力が抜け、がたがたと震える魔の者をその場に放って、私達はビルに戻った。 ビルのエントランスで、同じように仕事から帰って来たところらしい柳くんと真田くんに会った。 「御苦労」 二人は同時に言った。 「そちらこそ」 と私は言った。 「お疲れ様ッス」 と切原くんは言った。 仁王くんは何も言わなかった。 では、と別れかけたところで、柳くんが私を呼び止めた。 「柳生、ちょっと良いか」 「あ、ええ、もちろんです」 「先いっちょるぜよー」 仁王くんが言った。 「はい。すみません」 私は軽く頭を下げた。 仁王くんと切原くんは連れ立ってエレベーターに乗り込んで行った。 その後ろから、真田くんが慌てた様子で駆け込んで行った。 用事があるのは柳くんだけということか。 「すまないな、呼び止めてしまって…」 柳くんが申し訳なさそうに言った。 「いえ」 とすぐさま私は答えた。 謝る必要など無いのに、と思った。 私は嬉しかった。 仁王くんでも切原くんでもなく、私に声をかけてくださったこと。 例えどんなにくだらない用でも。 神様たる幸村くんと共に、柳くんの一番近いところにいる真田くんを置いて、私と残ってくださったこと。 私は柳くんに惹かれていた。 静かな佇まい、凛とした声。 身体的、外見的な美しさはもちろんのこと、知的で聡明な内面にも。 彼の全てが、私の理想にぴったりと合っていた。 しかし何よりも魅力的だったのは、その瞳だった。 何百年も淡い光を溜めた、琥珀のような色をした瞳。 密に生えそろった睫毛に覆い隠されたその瞳を、私はたった一度だけ見たことがある。 それでもう駄目だった。 決まりだった。決定打だった。 私は柳くんに恋愛感情を抱いていた。 「それでお話というのは?」 「ああ、大したことじゃないんだが」 と言うと、柳くんは持っていた鞄の中から、一冊の本を差し出した。 「これを」 「私に?」 「欲しいと言っていなかったか?」 確かに、それは私が数日前、欲しいと言っていたものだった。 「はい。しかし、よくありましたね。どこに行っても売り切れていたので、しばらくは諦めていたのですが」 「良かった。今日行った本屋に偶然あったんだ。すぐに柳生を思い出してな、らしくもなく走ってレジまで持って行ってしまった」 柳くんは少し恥ずかしそうに顔を伏せた。 私は嬉しさが胸に沁み広がっていくのを感じた。 「ありがとうございます。とても嬉しいです」 本を受け取り、礼を言った私の声は不格好にかすれた。 「何かお礼を…」 「気にするな。こちらが勝手にやったことだ」 「いえ、そういうわけには…。あ…そうです。もし、もしよろしければ、今度お食事に行きませんか…?本のお礼に御馳走させてください」 私は、自身の浅ましい下心のためだと気付かれないように、また気付かないように、無意識に息を潜めていた。 「…なら、今日の夕食を一緒に、というのはどうだろうか」 「もちろんです!このビルのレストランでよろしいでしょうか?それとも他に…」 「いや」 喜びいさんで言う私を、柳くんが遮った。 「俺の部屋で、というのはだめだろうか」 「え?」 「ちょうど昨日から作っておいた鰤大根があってな、誰かに食べさせたくて仕方が無かったんだ。良い具合に味も染みていると思うし。どうだろうか?」 「構いませんが…それではお礼になりません」 私は遠慮がちに言った。 「そんなことはない」 と柳くんは微笑んだ。 [←前へ] | [次へ→] |