02 台風の風に負けないように、勢い良く廊下に飛び出すと、すぐ隣のドアの前に人が立っていた。 すぐに、それが謙也だと気付く。 声を掛けようとして、俺は迷った。 なにやら様子がおかしかったからだ。 廊下につっ立っている謙也は、自分の部屋のドアをぼうっと眺めていた。 帰って来たところなのか、ずぶ濡れで、持っているビニールの傘も骨が折れているように見える。 肩を下げ、弱々しい表情で。 途方に暮れている、という表現がぴったりだ。 どう声を掛けようか迷っていたら、謙也の方が俺に気づいてしまった。 はっとしたように目を見開いた後で、また元の表情に戻ると、「白石…」と頼りなさげに呟く。 俺は急いで謙也のところに駆け寄る。 「どないしたん?台風ん中出たら危ないやろ」 自分のことは棚に上げて、俺は語尾を強めた。 掛けるべき言葉を迷った結果、結局説教のようになってしまった。 謙也は何も答えない。 そこで俺は、咄嗟に思いついたことを言ってみた。 「あっ!鍵!鍵無くしたん?」 「…うん」 なんだそりゃ。 謙也を部屋に入れ、バスタオルを貸した。 「すまん」 「いや、ええよ。でもびっくりしたわ。あんなとこに、あんな顔でつっ立って、びしょびしょで。何かあったのかと思うやん」 「あんなとこに、あんな顔?」 「こんな顔」 と先ほどの謙也のしょぼくれた顔を真似してやる。 「そんな顔してへん!」 と謙也は抗議の声を上げた。 「してたしてた。しりゃいしいってな」 「なんやそれも俺の真似か!似てへんにもほどがあるやろ!」 「似てるって。もう一度やったろか?」 「いらんわ」 下唇を突き出して、拗ねる謙也が可愛らしい。 「でも阿呆やなあ。鍵無くすとか」 「う…返す言葉もございません」 「ハハ、な…鍵無くすっていうと、あれ思い出さん?」 「あれって?」 「ほら、四年前、謙也んちが旅行に行ってた時の」 「あー、あれか」 中学二年の冬、俺と謙也は部室にいた。 部誌を書く俺を、謙也が一緒に帰ろうと待っていたのだ。 自分で待っていると言ったくせに、待ち時間が苦手な彼は五分置きくらいに「なー、まだ?」と俺を急かした。 その「なー、まだ?」が聞こえなくなったな、と思っていると、それまで鞄をごそごそと漁っていた謙也がいきなり立ち上がり、「鍵無い!」と叫んだのだ。 「どうしよう!」 「は?」 「白石!俺、鍵無くしてもうた!」 「鞄の中は?」 捜したやろうな、と思いつつも、そう提案した。 「見たけど無い!」 「もう一度見てみ」 「おん…」 謙也はまたごそごそと鞄の中を捜してから、もう一度「無い」と言った。 「その辺に落ちてるんちゃう?」 「無いもん」 「もんて…」 謙也は泣きそうな顔をして俯いている。 どうしてそんなに必死になるのかが分かるのは、部誌を書き終わって、俺も一緒に捜し始めてからだった。 「明日になったら出てくるかもしれへんよ」と言った俺に、謙也は「明日じゃあかん」と切羽詰まった声で言った。 今日から旅行に行っているから、明日にならんと家族の誰も帰って来おへん、と。 それを聞いてようやく事の重大さに気付いた俺と、謙也は二人、必死になって鍵を捜した。 あの時の謙也も、さっきのような顔をしていた。 「大変やったなあ」 俺はしみじみと思い出に浸る。 「結局、どっから見つかったんやったっけ?」 「あれや、なぜか、財前のロッカー開けたらぽつんってあって」 「せや!次の日あいつに詰め寄ったら、『知らんっすわ。濡れ衣や』ってめっちゃ冷たくあしらわれてなあ」 「そうそう」 「今でも俺はあの犯人は光や思てんねん」 「濡れ衣や」 と苦笑いを返す。 「せやけどな、あん時の白石、ちょっと格好良かったで」 謙也は突然、そんなことを言った。 「大丈夫や!もし見つかんなかったら、俺も一緒に学校泊まったる!って、ちょっとだけ格好良かった」 「おおー…、もっと褒めてもっと褒めて!」 嬉しさがじんわりと広がっていくのを誤魔化すように、俺はふざける。 「お前の家に泊めてくれるっちゅう選択肢は無いんかい!って微妙な心境でした」 「おい」 台風の轟音をかき消すかのように、二人して、笑う。 [←] | [→] |