「眠くないのか?」 と隣の跡部が言った。 貞治のことがあってから、俺は眠りにつきにくくなっていた。 そのため、寝る前にはいつも、水蜘蛛から買った睡眠薬を飲んでいる。 もちろん、社長が客に与えるような危険なものではなく、もっと効き目の弱いものだが。 跡部にそう言うわけにもいかず、俺は、「眠くない」とだけ答えた。 そうか、と微笑む跡部の声はふわふわとしていてハリが無いので、彼は眠いのかも知れない。 空はもう白みはじめている。 「なあ」 「なんだ?」 「乾のこと、大丈夫なのか?」 はっと息が詰まった。 「貞治…?」 ようやく搾り出した声はわずかに震えていた。 「お前、言ってたじゃねえか、大変なことになってるって」 「いつ?」 「最初の日」 あの、記憶を無くすほど酔っ払った日か。 「…大丈夫だ」 どこまでかは分からないが、貞治のことを話してしまった自分の失態に嫌気が差しながらも、かろうじてそう答えた。 「またそれかよ」 「え?」 「あの日もそうだったんだよ。詳しいことは教えてくれねえし、何を言っても大丈夫だの一点張りだし」 「それは、きっと本当に大丈夫だからだ」 と俺は答える。 内心で、良かった、詳しいところまでは話していないのか、と安堵した。 それなのに、跡部は心底不快だというように、顔を歪めた。 「俺じゃ頼りないか」 そういうわけではないんだ、と言おうとしたのに、その言葉は一瞬で彼の唇に飲み込まれていった。 そこからは話なんか出来たものじゃない。 もうお互いに体力はほとんど残っていないはずなのに、外で小鳥が鳴きだすまで、俺たちは夢中で貪り合った。 それから二週間が経った。 俺は屋比久に頼まれた仕事を進め、その合間に跡部と会っていた。 あの大衆居酒屋で四回飲み、跡部の部屋には五回行った。 居酒屋のメニューももう覚えてしまった。 跡部のお気に入りは、黒蜜のかかったアイスの他に、砂肝、揚げ出し豆腐、チョレギサラダだ。 俺は相変わらずロングピザが気に入っていて、行けば必ず頼んだ。 先に店にいた跡部が頼んでいてくれたこともあった。 跡部と話すのは楽しかった。 話すのは主に中学生の頃の思い出だ。 話すたびに懐かしい記憶がどんどん溢れ出てきて、話題につまることはなかった。 それに、同じ話が二度出たとして、青春のどこかくすぐったいような失敗談や体験談は、何度聞いても面白可笑しいものだった。 あれ以来、貞治のことが話題に上がることも無かった。 その後はそのまま別れることもあったし、跡部の部屋に行くこともあった。 飲み直してベッドに行くこともあれば、玄関からすぐにベッドに行くこともあった。 最初の日のように記憶をなくすこともなかったので、俺は行為を終えてからは、眠っている跡部の顔を、朝まで飽きずに眺めていた。 [←前へ] | [次へ→] |