「アビーロードみたいだったな、今」 と跡部は言った。 「は?」 突然何を言い出すんだ、と思った。 その日は、珍しく昼間に会う約束をしていた。 待ち合わせ場所の手前で横断歩道を渡ってきた俺に、跡部はそう言ったのだ。 それが何のことだか、すぐには分からなかった。 「ビートルズの最後のアルバムだよ」 「ああ」 「横断歩道渡ってくるお前が、あのジャケットみたいだった」 と笑う。 「しかし、あれは横から撮影していなかったか」 「そうだったか?」 なんとかいう画家の個展に行った。 この画家が好きなのかと跡部に聞いたら、そうではないという答えが返ってきた。 「なら、なぜわざわざ個展までやってきたんだ?」 「あれだよ。デートがしたかったんだよ」 「ふうん」 嘘だな。 跡部がなぜ好きでもないのに行く気になったのかは分からないが、その個展はなかなか面白かった。 中でも良いと思ったのは、「イン」という表題がつけられた雑木林の絵だった。 真ん中に細い道が描かれていた。 個展を出たところで、跡部は急に用事が出来たと言い出した。 「悪いが今日はここまでだ」 「それは構わないんだが」 「だが、なんだよ」 「お前の部屋に腕時計を忘れていてな、今日、どうせ行くだろうからそのとき取りに行けば良いと思っていたんだ」 それを聞いて、跡部は少し考えるような仕草を見せたが、すぐに、「勝手に取って行って良い」と言って鍵を渡してくれた。 「どこにあんのか分かってんだろ?」 「もちろん」 駅前で別れて、俺は跡部のマンションに向かった。 嘘だった。 腕時計は鞄の中にある。 忘れてなんかいなかった。 ただ、鍵を借りるのにちょうどいい口実にはなった。 ここ数日、俺の中にはある考えが浮かんでいた。 どうもおかしい、と思ったのは、最初の日のことを思い出していたときだ。 あのときの俺には、夜の二時以降の記憶がなく、気がつくと朝で、ベッドの上に裸で眠っていた。 そして、そんな俺に跡部は、自分たちが関係を持ったようなことを言った。 もちろん俺には記憶が無いから、信じるほかない。 でも、もし、そうじゃなかったとしたら。 俺たちは実はあの夜、関係を持ってはいなかったし、俺は記憶をなくすほど酒を飲んだわけではなく、ただ眠っていただけだったとしたら。 俺は跡部の部屋を漁っていた。 だとしたら、出てくるものがあるはずだと思ったのだ。 「あ」 と思わず小さく声を漏れた。 キッチンの棚の一番下、たくさんの調味料のビンにまぎれて、それはあった。 同じようにビンに入った、白い錠剤と粉。 俺は、水蜘蛛の、販売員と名乗った男の説明を思い出していた。 「うちの睡眠薬を見分けるのは簡単なんですよ」 とその男は言った。 「錠剤の真ん中にぽちっと赤い点々があるでしょう。それが、最も危険。コーヒー一杯に溶かせば、大人でもすぐにこてんと眠ってしまいます」 そう言って、男は真ん中に赤い点のついた錠剤を俺に見せたのだ。 それから男はこうも言っていた。 「次に危ないのが、黄色。一番安全なのが青。効き目の早いのと危ない順に、赤、黄、青。信号機と一緒ですね。簡単でしょう」 あまりに自慢げに話していたので、「なら粉の場合はどう見分ければ良い」と聞けば、「粉の方はどうでも良いんです」と男はわけの分からないことを言った。 そこには四つのビンがあった。 黄色と青の点のついた錠剤と、白い粉、これもきっとそれぞれ黄色と青と同じ効果なんだろう。 やっぱり、と思った。 あの日、跡部は二本目のワインを飲んでいなかった。 そのワインの中に、最初は青の粉が入れられていたに違いない。 しかし、俺は毎日寝る前にそれを飲んでいて、抗体が出来ているため効きづらかったのだ。 だからすぐには眠らなかった。 その後にたぶん黄色の粉が入れられて、俺はいつの間にか眠ってしまったのだ。 全ての偶然は偶然ではなかったのだ。 あの日、跡部と数年ぶりに再会したのは、俺があの駅に住んでいると知っていたからだ。 跡部は俺に会いに来た。 なんのために? 俺はあの日、記憶をなくしていたわけではなかった。 眠っていただけで。 ならば、なぜ、跡部は貞治のことを知っていた? なぜ水蜘蛛が取り扱う薬を、跡部が持っている? 関係を持ったことにして、その後も俺に会う目的はなんだ? 分からないことが多すぎた。 睡眠薬を見つけて知ることの出来た情報は、俺が立てた仮説内のものしかなかった。 とりあえず棚を閉めようと思ったところで、携帯電話が振動した。 悪いことが見つかった子どものように、思わずびくっと震えてしまった。 ポケットから取り出して、画面を見る。 屋比久からだった。 「どうした」 「もしもし、君にとっては朗報よ」 「朗報?」 「さっき社長が死んだわ」 [←前へ] | [次へ→] |