05 適当に食事をして、風呂に入って、明日から始まる大学のための準備をして。 さて寝ようとベッドに入ったものの、中々寝付けなかった。 枕元の携帯電話を開くと、眩しい液晶が、ベッドに入ってから一時間近く経つことを示していた。 ああ、今日は眠れない日か。 嫌やなあ。 明日は記念すべき大学生活の一日目なのに。 ごろん、と寝返りを打った。 壁にぴったり頬をくっつければ、眠れそうにはなくても冷たくて気持ち良かった。 この壁の向こうに謙也がいるんや、と思って、暗い室内で耳を澄ましてみたが、彼が起きている気配は無かった。 朝になって思った。 昨日の自分は、我ながらストーカーじみていた。 八時ぴったりに部屋を出ると、廊下でばったり謙也に会った。 「おはようさん」 驚いていると、謙也の方から駆け寄ってくる。 「おはよう…。偶然やなあ。謙也も今日から大学?」 そういえば、昨日は聞きそびれたけど、謙也も大学に通うなら俺と同じ一年生だ。 「せやで」 謙也が歩き出したので、俺も合わせて歩き出す。 「白石の大学って、どこの駅なん?」 訊かれて、大学のある駅名を答える。 ここから二駅のところだ。 「やったら、逆方向やんな」 謙也が口にした駅も、ここから二駅のところだったが、確かに上りと下りで逆だった。 ちょっと残念やと思ってしまった自分が恨めしい。 もしかしたら大学も同じなのかと思ったが、奇跡はそうそう続かないようだ。 そのまま駅まで一緒に行き、改札のところで別れた。 記念すべき大学生活の一日目は、あっさりと終わってしまった。 組んであった時間割は四時限目までだったけど、一回目だからか果たしてこれからもそうなのか、どの授業も予定よりずっと早く終わった。 友達は出来ても出来なくてもどっちでも良いと思っていたけど、意外とみんな社交性に富んでいるらしい。 今日一日で、携帯電話に新しいアドレスが何個も増えた。 バッグに、断り切れなかったサークルのチラシも何枚も増えた。 帰りの電車の中で、ゆりこさんに再び会った。 あと一駅、というところで乗り込んできた彼女は、両手に大きなビニール袋を提げていた。 「あ」 吊革に掴まっていた俺が思わず声を漏らすと、ゆりこさんは俺の顔をじっと凝視してきた。 たっぷり十秒くらい。 それから、「ああ、白石くん」と言った。 そうです。白石です。忘れられてたみたいやけど、どうも。 「学校帰り?」 「はい」 「どう、大学は。一年生でしょう?新鮮?」 「新鮮は新鮮です」 と答える。 「それは良いね」 ゆりこさんはまったく思っていないような口ぶりでそう言った。 彼女の口調は、淡々としてあまり感情が見えなかった。 キイ、と緩いブレーキ音がして、電車が駅に着いた。 ちょうど階段の前だったから、俺達の他にもたくさん人が降りた。 「ねえ」 そのまま一緒に階段を上っていると、ゆりこさんが口を開いた。 「これから暇?」 「はい、まあ…」 たぶん俺は、彼女にも分かるくらいの警戒を滲ませていたと思う。 自分で言うのも何だけど、顔が良いせいで、俺はよく女性からお誘いを受ける。 それこそ子どもの頃からあまりにも頻繁だったので、嬉しさもありがたさも無くなって、結局はわずらわしさだけが残ってしまった。 「じゃ、うち来ない?」 「家、ですか」 俺は益々警戒した。 むしろ警戒を垂れ流しにした。 「そう、私の家」 しかし、彼女は怯むことも、高慢だと不快感を表すこともなかった。 「私の家ね、三階建てなんだけど、一階でカフェをやってるの」 「あ、図書館カフェ…?」 「そういう呼び方をする人もいる」 ゆりこさんはそこで初めて、感情をあらわにしたような声を出した。 かすれた不機嫌そうな声だ。 「私は全然、本とか好きじゃないんだけど。先代だった父が好きでたくさん置いてあったのをそのままにしてるだけ」 「そうなんですか。実は昨日、アパートの管理人さんにおすすめしてもらって、行こうと思ってたんですよ」 偶然ですね、と俺は言う。 バッグの中には、おじさんの手書きの地図がまだ入っていた。 「ふうん。なら行こうよ。それが良いと思う」 と言ったゆりこさんは、もう元の淡々とした口調に戻っていた。 [←] | [→] |