03 そろそろおいとまするわ、と謙也が立ち上がった。 三時を過ぎたところだった。 「鍵は?」 と俺は当然の疑問を口にする。 「それな、よく考えたら、店に忘れて来たような気がすんねん」 「そうなん?」 「たぶん。こないだバイトの時に、テーブルに置いたまま帰ったような…。どうせ四時からバイト入っとるし、ちょっと早目に行って捜してくるわ」 「そか」 「雨宿りさしてもろて、おおきにな」 に、と謙也は笑った。 「なあ、その傘壊れとるんとちゃう」 玄関まで見送ったところで思い出し、俺は謙也が右手に持った傘を指して言った。 「これ、持ってき」 と同じような透明の傘を渡す。 「ええの?」 「もう一本持っとるから」 「じゃ、遠慮なく」 使わせていただきます、と傘を拝むようにしてから、謙也はドアを開けた。 びゅうっと風が吹き込んできた。 「気いつけや!」 雨と風の轟音にかき消されないように叫んだ。 「おん!おおきに!お邪魔しましたっ!」 同じくらいの叫び声を残して、謙也はドアの向こうに消えて行った。 喉が渇いたのでお茶を淹れようと思ったら、コンロの上のフライパンに何かが乗っかっているのが目についた。 「あ、卵」 そういえば、オムライスのことをすっかり忘れていた。 卵を買いに行こうとしていたんだ。 というか、今日まだ何も食べていない。 ぐう、とお腹が鳴ったような気がした。 「…チキンライスでええか」 フライパンを再び火にかける。 俺も四年の間に、完璧への興味が薄れたのかも知れない。 妥協とも言う。 その日は、起きた時に感じた身体のだるさが夜になっても取れなかったので、早目にベッドに入って寝た。 しかし、次の日になっても一向に良くはならなかった。 兆しすら見えなかった。 むしろ、悪化していた。 身体のだるさに加えて、頭も痛くなった。 それでもなんとか学校には行った。 朦朧とした頭には、教授の話なんて一つも入ってこなかったけど。 そういえば、今日は朝謙也に会わなかった。 家に帰るとすぐに、実家から持ってきた風邪薬を水で流し込んだ。 その時にはもう、身体のだるさなんて少しも気にならないくらい、頭が痛かった。 着替えるのも辛くて、ジャケットを着たままベッドに入り、明日には良くなってますように、と祈りながら寝た。 翌日、俺の祈りも空しく、風邪は悪化する一方だった。 起きた時点でもう夕方という有様だったけど、あのまま二度と起きないよりはマシだったと思うことにした。 風邪薬を飲んで、すぐにまたベッドへ。 身体の内側は焼けてるんじゃないかと思うくらい熱いのに、肌に当たる空気は寒くてしょうがなかった。 これは確実に熱が出とる、と思ったけど計る気にもなれなかった。 というか、熱が出てると分かってるのに今更計ってどうするんだ。 俺はベッドの中で、がたがたと震えながら目を閉じて無理矢理に眠った。 再び起きたのは、鞄の中の携帯電話が鳴っていたからだった。 頭が痛すぎるので到底出る気にはならず、最初は無視していた。 しかしあまりにもしつこいので、仕方なくベッドから這い出て鞄のところまで行き、通話ボタンを押した。 「…も……も」 もしもし、と言うつもりだったのに、出てきたのは言葉にならない呻き声だった。 「白石!?どしたん!?」 ああ、謙也やったんか。 ちょお、お前の声うるさいわ。 熱のせいで、謙也の声が、ぐわんぐわんと二重三重に響いて聞こえた。 「お前!大丈夫か?変やぞ!?」 「…頭…痛い…」 それだけ言うのが精一杯だった。 電話の向こうで、謙也が何か言っていたが、やはり響いていてよく分からなかった。 今行くからなって聞こえたような気がしたけど、たぶん幻聴だと思う。 [←] | [→] |