どうして十五歳のときのことなど思い出したんだろう、とぼんやり考える。 ああ、そうだ。 昨日、跡部景吾に会ったからだ。 「おい、お前、柳じゃねえか?」 後ろから不躾に声をかけられて、俺は若干不機嫌になりながら振り向いた。 「やっぱり、柳じゃねえか」 そう言った男に見覚えは無かった。 スーツを着ているが、会社関係の知り合いとは思えなかった。 柳、と呼び捨てにされるような仕事の仕方はしていない。 だとしたら誰だろう。 派手な顔立ちだ。 外国人の血が混ざっているのかも知れない。 「おい、覚えてねえのかよ」 呆れたような、落胆したような声だった。 「すみません…。人の顔と名前を覚えるのが苦手なもので」 嘘だった。 人の名前を覚えるのも顔を覚えるのも得意だ。 必要ないと感じたデータを、どんどん捨ててしまうだけで。 「まさか」 と相手は驚いたような顔をする。 顔の筋肉が大げさに動く男だと思った。 「お前、そういうの得意だったじゃねえか」 「はあ」 「なんだよ、本当に覚えてないのか。跡部景吾だよ」 「………ああ」 その瞬間、忘れていた記憶がどっと頭に入り込んできた。 「ああ、跡部景吾か」 どうして忘れられたんだろう。 あんなにインパクトの強かった男なのに。 「思い出したよ。氷帝の」 「ああ」 「あれだな、うん、久しぶりだな」 出てきた言葉は使い古されたものだった。 「そうだな、久しぶりだ」 けれども、跡部はなぜか嬉しそうだった。 跡部景吾とは、中学生の時、テニスの大会でよく顔を合わせていた。 俺は立海大付属という、今はどうか知らないが、当時は中学テニス界最強と言われていた学校にいた。 レギュラーメンバーとして、全国大会で優勝するために毎日練習していた。 跡部は同じく全国で活躍する氷帝学園で部長を務めていた。 圧倒的なカリスマ性を持ち、一年から部長だった彼を、キングと呼ぶ人がいたのを覚えている。 馬鹿みたいだな、と思っていた。 所詮猿山の大将だろう、と。 しかし、ジュニア選抜での彼を見て、その考えは変わった。 彼は強い。 自信過剰だと思っていたが、そうではない。 自信を裏付ける努力をしているんだ、と。 それ以外でも、跡部は何かと俺にインパクトを残してきた。 コート上で指を鳴らしたり、氷帝コールという独自の応援があったり。 自分のことを俺様と呼んでいるのを聞いた時には、少し笑ってしまった。 家がもの凄いお金持ちらしく、その豪勢っぷりには、そんな世界もあるのかと驚いた。 「こんなところでどうしたんだ」 と訊ねる。 「そっちこそ」 「俺はこの駅に住んでいるから」 「あ、そうなのか」 「そっちは?相変わらず、でかい家に住んでるのか」 「いや、今は一人暮らしだ」 「とてつもなく高いマンションの最上階、か」 「そうかもしれない」 跡部があっさりと答えたので、冗談のつもりだったんだが、本当にそうなのかも知れない。 「良いな、夜景など最高だろうな」 「最高かどうか知らないが、あれが見えるぞ。東京タワーの新しいやつ」 「…スカイツリー?」 「そう、それ」 ふんふんと頷く。 「来るか」 「え?」 一瞬、跡部の言っている意味が分からなかった。 「スカイツリー、見に来るか」 「えっと…」 「どうせ帰るところだったんだろ?」 「まあ、そうだが…」 「だったら、良いじゃねえか」 ほら、早く、と腕を掴まれる。 多少強引なところは、中学生の頃と変わっていなかった。 だからだろうか。 抵抗する気も起きずに、俺はあっさりと止めてあった跡部の車に乗ってしまった。 「お前が運転するのか」 運転席に座った跡部に驚く。 俺は後ろの席に座っていた。 「まあな」 「てっきり、あの人が運転するのかと思っていた」 「あの人?」 「ミカエルさん」 中学生の頃、跡部についていた初老の執事を思い出す。 跡部はよくその人の運転する大きなベンツで姿を現していた。 「ああ、ミカエルは、辞めちまったから」 跡部は急に苦い顔をする。 「そうなのか」 「まあ、そうじゃなくても、この歳だ。自分で運転する」 「それもそうだな」 「それよりも、何か食いたいものあるか?家につまみぐらいしかないんだよ」 「いや、大丈夫だ」 時刻はもう夜の十時を回っている。 何か食べようという気分でもない。 なら良いか、という跡部の声と共に、車は発進した。 びっくりするぐらい揺れない車だった。 [←前へ] | [次へ→] |