次の日、俺は幸村の家の隣のアパートにいた。 幸村の家に着くほんの少し手前、携帯電話に着信があったのだ。 「アパートの方に来て。あ、301号室ね」 それだけ言うと、ブツン、と通話は切れてしまった。 仕方無しに、俺は言われた通りに、三階に上がり、一番端の301号室のチャイムを鳴らした。 「思ったより早かったね」 「ほんまそこまで来とったきに」 「家のチャイム押される前で良かったよ」 上がって、と言われて、靴を脱ぐ。 短い廊下を抜け、ドアを開けると、八畳一間が現れた。 家具は無い。 布団が一組敷かれているだけだ。 ずっと前からこのアパートを知っていて、毎日のように見ているのに、中に入るのは初めてだった。 「ここ、前に沢渡さんが住んでた部屋なんだ」 言われて、今はもう沢渡さんではない女性の顔を思い出す。 「よく分かんない誰かが寝食してた部屋よりは、見知った部屋の方が良いと思って」 「はあ」 俺は曖昧に返事をする。 「じゃ、始めようか」 「何を?」 「何って、セックスだけど」 「はあ?」 俺はあからさまに嫌悪の声を上げていたと思う。 「まさか、何するかも分かんないのに来たわけ?」 「いや、薄々、感づいとった」 「だったら良いじゃん。俺、上でも下でも良いよ」 俺はほとほと呆れていたが、幸村はいたって真面目のようだった。 「お前とは出来ん」 「なんで?」 「好きでもないやつとはしとうない」 本心だった。 「好きでもない女とはやるのに?」 「女と男は違う」 「ちがわないよ」 幸村は譲らない。 「なんじゃ、お前さん、俺のこと好きなんか」 「まさか」 「じゃ、出来ん」 「なんで」 「俺は自分のことを好きじゃないやつとはやりとうない」 「ふうん」 幸村は、まだ納得がいかないというような顔をしていた。 「じゃ、キスは」 「なんじゃお前、ほんま意味分からん」 俺はもう呆れるを通り越して、困っていた。 「俺とキスして、それで女の時みたく気持ち悪くならなかったら、仁王は同性愛者だ」 「その確め方はどうなん」 「だってこれくらいしか思いつかなかったし」 はあ、と俺はため息をつく。 「んじゃ、どうぞ」 と両手を広げてみせる。 降参のポーズにも見えるかもしれない。 「俺からするの?」 自分で提案してきてくせに、幸村は嫌そうな声を出した。 「自分からする気にはなれん」 俺も負けじと言い返す。 幸村はにやりと悪魔じみた笑いを浮かべると、ぐい、と俺の顎を掴んだ。 唇にしっとりとした感触があり、あ、本当にキスしやがったこいつ、と呑気に思っていると、割り射るように舌が入ってきた。 驚いて離れようとした頭を押さえつけられ、舌を捕らえられる。 吸ったり絡めたりと、幸村の舌は口の中でわちゃくちゃに動き回った。 そうして、ようやく解放された時には、俺の息はすっかり上がっていた。 「お前…っ舌入れよったな…!」 「だって入れちゃだめなんて言われなかったし」 幸村は、しれっと言い放つ。 罪悪感の欠片も無いようだ。 「で、どうだった」 「…嫌ではなかった」 それを聞いて、幸村は目に見えて満足した顔をする。 「よし、これで仁王は同性愛者と認定されました」 「こんなんで?」 「まあいいじゃん。楽になりなよ」 何がだ、とは思っても言わなかった。 ここ数十分で、この男には何を言っても意味が無いと学んでいた。 「幸村も同性愛者なん?」 「まさか」 幸村は肩をすくめる。 「んじゃ、なんでこんなことしたんじゃ」 別に俺が同性愛者だろうと、それに気付いてなかろうと、知ったこっちゃ無いだろうに。 「俺はね、センチメンタル病が大嫌いなんだよ」 「はあ?」 なんだ、センチメンタル病って。 「うじうじ、俺は人を好きになれないんじゃないかって思ってるやつに教えてやりたかったわけ。お前は人を好きになれないんじゃなくて、女を好きになれないんだよって。良かったね、これからは男を好きになり放題だ」 びしっと差された指を、ぴしゃりと跳ね除ける。 「つまりはあれか、暇つぶしか」 「かも知れない」 [←前へ] | [次へ→] |