04 鍵を開け謙也を先に入れると、彼は玄関で鼻を啜り「ペンキ臭い」とこぼした。 「リフォームしたばっかやからやろ。ちゅうか、お前の部屋やってそうやん」 その後ろで靴を脱ぎながら、言う。 「あー、あれな。俺は断ったから。一ヶ月も部屋空けなあかんし、何か無くなったら嫌やし」 「断れるんや」 「希望制で、別に嫌ならいいですよってな。廊下とか階段とかもやっとって、ちょっと不便やったなあ、あれ」 と謙也も靴を脱ぎながら、顔をしかめていた。 俺がキッチンでコーヒー用のお湯を沸かしている間、謙也は部屋の中をぐるぐるとしていた。 廊下から一続きなので、開きっぱなしのドアの向こうに、謙也の姿が見えたり消えたりして可笑しかった。 「謙也の部屋と同じやろ」 コーヒーの入ったマグカップを二つ、真ん中のローテーブルに置く。 俺の向かいに、ベッドを背もたれのようにして、謙也も腰を下ろした。 「間取りは一緒やのに、置いてあるもんが違うとこうも違うんやなあ思って」 と言って、マグカップに手を伸ばした。 「…ん?あれ、白石、ブラック飲めるようになったんや」 謙也が、俺の手元にあるマグカップの中を覘き込んだ。 痛いとこつかれた、と思った。 四年前の俺は、砂糖と牛乳をたっぷり入れないと、コーヒーを飲めなかったからだ。 顔も体形もなまじ大人びていただけに、そのギャップが面白かったのか、謙也にはさんざん笑われたのを憶えている。 「へえー、あの白石がなあ」 謙也も思い出したのか、にやにやとした。 「もう大人やからな」 「うん、そりゃそうやな」 もっとからかわれると思ったのに、意外にも、謙也はすぐ納得したように頷いた。 床に置きっぱなしになっていたバッグを引き寄せて、中から箱を取り出した。 「あ、饅頭!食べるん?」 謙也が声を上げた。 「うん」 包装紙に貼られたセロテープを丁寧に剥がしていく。 謙也はそわそわとその動作を見守っていた。 包装紙を折りたたみ、箱を開けた。 「はい」 「おおきに」 一個一個セロハンで包まれたそれを受け取ると、謙也はすぐに包みを破って、ぱくりと口に入れた。 「美味いなあ。久しぶりの味や」 俺も一口かじってみる。 確かに美味しかった。 でも俺は久しぶりじゃなかった。 「何個でも食べてええよ。余ったら持って帰ってもええし」 「太っ腹やん」 「やって、元々、お隣さんへのお土産やし」 「あ、そっか」 お土産、といっても、思い出すのは四年前のことだ。 中学三年の夏、テニスの全国大会が東京で行われた。 準決勝で敗退した俺達は、出番の無い決勝戦を観戦してから、大阪に帰った。 その日の学校からの帰り道、謙也が俺の家に寄った。 珍しく謙也の方から、寄りたい、と言ってきたからだった。 俺の部屋まで来ると、謙也はしばらくぼうっと隅の方で座っていたのだが、やがて小さな嗚咽を漏らし、泣いた。 始めは突然泣き出した謙也に、おろおろと焦っていた俺だったが、何も言わずに静かに涙を流す謙也を見ているうちに、つられるようにいて泣いていた。 なんでやろう。 準決勝で負けた時は泣かなかったのに。 長いこと二人して泣いていた。 何か喋ったような気もするけど、それは覚えていない。 そうして泣き止んだところで、ようやく俺は、謙也は泣きに来た、そして泣かせに来たんや、と気がついた。 俺はいつも、謙也の意図に気づくのが遅いんだ。 なぜお土産でこのことを思い出したかというと、散々泣いた後で、何を思ったのか二人で、家族へのお土産として買っていた「東京バナナ」を食べたからだ。 どうしてそんなことをしたのか分からない。 でも俺達は、八個入りの「東京バナナ」を、何か大きな敵でもやっつけるようにして、ひたすらむしゃむしゃと食べたのだった。 外が暗くなってきたので、カーテンを閉めようと立ち上がると、謙也も「長居してもうたし、そろそろ帰るわ」と立ち上がった。 「お隣にな」 「そう、お隣に」 カーテンを閉めてから、玄関まで謙也を見送った。 スニーカーを履いた謙也が、こちらに向き直る。 手にはお土産の饅頭の残りを持っている。 「んじゃ、お邪魔しました」 背を向けた謙也がドアを開け、その向こうに行くのを見ていた。 「…っあ!」 ドアが閉まる直前、くるりと謙也は振り返った。 「これからよろしくな!お隣さん!」 ばたん。 ドアが閉まった。 [←] | [→] |