魔の神 | ナノ




魔の者が私の横を走り抜けて行った。
彼に逃げられるのはこれで二度目だ。
でも気にはならなかった。
私の目は、ただひたすらに柳くんのことを捕えていた。
そして柳くんは、そんな私のことを穏やかな表情で見つめていた。
「あなたは…魔の者なんですね」
私は今さっき思いついたばかりの結論を口にした。
「ああ」
と柳くんは頷いた。
「それも特殊な類の」
「特殊か」
「ええ。あなたは人間ではないし、閉じる者でもない。しかし同じように魔の者の生気を閉じることが出来る、ように見える」
私の中に、たくさんの憶測と、それを証明する事実が流れ込んでくる。
「幸村くんが人間と魔の者の生気を増幅させることが出来るように、あなたは人間と魔の者、両方の生気を吸うことが出来るんですね」
初めて二人に会った時。
柳くんは、幸村くんは生気を自在に操ることが出来ると言った。
だから彼は神様なんだと。
しかし、幸村くんは生気を増やすことは出来ても、反対に減らすことは出来ない。
これでは、生気を自在に操るとは言わないのではないか、と私は前から疑問に思っていた。
今その疑問が解けた。
つまり、減らすことが出来るのは柳くんの方。
二人一緒にいてこその神様だったのだ。
言うなれば、柳くんは影武者のようなもの。

「しかし、なぜ俺が魔の者だと思ったんだ?特殊な方の人間、とは思わなかったのか?」
柳くんはわずかに関心しているように見える。
私は口の中にたまった唾を飲み込み、震える唇を開いた。
「魔の者が吸い、人間が閉じる。そういう法則になっているのだと思いました。幸村くんが力のある人間の中で特別であるように、魔の者の中にも特別がいる。とすれば、開くのが特別な人間なら、減らすのは特別な魔の者であると。…要はこじつけです。最終的な判断は直感でした。私の直感は、意外と良く当たるんですよ」
私は冗談めかしてそう言った。
「当たるのではない。そういう特別なんだ」
「仁王くんの鼻がそうであったようにですか?」
「そうだ」

私はあの夜の出来事を思い出した。
あの夜、柳くんは仁王くんの下腹部に顔を埋めていた。
ように見えただけで、実際にはへその辺りに唇を寄せていたのではないか。
「仁王くんはもっと早く、あなたが魔の者であると気付いていたんですね」
「今年のはじめには」
「匂いが強くなったからですね」
私は決心が鈍らぬように、大きく息を吸い、吐いた。
これから言おうとしているのは、多分最も怖ろしいことだった。
「あなたは幸村くんの生気を吸ったんですね。神様の生気を。仁王くんの生気を吸ったのと同じように」
「俺から頼んだわけじゃない」
柳くんはその時はじめて、苦しそうな表情を見せた。
しかしそれは一瞬の出来事で、私の見た幻にも思えた。
「彼らがなぜ、あなたに生気を吸うように言ったかお分かりですか」
「好奇心だろう」
柳くんは最初に出会った時と同じように、淡々とした口調で言った。

いいえ違います、と言いたかった。
私には、仁王くんの、そして幸村くんの気持ちが痛いほど分かった。
愛しいこの人に、生気を吸わせたいと思う気持ちが。
でもそれは私の言うべきことではない。

「あなたは魔の神になるおつもりですか」
「分からない」
柳くんは答えた。
「永遠の時、と言われてもピンとこない。それが欲しいのかどうかも分からない。ただ」
と柳くんは悲しげに笑った。
「人間を見ると、生気を吸いたくてたまらなくなる。本能なんだろうな。俺には紛れもなくケモノの血が流れているんだ」
柳くんは静かにそんなことを言った。

姿形も変わらない。
たいていの者には、決して魔の者だとは気付かれない。
しかし彼には、私とは違う血が流れている。
それでも、と私は思う。
「私の生気を吸ってください」
柳くんは一瞬驚いたように目を見開き、その後で戸惑うような表情を見せた。
が、やがて、私の首元にゆっくりと口づけた。
柳くんの冷たい唇が、私の首筋に落ちる。
生気を吸われる感覚は二度目だったが、以前とはまるで違っていた。
怖ろしい気持ちも、凍えるような寒気も無かった。
体中の悪いものが、すうと蒸発していくような。
それはただ穏やかに。幸福感すら感じた。
徐々に力が抜けていく。
瞼を閉じる直前に見えた柳くんの瞳は、燃えるような色をしていた。



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