5−4
 ――位置不明。

 心臓が口から飛び出しそうだ。普段では考えられないほどの負担をかけられた足首や膝になけなしの筋肉が一斉にきしんでいる気がする。逢坂さんは大丈夫かと何度も後ろを振り返りたくなったがきっと彼女は怒るだろうしもうその動作に使う余力もなかった。

 ただひたすらに事件の発端、オレに《飴》を手渡した男を目で足で手で追いかけている。
 視界が極端に狭くなって風景が濁流のように流れていく。曲がりくねる道を右へ左へ進んでいるうち、知らずどこかの立体駐車場に入り込んでいた。どこへ逃げても音が響くのは好都合だが、タイヤで磨かれたコンクリートの床が底の削れた安い運動靴を滑らせ何度も腹を打った。べたんと反響する音からして相手も似たようなことになっているらしい。少し笑った。何という間抜けな鬼ごっこだ。

 オレは普通の人間だ。いや、そうありたいと思っているだけでむしろ他人より劣っているかも知れない。少なくとも逢坂さんや九条先輩のように機転は利かないし、蓮沼先輩や榊木さんのように強くもない。なのになんでこんなことになって、こんな必死に。

 わからない。

 わからないけど、このまま這いつくばっているのは嫌だ。逢坂さんに任されたから、だけじゃなくて。

 ――冷たい床に手をついて体を起こした。

 オレはたまたまこの島に来ただけの部外者で、誰にとっての何者でもないけど。
 九条先輩の誘いを断りきれなかったのは、今回の捜査に参加すると決めたのは。

 ――耳を澄ませて靴音の方角へ足を蹴り出す。

 誰かの「普通」を守れる、誰かにとっての「何者か」になりたかった、いや違う。オレは自分に「オレはオレだ」と胸を張ることができる何かが欲しかったんだ。
 先輩達に負けないところ、並び立てるところが小鳥遊悠歌にあるとすればその自分勝手さだ。

 だから今は、自分の意志で走る。

 アルファベットの書いた柱をいくつか過ぎた時、数十メートル先に黒い人影を捉えた。向こうもこちらに気付いたらしい。転びそうになりながら左に急カーブしたかと思うとさらに速度を上げてどこかを目指す。
 足の裏の皮がめくれたのを感じながら距離を詰めていくと背広の肩の向こう側に錆びついたドアが見えた。逃げ込まれて鍵でも掛けられればそれ以上の追走は難しくなるだろう。

「逃がすかあああああああああっ!!!」
 
 早く早く早く早く間に合わない!

 手を伸ばせば届きそうなのに指先は空を掻く。
 男がドアノブに手をかけた。キイと耳障りな音とともに暗闇が口を開ける。

 逃げられる!

 ほとんど体当たりのようにオレは飛び出す。苦痛にゆがむ男の顔が最後に見えた。



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bkm
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