海が見える町 | ナノ





小さな町に住んでいる。
町の人は大抵顔見知りで、見かけない人がいたらそれだけで話題になるような、狭苦しい町だ。
高校を卒業したら都会に出て行くやつがほとんどだが、それでも三分の一くらいはこの町に残る。

俺の家は高台に建っていて、町はほとんど見渡せる。
今年東京に出て行った姉の部屋からは小学校と中学校が見えたし、俺の部屋からは今通っている高校が見えた。
リビングから、母親の働いている区役所だって見える。
そして、どこからでも海が見えた。


「ちょっと、雅、朝ご飯くらい食べて行きなさいよ」
母親が睨むのは毎回のことだから、適当に返事をしてあしらう。
「無理だよ、だって、雅にぃ低血圧だもんねえ?」
「どこで覚えたの、生意気ねえ」
まだ幼い弟の言動は可愛らしい。
が、俺は本当に低血圧なので、朝はそれすら鬱陶しい。
ギリギリまで寝ているから、顔を洗って歯を磨いて髪を整えたら、もう出る時間だ。
それでも、半分くらいは遅刻する。

「もう行くけぇ」
「もう、お昼はちゃんと食べなさいよ!」
「いってらっしゃーい」
外に出ると鬱陶しいくらいの五月晴れで、俺は益々頭が痛くなった。


うちに父親はいない。
俺が小学生の時に殺された。
不倫相手に刃物で刺され、冷たい海に投げ捨てられたのだ。
まだ小さかった俺と姉と、それから弟を妊娠したばかりの母親を残して。
相手の方も一緒に死んだらしい。
父親には俺たちが、相手にも子どもがいたにも関わらず。
俺の父親は、随分と自分勝手な人間だったんだとその時知った。

このことは、当時はかなり大きな話題になった。
あちこちから、大変ねえ、とか、可哀想にねえ、と言われたのを覚えている。

本当に大変だったんだ。
一番大変だったのは母親だ。
母親は自分のせいで父親が殺されたと思い込んでいた。
自分がちゃんとしていれば、父親は不倫をせず、殺されることもなかったと。
そんなのは単なる強迫観念だ、思い込みだ、と言ってくれる人も誰もいなかった。
あの時のことを考えると、今こんな風に何事も無かったかのように過ごしているのが信じられないくらいだ。
それでも、時間が経つにつれて母親は復活し、今となっては父親の不倫や死はまったく無かったものとして扱われている。
俺だって同じだ。


「うわ、余裕っスね。あと五分っスよ」
のろのろと道を歩いていると、後ろから走ってきた後輩に声をかけられた。
せっかく走ってきたというのに、その後輩は俺のゆっくりとした歩調に合わせて歩き出す。
「お前さんもな、赤也。俺に合わせとったら遅刻じゃよ」
「ですよねー」
頷きながらも、赤也はちっとも走ろうとはしない。
まあいいかと思って、そのまま二人でたらたらと歩く。

町に高校は一つしかない。
その上、生徒数も少ないから、先輩も後輩も大体は仲が良い。
赤也は同じテニス部の後輩で、そりゃ他の後輩よりも仲は良いが、どうやらこの後輩は同学年より自分たちといる方が楽しいらしく、俺は少しだけ来年のことが心配になる。

「あ、そういえば、昨日、幸村部長んちの前に変な人がいたんスよ」
学校のすぐ近くの幸村の家の前を通りかかると、赤也が思い出したように言った。
「変な人?」
「変っつーか、まあ、見かけないやつ。細っこくて、肌白くて、髪さらさらで…」
「なんじゃ、可愛かったんか」
「ち、違いますよ…!つーか男だし」
「なんじゃあ、つまらん」
にやにや笑っていると、赤也は機嫌を損ねたらしく、少し早足になった。

「冗談じゃーて。んな怒んな」
「分かってますよ!」
「んで、その男がどうしたん…」
「仁王!赤也!」
「げ…」
言葉をかき消すような大声に、俺は顔をしかめて、赤也はあからさまに嫌そうな声を出した。

「お前達はまた遅刻か!たるんどるわ!」
校門の前に、眉間に皺を寄せて口を真一文字に結んだ真田が立っていた。
「さ、真田副部長こそ、もうホームルーム始まってんのに、なんでこんなとこいるんスか」
赤也が若干怯みながらも、正論を吐いた。
「まだホームルーム開始まで三十秒ある。俺は風紀委員だから、お前たちを待っていたのだ」
「やったら、俺ら遅刻と違うじゃろ。まだ三十秒ある」
「しかし教室に入った時には、もう遅刻ではないか!」
「そしたら真田も遅刻ぜよ」
「そ、そーっスよ!」
「うぐ…へ、減らず口を叩いてないで、さっさと教室に入らんか!今日は転校生が来るんだからな」
「転校生?」
遅刻と転校生にどんな因果関係があるのかは知らないが、真田のその言葉には興味を引いた。
三年のこの時期に転校してくるとは珍しい。
しかも、こんな辺鄙なところに。

「昨日、担任が言っていたではないか」
真田が眉間の皺を深めるが、俺にはまったく聞き覚えが無かった。
朝のホームルームで言っていたのかも知れない。
昨日は二時間目の途中から行った。

横にいる赤也の肩をちょいちょいと叩く。
「もしかしたら、お前さんの見たやつかもな」
「え、あ、そうっスね!」
赤也の顔が途端に輝く。
「そんなに嬉しいとは、どんだけ可愛いんか楽しみじゃのう」
「ち、違いますってば!」
真っ赤になって怒る赤也が可笑しくてまたからかっていると、前を歩く真田が、「うるさいぞ!」とひときわデカイ声で叫んだ。
ホームルーム開始のチャイムが鳴る。

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