車は羽田空港に到着したらしい。 跡部が話している間、外の景色なんて見ていなかったけど、窓越しにも飛行機の飛ぶ音はうるさく聞こえた。 「高飛びか?」 「国内だからそんなたいそうなもんじゃねえよ」 靴を履いて車を降りる。 跡部の言った通りサイズはぴったりだった。 平日のこの時間だが、空港内はそれなりに混みあっていた。 小さな子どもが飛行場を眺めてはしゃいでいるのも見えた。 「北と南、どっちにする?」 と跡部が契約社員の彼に訊ねた。 「僕が選んで良いんですか?」 「もちろん」 「じゃあ、北で」 即答した彼に、跡部がチケットを渡した。 なるほど。 確かにチケットには、日本の最北が記されていた。 「あ!僕、ちょっとトイレ行ってきますね。飛行機って、すぐにはトイレ行けないでしょう」 言うが早いや、契約社員の彼は走って行ってしまった。 さっきのチケットを見た限りだと、搭乗時間まであまり時間は無いから、気を使ってくれたんだろう。 「座るか?」 とベンチを指差す。 緑のカバーのかかったビニールのベンチだ。 「ああ」 「で、なぜ睡眠薬など使って俺を眠らせたんだ?」 二人っきりになったら教えてくれるんだろう?と、俺はすぐに先ほどの質問を繰り返す。 跡部は黙っている。 それほどまでに頑なになる理由が分からなかった。 黙っていた跡部は、何かを言おうとしてはそれをやめるというのを繰り返した後、やはり口を閉ざした。 が、やがてぽつりと呟いた。 「好きだ」 「…は?」 よほど重要な理由なんだろうと身構えていた俺は、阿呆みたいに口をぽかんと開けて、固まった。 それが睡眠薬とどう関係があるんだ。 「ずっと好きだった。中学生の、子どもの頃からずっと」 反対に、跡部は真剣な表情でじっと俺のことを見つめていた。 「あ」 その時、急に、跡部と、十五歳の彼が重なった。 そして、あるシーンが一気に頭の中に流れ込んできたのだ。 十五歳の跡部が、俺のことを同じように真剣な瞳で見つめている。 そうだ。 人生は物語だ、と言ったのは、彼だったじゃないか。 だから、思いもよらないドラマチックなことが起きるんだ、十五歳の跡部はそう言ったんだ。 「だから、お前があの会社で働いてるって聞いたとき、嬉しかったんだ」 一番隠していたことを言ってしまったからか、跡部は堰を切ったように話し始めていた。 「お前が乾のことであの会社に入ったことを知っても、やっぱり嬉しかった。ずっと忘れようと思ってたけど、忘れなくて良かったんだと思うと、嬉しかった」 洪水みたいだ、と思った。 ダムが決壊して、どっと水が溢れてきたみたいだった。 思い出の渦に巻き込まれた俺は、跡部の話なんか少しも聞いちゃいない。 「睡眠薬を使ったのは、その…既成事実が出来れば、また会えると思ったからだ。俺がわざと腕時計隠したの、やっぱりお前、気付いてたか?」 跡部の瞳は、十五歳の頃と少しも変わらなかった。 だって、こんなに俺を映している。 重なっていた十五歳の彼が薄れて、現在の跡部と目が合う。 「…柳、聞いてるか?」 「いや、聞いていなかった」 「おい」 「でも伝わったよ」 と言って、俺は精一杯に笑ってみせた。 俺の顔はきっと、奇妙に歪んでいたに違いない。 顔に力を入れたままにしておかないと、泣いてしまいそうだった。 ドラマチックなことだったかどうかは分からない。 それでも、物語はとっくに終わったと思っていた俺にとって、それは十分に思いもよらないことだったのだ。 跡部も奇妙な顔をして笑っている。 彼も泣きそうなのかもしれない。 そうだと良いな、と思う。 [←前へ] | [次へ→] |