▼ 俺と彼とその彼女
女の子は小さくて、柔らかくて、そしてか弱い。
だから男はそんな女の子を守るんだと両親から教えられて、俺は育ってきた。
親からの教え通り、俺は女の子には優しく接し、高い所にある物を取ろうとしている女の子がいれば、俺が代わりに取り、重い物を運んでいる女の子がいれば、運ぶのを手伝った。
女の子には優しく、それが俺のモットーだった。
だけど俺は……
ガラガラと開かれた扉の音にチラッと扉の方を見ると、パタパタとサイズの合わないスリッパを履いた女の子が教室に入ってきた。
机の横に鞄をかけ、椅子に座るまでを見届けた後、俺は女の子から視線を外し、前へと向き直る。
ドア側三列目の1番後ろ。
そこが新山千里(にいやまちさと)さんの席である。
そして俺は、毎日彼女に嫌がらせをしている。
優しくすべき存在である女の子に嫌がらせをするのは、正直良心がとても痛む。
だけど俺はこれ以外に、このどうしようも無い思いを解消することができなかった。
新山さんには1つ年下の恋人がいる。
その恋人の名前は柊幸人(ひいらぎゆきと)くんと言い、俺は彼の事が好きだった。
彼も俺も男で、何故異性ではなく同性を……と何度も思い悩んだが、初めて見た時からどうしようもなく俺は彼に惹かれ、自分の気持ちを誤魔化せない程だった。
今まで異性しか好きになった事が無かった俺が、何故彼に惹かれてしまったのか…
それは自分でもわからない。
だけど彼を見るたびに俺は気持ちが高揚し、自分を抑えきれなかった。
けれど女の子ではなく男である俺は、まずスタート地点にすら立てない。
それゆえ彼の恋人である新山さんに俺は勝手に嫉妬し、この醜い思いを、彼女に嫌がらせをすることで解消させていた。
本当は女の子には優しくしなきゃいけないという良心と、彼女に対して悪いことをしているという自覚は十分にあった。
だからか、俺は放課後たまたま忘れ物して教室に戻った時、泣きながら机を拭く新山さんに、俺は声をかけてしまった。
「…何やってんの?新山さん」
「え?あっ…、矢野(やの)くん。んーん、何でもないよ」
慌てて涙を拭って笑顔を作る新山さんに、俺の胸はツキンと痛んだ。
「何でもなくはないよね?だって新山さん泣いてるよ…」
新山さんに近付き拭いてる机を見みると、そこには『とっとと別れろブス』『死ね』と悪口の数々が机には書かれていた。
「これって…」
「…幸人と私が付き合ってるのをよく思ってない人からの、嫌がらせってやつ」
自分以外にも新山さんに嫌がらせをしている人がいるなんて知らず、俺は唖然とする。
彼はカッコ良くて、とてもモテるというのは知っていたが、まさか嫉妬でここまでする人がいるなんて…
せいぜい俺は新山さんの上履きを、ちゃんと探さないと見つからない場所に置く程度のことしかしていないが、それでも新山さんの机に悪口を書いた人達と同じく、俺は新山さんに嫉妬をし、嫌がらせをしている。
そう思うとどうしようない後悔と罪悪感に苛まれる。
俺の知らないところで、新山さんはずっと嫌がらせに耐えながらも涙を流していたなんて…
やっぱりこんなこともうやめよう。
俺は身勝手な理由でこれ以上女の子を傷付けたくない。
女の子を傷付けるくらいなら、俺は自分の感情を無理矢理にでも抑え付ける。
「俺も手伝うよ、新山さん」
今更償っても遅いかもしれない。
だけどそれでも、俺がこの子を守らなきゃ…
松山さんは芯の強い、とても優しい女の子だった。
あの時は久々の嫌がらせで、少し精神的に堪えたが、どちらかというと怒りが原因で涙が出てきたんだと後で教えてもらった。
俺はあの日から新山さんの嫌がらせをやめ、他の人からの嫌がらせの数々の片付けを手伝った。
本当は嫌がらせをされる前に対策を取れればいいのだが、毎日毎日違う手法で嫌がらせが行われるので、正直片付ける以外は打つすべがない。
「毎日ありがとうね、紘弥(ひろや)くん」
「んーん。むしろこんなことぐらいしか出来なくてごめんね…」
「…本当にありがとう。紘弥くん、あのね……」
何か千里ちゃんは言おうとしていたが、何かを言う前に電話の音で、千里ちゃんの声は遮られた。
「ごめんね……。たぶん幸人からの催促電話だと思うからもう帰るね。…また明日」
少し暗い顔をして教室を出る千里ちゃんを見送り、ボーッと俺は教室の窓から、校門の前に寄りかかっている彼を見る。
少しすると校舎から千里ちゃんが出てきて、彼に一言二言喋った後、楽しそうに一緒に歩き出した。
見えなくなるまで二人を見続け、見えなくなったと同時に、ため息と共に、椅子の上で膝を抱えて丸くなる。
胸が痛い。黒い感情が止まらない。
彼を見るたびに気持ちは膨れ、彼と一緒にいる千里ちゃんに醜い感情を持ってしまう。
そんな自分が嫌で、今すぐにも消えたくて、自分の殻に閉じこもることしか、今の俺にはできない。
『本当は昨日言おうとしてた事なんだけど…』
そう言って千里ちゃんは顔を真っ赤にさせながら俺を見つめて来た。
「私、ずっと前から紘弥くんのことが好きです…」
俺に告白してきた千里ちゃんは、言い終わると『返事はまた明日でいいから』と言って足早に教室から出て行った。
放心状態で椅子に座り、だけど徐々に言いようのない怒りが湧いてくる。
女の子ってだけでも羨ましいのに、その上千里ちゃんは彼の恋人じゃないか。
それなのになんで俺に告白なんて…
ふらりと席を立ち、筆箱から出した黒ペンを持って、千里ちゃんの席に向かう。
そして大きく『ビッチ』という文字を机に書いた。
けれどすぐにハッとし、自分は何をしているんだと我に返る。
慌てて消そうと扉に目を向けると、何故か彼が扉に寄りかかってこちらを見ていた。
息が一瞬止まり、次の瞬間にはドキドキとうるさい音をたてながら心臓が高鳴り始めた。
なんで彼が、なんで、なんで…
その言葉が浮かび、驚きで目を見開く。
「そこって千里の席だよな?お前、何やってんの?」
「…っ、」
「…まぁ理由なんてどうでもいいや。それより先輩、このこと千里にバレたくないよな?」
ニヤッと彼は笑い、『俺が言いたい事わかるよな?大人しく従えば、今日見たこと、千里には言わねぇから』
完
補足
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