昼休憩終了五分前のアナウンスが流れ、屋上を後にした。 また入口のところで詰まっていて、集団から抜け出すのは一苦労だった。 午後も張り切って頑張りましょう、という体育祭実行委員の言葉を、赤也は選手入場口で聞いていた。 午後のプログラムの一番目は、学年別リレーだ。 各クラス五人で一チームのレース。赤也はアンカーだった。 午後一で全力疾走とか何考えてんだよ、と思ったけど、お昼前の午前最後のプログラムはマラソンだったから、たぶん何も考えていないんだろう。 ハチマキはちゃんとおでこにつけてね、と実行委員に言われて、腕に巻いていたそれを頭に巻き直した。 ふと視線を泳がせていると、またオレンジ色の背中を見つけた。 同じポロシャツを着ている人はたくさんいるのに、柳だと、すぐに分かった。 途端に目が離せなくなる。 その向こうにいるのが誰かも、やはりすぐに分かった。 だって分かってしまうんだ。 同じ視線を送っているんだから。 無理矢理そっちに目線を動かした。 水色のティーシャツを着た仁王は、女子生徒二人と話しをしている。 一人がカメラを出し、もう一人と仁王と距離を取った。 一緒に写真を撮ってくれと頼まれていたんだろう。 さすが仁王先輩、モテるなあ。 やっかみは無い。素直に感心した。 仁王が女子生徒に人気があるのは、有名な話だった。 一個下の赤也の学年でも、格好良いと言われているのも知っている。 同じクラスの女子に、「仁王先輩って、彼女いるの?」と訊かれたこともある。 「知らねえ」と答えたら、呆れたような顔をされた。 「なんで知らないの」 「知らないもんは、知らないっつーの」 「んじゃ、調べてきて」 「なんで俺が」 「調べてこい」 「態度」 といさめたが、赤也の声は小さかった。 だってこええし。 女子は時々、鬼のように恐い顔をする。 普段はほんわりと、柔らかいオーラをふりまいているのに。 特に今日は、三年生にとって最後の体育祭だ。 クラスティーシャツにハチマキ姿の仁王を見られるのもこれが最後。 そう思うんだろう。 仁王が、携帯電話やデジカメを手に持った女子生徒から「一緒に写真、撮ってください」と言われているのを見るのも、今日初めてではなかった。 学年ごとに横並びのブロック待機列、一番後ろのわずかな日陰で、何度も目にした。 たぶんさっき、渡り廊下でも、同じやり取りが行われていたに違いない。 それを見ていた柳が、どんな顔をしていたのか、赤也には簡単に想像できた。 女子生徒に囲まれる仁王を、射抜くような眼差しで見ていたに決まっている。 意識してはいないだろうに、そういう時、柳の眉間には薄っすらとシワが寄る。 普段無表情を保っている彼には珍しい、睨んでいるようにも見える表情になる。 そうして強い瞳で、仁王の背中を見つめているのだ。 分かる。分かっている。 赤也はずっと、その柳の背中を、時には横顔を見つめてきた。 今ではもう、顔を見なくても分かった。 自分と同じ表情をしているに決まっている。 列から抜け出し、オレンジ色の背中に駆け寄った。 肩に手を伸ばした。 振り返った顔に、強い色を宿した瞳は見えないけれど、代わりに唇が柔らかく微笑んだ。 「まだ入場じゃないのか?確か、学年別リレーに出ると言っていたが」 「もうすぐッス」 と答えながら、肩越しに視線だけ動かすと、仁王はもういなくなっていた。 「あの、柳さん。俺のこと応援してください」 「俺はオレンジブロックだぞ」 確かめるような声で言うも、顔は笑っている。 「お前は青ブロックで敵じゃないか」 「でも俺のブロック、最下位なんですよ」 選手は入場してください、と放送が聞こえる。 「今更、俺一人応援したとこで、結果は変わりませんって」 それに、と付け加える。 「柳さんが応援してくれたら、俺、一番でゴールできると思うんですよ」 眉間に薄くシワを寄せて言う赤也の表情は、真剣そのものだ。 「そしたら俺も、柳さんのこと応援します」 最後の一言は、明らかに違う意味がこもっていた。 でもそれに、柳が気付くはずもない。 「分かった。そこまで言うのなら、というか、そこまで言われなくても、同じブロックの見ず知らずの二年生より、赤也を応援するに決まっているじゃないか」 柳は可笑しげに笑いながら言った。 当たり前のように言われた言葉が嬉しい。 柳は頭をぽんぽんと撫でると、いっそう笑みを深めた。 「頑張れ」 「はい!」 大きな声で答えた。 選手はもうゴール付近に並び始めていた。 柳と別れると、赤也も慌ててその列に加わった。 「おっせえよ、アンカー」 軽口を叩いてくる同級生を無視して、ゴールテープの向こう側を確かめる。 色とりどりのシャツが、ゴールの瞬間を見届けようと集まっていた。 頭一つ分抜き出たオレンジを、赤也が見つけられないはずがなかった。 視線がぶつかると、柳はひらひらと手を振った。 よーい、という掛け声の後に、パン、と破裂音がした。 第一走者が一気に飛び出した。 大きな差はつかず、集団のまま、第二走者にバトンが渡る。 第三走者、第四走者と続く。 前の走者の速い順に、第五走者が内側からトラックに並ぶ。 赤也は三番目だ。 第四走者が、ほぼ一斉に飛び込んできた。 バトンを受け取る。 固い感触がして、前に進みながら、次の瞬間にはしっかりと握っている。 腕を振り、足を踏み込みながら、前を走る背中を追う。 一人を抜かした。 もう一人もすぐそこだ。 ふと「頑張れ」と言った柳の顔を思い出した。 射抜くような眼差しではない。 優しく柔らかい眼差しだった。 それでもあの表情は、他の誰でもない、赤也のためだけに作られたものだった。 それでじゅうぶんなんスよ。 赤也は心の中で呟いた。 それだけで俺、泣きたいくらい幸せになれるんですから。 一番前を走る走者を、右側から追い抜かした。 最後のコーナーを曲がる。 白いゴールテープが、トラックを横切っているのが見えた。 ゆらゆらと風に揺れて、頼りない。 その向こうにオレンジを見つけた。 見えたと思った瞬間にはもう、見つけて、強い眼差しを送ってしまっているのだから、やっぱり恋だった。 じゃなきゃ、こんなに苦しいはずがない。 強く風を切った。 ゴールまであと少しだ。 一秒、二秒、とんでもなく長く感じる。 ポンプする肺に、大きく息を吸い込んだ。 真っ白いゴールテープではなく、眩しく輝くオレンジに向かって、赤也は足を踏み込み、まっすぐに加速していく。 ------- リクエストありがとうございました! 2012/05/25 管理人:きほう |