「くすぐったい」 「うん」 「…聞いているのか?」 「うん」 うん、うん、と頷いているのに、仁王の手はまだ鎖骨の辺りをうろついている。 「水でも溜められそうじゃな」 「は?」 「鎖骨のこの窪んだ部分に」 とそこを指で押し込むようにした。 「いい加減にやめろ」 本気で顔をしかめてみせれば、仁王は「はーい」と笑いながら、手を離した。 そして、今度は腰にその手を回してくる。 ぎゅっと体をくっつけて、満足そうに仁王は笑った。 その顔に、さっきまでの欲情の色は少しも無い。 無邪気だ、とさえ思う。 ベッドの周りには二人分の服が散らばっていた。 それを見るたびに何度も「着なければ」と思ったけど、まだ動く気になれない。 柳はまた見なかったふりをして、代わりに仁王の髪を指で梳いた。 脱色した髪はぱりぱりと痛んでいる。 つっかえて上手く通らなかったりする。 「くすぐったい」 と仁王は目を細めた。 ぎう、と心臓が締め付けられるように痛んだ気がした。 その目には確かに柳が映っているのに、彼はどこか遠くを見ているようだった。 お前はなにを隠してる。 「泊まってきゃええのに」 玄関で靴を履きながら、仁王はぼやいた。 「急にご迷惑だろう」 「別に」 「それに明日は学校だ」 「今日もな」 お前のせいだろう。 ドアを開けて、外に出る。 「…本当に泊まると言ったら困る癖に」 「へ?」 「何でもない」 「あ、ちょ、おい、蓮二!」 さっさと歩き出した柳を、仁王が慌てた様子で追いかけてくる。 「なに怒ってるんじゃ」 「別に」 「あ、さっきの俺パクったじゃろ」 「別に」 「あー、またじゃ」 子どもじみたやり取りが可笑しくて、二人とも笑った。 「しつこく言ったから怒った?」 「今、手を繋いだら怒ると思う」 右手に忍び寄っていた、仁王の左手をぴしゃりと払う。 「なんで。誰もおらんじゃろ」 「今はだろう。あの角から、急に人が出てきたりしたらどうするんだ」 「じゃ、あの角過ぎたら繋ぐ」 宣言通り、仁王は角を過ぎてすぐに手を掴んできた。 指を絡めて、距離を詰め、口元を緩めて柳を見る。 柳も絡めた指にそっと力をこめた。 その手も指も、それ以外も全部お前のものだ、と言われているのに、ちっとも安心出来なかったからだ。 いつまでたっても自分のものにならない、今この瞬間にも指をするりと抜けて、仁王はどこかへ行ってしまいそうな気がする。 そんなことを言ったら、仁王は「馬鹿じゃな」と笑うだろうが。 へらり、と得意の嘘で塗り固めた顔をして。 [←前へ] | [次へ→] |