05 繋いでいた手がやんわりと離された。 今度は俺も従った。 謙也が連れてきたのは『彩菜堂』だった。 ガラス窓から、ゆりこさんが客と話しているのが見える。 謙也もそれを一瞥したが、店の中には入らず横の階段を上がって行く。 階段を上りながら謙也がポケットから取り出した鍵を見て、ああそうか、と俺はようやく思い至った。 「謙也の本当の家はここなんや」 思わず呟いた俺の言葉に、振り向いた謙也は困ったように眉を下げた。 「はとこやねん、ゆりこさん。大学に近いからって、今年から居候させてもらっとる」 思えばずっと不思議だった。 雇い主とアルバイトにしては、ただのご近所さんにしては、近すぎる距離。 変だろう。 やって来たアルバイトを帰さずに家に上げるのも。 せっかく上がったのに雨の中わざわざコンビニに出掛けるのも。 自分は店内にいて、アルバイトとその友達だけを家に残すのも。 どう考えてもおかしい。 もちろん世の中にはそういった関係もあるかも知れないが。 謙也たちがそうだとは思えなかった。 初めて会った日、ゆりこさんが怪訝そうな顔をしていたのは。 毎日会っているはずの謙也に、久しぶりだと言われたからで。 台風の日、謙也がアパートの廊下に立ち尽くしていたのも、鍵をなくしたからじゃなくて。 毎朝のように一緒に登校する俺を迎えに来たんだ。 台風で休校になった俺が一向にドアから姿を現さなくて、途方にくれていたのかも知れない。 ああ、そういえば謙也と会うのはいつも廊下だった。 彼がドアから出てくるのなんか見たことがなかった。 俺の部屋には遊びに来ていたけど、反対に俺が謙也の部屋に行ったことは一度もない。 あの雨の日も、謙也はただ家でくつろいでいただけだったのだ。 エスプレッソサーバーが使い物にならなくなった臨時の休日。 業者を待つ間、甘いものでも食べないかとゆりこさんが誘う。 謙也は喜んで頷いたはずだ。 あるいは、自分がおつかいをすると言ったかも知れない。優しいから。 とにかく二人はコンビニに行く。 そこでちょうどコーヒーを飲もうと……この際だから言ってしまうと謙也に会いに行こうと、していた俺とはち合わせる。 ありえる話だった。 むしろそうとしか思えなかった。 そういえば謙也は、あのDVDの山から、観たいものをすぐに抜き取っていた。 自分はいつでも観られるから白石の観たいものにしよう、とも言っていなかったか。 それを単に、謙也は優しいなあ、とか、そんなに頻繁にこの家に上がってるんやなあ、とか思った俺はいっそ可哀想だ。 全部、そういういうことだったのだ。 謙也はゆりこさんの家に住んでいたから。 『遠い親戚のお姉さん、親しいアパートの管理人さん、はとこの優しいお姉さん』 侑士くんの言ったあれは全て本当だったのだ。 家族愛。まさにそれだ。 「もしかして侑士くんも?」 「おん」 謙也が靴を脱いでたたきに上がる。 「ただいまあ……」 と小さな声で言う。 返事はなかった。癖なんだろう。 俺もサンダルを脱ごうと靴箱に手をかけバランスを取る。 前に来た時には気づかなかったが、靴箱の上には写真立てがあった。 ゆりこさんと、今はどこか外国に行っているという旦那さん。 見知った親戚の優秀な子ども達が番犬代わりだとしたら、さぞかし彼も安心だろう。 「ゆりこさん達はどこまで知っとるん?」 廊下を進む。 「俺がここに住んでるのを、白石に隠してるのは」 謙也がドアを開け、リビングに入っていくのに続く。 「けど俺が……。白石の隣の部屋に住んでることにしてたとは知らへんよ。俺一人が勝手に……。……勝手に、嘘ついてた」 心底苦しそうに、謙也は言った。 俺がどう応えるべきか分からず、ぐちゃぐちゃと考えているうちに、謙也が持っていたビニール袋を持ち上げて言った。 「これ、置いてくるな」 [←] | [→] |