人生は物語だ、という言葉を思い出した。 誰が言ったのかは思い出せない。 人生を物語に例えるなら、俺の人生のクライマックスはきっと十五歳のときだ。 テニスの全国大会で優勝するんだと、毎日部活に励んでいた。 学校、教室、クラスメイト、くだらない会話、部活、放課後の帰り道、親友、幼なじみ、忘れてしまった喋り声。 青春時代や黄金時代と呼ばれるものがあったとすれば、あのときだったに違いない。 と、思いながら、屋比久(やびく)の話を聞いていた。 「つまりさ、あそこはもう使えないって弟が言うから、いやまあ使えるかも知れないけど、弟が言うんだから仕方ないじゃない」 あそこ、というのは、この間弟が揉め事を起こした会社のことだった。 屋比久はその会社を潰せと言っているのだ。 屋比久のことを、俺は人から聞いた時、八木くんだと勘違いしていて、てっきり彼女のことを男だと思っていた。 だからだろうか。 彼女が多少荒っぽいことをしても驚かなかった。 「でさ、何か簡単な契約違反でもでっちあげて欲しいのよね」 「弟がそう言ったのか」 「そう、弟が。柳くんなら簡単にやるだろうって」 弟弟、と言っているが、彼女にも俺にも弟はいない。 家族の話をするほど、俺と屋比久は深い仲でもない。 弟、というのは社長の弟のことだ。 屋比久は弟の秘書だ。 前に一度、先輩の社員に、この会社で逆らってはいけない人間を教えてもらったことがある。 社長と、社長の弟と、そしてこの屋比久だ。 そう言っていた彼は、その三日後に社長を殺そうとして、死んだ。 ここはそういう会社だった。 「簡単ではない。それなりに時間はかかる」 「どのくらい?」 「一ヶ月」 「三週間にまけてよ」 屋比久が言う。 「弟が言ってるんだって」 ここでは、社長と弟の言葉は絶対だ。 俺が黙っているのを、屋比久は肯定と受け取ったようだ。 「…よろしくね」と肩を叩き、事務所から出て行った。 カツカツ、と彼女の履いている細いピンヒールが階段を下りる音がした。 折れてしまえ、と思った。 「相変わらず怖いですねえ、屋比久さん」 後輩の社員が、屋比久の飲んでいたお茶を片しながら言った。 履歴書によると、(そこに書いてあることが本当なら)俺より二つ年下で、つい二週間前に入ってきたばかりの契約社員だ。 妙な馴れ馴れしさを持っている男だった。 この事務所には、俺と彼の他には誰もいない。 彼が来るまでは俺一人だった。 「何人かやっちゃってるって噂、本当ですか?」 「まさか」 「あ、やっぱり嘘ですか」 「屋比久が自分の手を汚すわけがない。何人か殺させてはいるかも知れないが」 「うわあ」 と彼は恐怖とも感嘆ともつかない声を上げた。 「これもよろしく」 と自分の前にあった茶碗を渡す。 「はい」 「あ、そうだ」 「何ですか?」 「君は、十五歳の時はどうしてた」 契約社員の彼は、きょとんとする。 「急ですね」 「ふと思いついたんだ」 「そうですねえ。普通に勉強したりとか遊んだりとか、後は、あ、部活ですね」 「何をやっていたんだ?」 「テニスです」 テニス、という言葉に反応する。 「テニスか…」 「やったことあります?テニス」 「…少しだけ」 答えると、じゃあ今度やりましょうよ、とこの会社では到底ありえないような社交辞令が返ってきて、思わず苦笑いを返した。 [←前へ] | [次へ→] |