仁王くんと柳さん | ナノ




台所で、リビングで、鍋の準備は順調に進んでいる。
俺はリビングで二人分の食器や飲み物や箸休めのつまみを用意し、柳は台所で切った野菜や肉を順番に鍋に放り込んで、煮ている。
この順番には彼なりの信条があるようで、俺が手を出すと怒る。
すごく怒る。
だから鍋の時の役割分担はしっかりしている。
柳が台所、俺がリビング。
柳とはもう何度も一緒に冬を過ごしてきたので、二人での鍋の準備は完璧を極めていた。

そういえば十年前にも、こうして鍋の準備をしていたことがあった。
もちろんその時は俺も柳も恋人になったばっかりで、完璧な準備ではなく、色々相談しつつの準備だったけれど。
今のように真冬ではなく秋だったし、そもそも二人きりじゃなかった。
あれ、じゃあ他に誰がいたんじゃったっけ?
自分が首を傾げている姿が、目の前のガラスに映っていた。
外が真っ暗だから鮮明だ。
カーテン閉めんの忘れてたな、と思ってベランダに近寄ったところで、思い出した。
あの時一緒にいたのは、テニス部のやつらだった。


最後の夏の大会が終わって少し経ってから、俺と柳は付き合い始めた。
そこに至るまでは色々あったけど、とりあえず「恋人」という目標に関しては、ハッピーエンド!大団円!を迎えたところだった。
季節は秋。
中学生活の全てを捧げた大会が終わってしまうと、なんとなく気の抜けたような気分になると思っていたけど、そうでもなかった。
夏休みが終わったと思ったら体育祭の練習が始まり、本番、文化祭の準備、本番、そうしたらあとはもう受験勉強に追われるだけだ。
そんな時に、幸村に鍋に誘われた。

「どこで?」
と俺は訊いた。
「俺んちで」
と幸村は答えた。
「みんなで?」
「みんなで」
「…鍋の季節には早い気がすんじゃけど」
「でも俺は鍋が食べたいんだよ」
「あ、そう」
「もう分担も決めてあるから。俺とお前と蓮二と柳生がうちで鍋準備係ね。その間に真田と赤也とブン太とジャッカルにお菓子とか飲み物の買い出しに行ってもらう予定」
幸村はテンポ良く話した。
「なんか、こっちのがめんどそうな気ぃする」
「だって寒くないから」
と幸村は理由になっているのかいないのかよく分からないことを言ってくる。
「鍋係は、十八時に俺んち集合ね」
「はあ」
返事ともため息とも取れる言葉を聞く前に、幸村は「蓮二ー!」と通りがかった柳に突進していった。


五分遅れて幸村の家に着くと、鍋の準備は勝手に始まっていた。
前にも通してもらったことのある客間の、大きな長方形のテーブルの上に、台所からまな板や包丁を持ち込んで。
テーブルにはガスコンロも二つ置いてあったから、準備は全てここでやるんだと分かった。
「遅刻だよ」
咎める風でもなく、幸村は言う。
「五分だけじゃ」
「五分三十七秒だ」
柳が手に大根を持って、やはり咎める風でもなく、言った。
その横で柳生は黙々と人参を星の形に型抜いていた。
それを覗き込んで「ずいぶんと凝っちょるのう」と言えば、「余った枠の部分をどうすれば良いのか、今はそのことで頭がいっぱいです」と返ってきた。
「それも放り込んじゃいなよ。口に入っちゃえば一緒だって」
と幸村が言った。
柳生は納得いかなかったのか、はあ、と気のない返事をしただけだった。

大根を切る柳の隣に腰を下ろすと、幸村に腕を掴まれた。
「冷蔵庫行くよ」
できれば柳の横に落ち着いてちょっかいでも出しつつ準備したかったが、掴まれた腕が妙に痛い。
物凄く強い力で掴まれている気がする。
逆らうな!と脳内の危険センサーが鳴った。
「行ってこい」
柳が言うので、俺は危険センサーに従って逆らわない、柳の横は諦めて冷蔵庫に向かうことにした。
立ち上がる際に目が合うと、幸村は片眉をぴくりと上げた。

「今日家の人おらんの?」
前を歩く幸村に訊ねた。
廊下はとても静かで、靴下を履いた二人分の足音が小さく聞こえるだけだ。
「二階にいる。さっき行った時は人生ゲームしてたけど、今は静かだからジェンガでもやってんのかも」
「そりゃ静かなわけじゃな」
ちゅうか、仲良いなお前さんち、と言えば、普通じゃない?と返ってきた。
俺の家は家族仲良く休日にボードゲームなんてしたことはなかった。
でもそれは、兄弟の歳が離れているせいかもな、とすぐに思い直す。
幸村の兄弟は二個下の妹が一人だったと思うので、やっぱり休日のボードゲームは普通なのかも知れない。

台所の冷蔵庫から、幸村が次々と取り出しては渡してくる野菜を受け取る。
幸村自身も野菜と鍋の汁のパックを持つ。
「真田達が帰ってきたらもう一回、肉取りに来るから」
「おー。ちなみに肉の種類は?」
「牛、豚、鶏、豊富に取り揃えております」
「さすが」

準備がようやく終わりに向かい、二つの鍋でそれぞれ野菜が煮え始めた頃、買い出し係が到着した。
冷蔵庫に肉を取りに行き、鍋に適当に入れる。
飲み物が配られ、全員が席に着く。
そこで俺はようやく柳の隣に座ることができた。
柳を挟んだ向こう側には幸村が座り、俺と目が合うと、ぴくりと片眉を上げた。
幸村は、俺が柳の近くにいると、決まってこの片眉を上げる動作をした。
牽制じゃ、と俺は思っていた。
なぜか幸村が片眉を上げるたび、「蓮二はお前だけのものじゃないぞ。分かってるだろうな」という彼の声が聞こえるような気がした。

かんぱーい、というかけ声とともに、食事が始まった。
さっと目の前の皿が取られた。
取られた先を見れば、柳がおたまを持って「何が良い」と訊いてくる。
「肉」
「野菜も食べろ」
「じゃ、大根」
柳が切っていたことを思い出し、付け足した。
「承知した」と柳は言ったが、今皿の中に入っていったものは間違いなくオレンジ色で星型だった。
横から幸村が「蓮二!俺のも!」と叫び、こっちに向かって片眉を上げるのが見えたが、それに対する柳の返事が、「仁王の次にな」だったので気にならなかった。
柳から受け取った皿には、全ての野菜が一つずつと、大量の肉が入っていた。

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