「あー…ええと、申し訳ない」 なんと言っていいのか分からず、とりあえず謝る。 こういうことは初めてではなかった。 誰とも知れない人と、一夜限りを過ごすのは。 だが、今回はいつもと違う。 昔の馴染みだ。 今更ながら、俺は自分の悪癖に腹が立った。 「なんだよ、謝んのかよ」 「だって、その、無理を言っただろうから」 「別に」 何でも無いように、跡部が言う。 しかし、さっきよりも機嫌が悪くなったように見えた。 座れよ、と促されて、ソファの端に座る。 「よくあるのか」 「へ?」 「こういうの」 こういうの?ああ、数え切れないくらいあるぞ。 というのはさすがにはばかれたので、「少しだけ」と答える。 「ふうん」 「あの」 「なんだよ」 「俺の携帯電話を知らないか?」 「ああ」 と跡部が立ち上がる。 そして、キッチンの方から、俺の鞄を持ってきた。 「ありがとう」 とそれを受け取る。 どうしてそこにあったんだ、とは聞かないことにした。 どうせろくなことじゃないに決まっている。 鞄の中を漁り、携帯電話を取り出す。 画面を見ると、十時を過ぎていた。 「…すまない、もう行かなくては」 と立ち上がる。 「ああん?仕事か?」 「ああ」 屋比久と約束があった。 事務所まで行くから、と彼女からの電話を受けたのが、昨日の夕方。 屋比久はいつだって急だ。 そして、時間がずれるのを最も怖れていた。 約束の時間は十二時だったはずだ。 今から出れば余裕で間に合う。 「送ってってやるよ」 跡部が車のキーをちゃらりと見せた。 「いや、良い、大丈夫だ」 「遠慮すんなよ」 と腕を引っ張られる。 頭が痛いのと気持ちが悪いのとで、俺は抵抗する気力も失せて、しょうがなくそれに従った。 だが、跡部を事務所まで来させるわけにはいかない。 表向きは普通の会社になっているが、それでも、跡部は勘が鋭いからもしかしたらということもある。 うだうだ考えているうちに、助手席に乗せられ、車は発進する。 昨日との距離の違いにまた頭が痛くなる。 そこで、急に俺は、はっとした。 記憶をなくすほど飲んだのは久しぶりだった。 特にこの仕事を始めてから、そんなことは無いようにと思っていた。 もしかして俺は、会社のことを喋ってはいないだろうか。 怖ろしくなって、記憶の糸を手繰り寄せてみるが、そこはいつまでたっても真っ黒なままだった。 結局、跡部とは駅で別れた。 「本当にここで良いのか」としつこく言われたので、こちらもしつこく、「本当にここで良い」と言って、なんとか降ろしてもらった。 薬局で効きそうもない二日酔いの薬を購入して、ミネラルウォーターで流し込んだ。 重い頭と足を懸命に動かして事務所に着くと、いつもは時間ぴったりに来る屋比久が、一時間も早くそこにいた。 「うわ、酒くさ」 開口一番にそう言われた。 「だろうな」 と返しておいた。 [←前へ] | [次へ→] |