跡部は部屋を一周見渡してから、中に入ってきた。 右の男がドアを閉める。 「なぜ、跡部がここに?」 「あ、やっぱり知り合いだったか」 屋比久の言葉に、はっとする。 「跡部景吾、最近うちを嗅ぎまわってたのは君だね」 「嗅ぎまわっていた?」 「ああ、そうだ」 「跡部?どういう意味だ?」 「社長を殺したのも君だ」 「社長を?」 「少し違う。俺は手を貸しただけで、実際に毒を仕込んだのは違うやつらだ」 「水蜘蛛に?」 「さあ」 「社長の素性と居場所を教えたわけだ」 まったくの蚊帳の外だ。 俺の言葉を無視して、話はどんどん進んでいく。 どういうことだ? 跡部が社長を殺した? 「そのために俺と会ったのか?」 跡部は答えない。 表情を変えないまま、屋比久と向き合っている。 こっちは少しも見ようとはしない。 「理由がどうとかはどうでも良いんだ、うちとしては。ただ、弟は君を殺したがっている。だからここに呼んだ」 と屋比久は再び窓の外を見る。 「まさか本当に来てくれるとは思わなかったけど」 と言って、俺を見る。 それから再び窓の外に目をやると、「来たよ」と言った。 「弟のお出ましだ」 その言葉につられるように、俺も跡部も屋比久の視線の先を追った。 横断歩道の向こう側に黒塗りの車が止まっていた。 その中から、男が一人出てくるのが、見えた。 スローモーションのようだった。 男が一歩ずつこちらに近づいてくるのが、やけにゆっくりと見えたのだ。 小柄な男だった。 細くもなく太くもない。 髪が少し薄くなっていることを除けば、これといった特徴もない。 地味なスーツを着ているので、営業に来たサラリーマンにも見えた。 しかし、あの男が貞治を再起不能にまでしたのだ。 あと少し、ほんの数秒であの男がここにやって来る。 きっと、最初で最後の殺すチャンスだ。 拳をぎゅっと握る。 背中を冷たい汗が垂れた。 と、その時、いくつかのことが起きた。 まず、道路を歩いていた弟の身体が傾いた。 ぐらりと音のしそうな傾き方だった。 そして、そのままコンクリートの地面に横たわったのだ。 「えっ」と屋比久が言うのが横から聞こえた。 「えっ」とドアの前の男たちが言い、「えっ」と俺も言った。 「えっ」が部屋の中でいくつも起こる中、跡部だけが、俺の手を引っ張ると、一気にそこから走り出した。 引っ張られた俺は転びそうになりながら反転した。 ふと、向かいのマンションのベランダに、白と赤のボーダーがはためくのが見えたような気がした。 しかしそんなのは一瞬で、俺はあっという間に応接室のドアを抜け、階段を下り、廊下を走らされていた。 前を走る跡部に、しっかりと握られている手首が痛い。 そのせいで、俺の走り方はずいぶんと不恰好な走り方になっている違いない。 今にもつんのめりそうだ。 後ろからばたばたと足音がした。 男たちが追ってきていた。 玄関で靴も履かずに外に出ると、道路に車が飛び出してきた。 白のセダンだ。 跡部がその車に飛び乗ったので、手首を掴まれている俺も当然中に入った。 ドアが閉まるか閉まらないかのうちに、車は勢い良く発進した。 あまりの勢いに、俺は運転席のシートの背に顔を突っ込むはめになった。 猛烈な鼻の痛みに悶えていると、運転席の男とミラー越しに目が合った。 「君は…」 契約社員の彼がにっこりと笑っていた。 「時間ぴったしだったでしょう?」 と誇らしげにしている。 「ああ」 跡部もほっとしたように息を吐き出しながら頷いた。 また俺だけが蚊帳の外だ。 [←前へ] | [次へ→] |