
「はあああ?なんでニートの為にハーゲンダッツを買うの?何。嘗めてんの」
「嘗めてんのテメーだよ!」

 何これ。なんで目の前でハーゲンダッツ二つを食べられなきゃなんないの。
 暑すぎるためか蝉も営業停止している中。ガチャリと玄関が開いた。多分マキが帰ってきたのだろう。さぞ意気消沈しているだろうからしばらくはチャンネル権はやつに譲ってやろう。でもよく考えたら元を辿ればあいつがニートって呼ぶからこういう事態が発生したわけで別に俺が悪いわけじゃなくね?

「…やっぱチャンネル権は譲らん」
「何独り言、きしょい。暑さでおかしくなった?ならそのまま溶けろ」

 よく考えたらなんでここまで虐げられてんだかわかんねえ。そこで女は思い出したかのようにスプーンを突き出した。「あげる」透明なスプーンの上の少し溶けかけたアイスを一口。濃厚なバニラが口の中に広がる。

「ニート、エアコンの温度上げてー。寒い」
「アイス食べなきゃいいじゃん」
「うるさい」

 有無を言わせないその物言いに舌を鳴らす。仕方なしにエアコンのリモコンを握り温度を一度上げた。ウィィンとエアコンが動く音

「あ、そうだ。ちょっと言い忘れてたことがあるんだけどさ」
「何よ」

 女の口辺が弧をえがくように持ち上がる。機嫌がいいのか、どこか楽しげだ。平らげたハーゲンダッツのバニラのカップの中に透明なスプーンを投げ捨てるように入れる。近くにあった安物のクッションを両手で抱えた。変に間を空ける彼女に向かっていいから何だよと急かす。うっとうしそうに歪められた表情。どうせ大したことないんだろ、と耳くそをほじろうとした時女の口が開いた、

「妊娠、したんだって」
「…は」
「ヨウジくんの子供がね、出来たわけよ」
「なんの、冗談」

 思わず顔が引き攣る。「冗談にしては突飛過ぎでしょ」にやりとほくそ笑む。久方ぶり俺のことをヨウジと呼んだだとかそんなことを考える前に思考が停止する。いやそれ、冗談じゃなくて突飛過ぎだって。だって何かまるで他人事みたいに言う。友達の誰々がさー、妊娠したんだってえ。みたいなノリだし、上目で見つめた女は溶けちゃうななんてつぶやきながらもうハーゲンダッツのクッキーに手を伸ばすし。それってほんとは来て早々報告することだろという言葉は口をつかなかった。変な汗がこめかみから頬に伝う。

「ちょっ、俺…本気で仕事探してみるわ」
「…よろしく、ニート」





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