タン、と足音がして、全身が強張った。 風呂から上がった蓮二が後ろに立っている。 髪を乾かしていないのか、水が床に滴り落ちる音がする。 「長くなってしまってすまなかったな」 蓮二が謝る声はどこか遠く、現実味の無いものに聞こえた。 俺は、ぎ、と音のしそうな動作で振り返る。 「雅治?」 「これ…」 手に持った紙を、蓮二の方に差し出す。 すると、その紙を見た途端、蓮二はみるみる青ざめていった。 「この女んこと、知っとるの?」 喉がひゅるひゅると鳴る。 「俺は知っとるよ。父親を殺した女じゃ」 言葉が上手くまとまらないうちに、ぼろぼろとこぼれてしまう。 「なんでこれがここにあるん?」 分かっているはずのことばかりが口から出てくる。 「この女、お前のなんじゃ」 「母親じゃないんか」 「やないとこんなもん持ってないじゃろ」 「ていうかここに来たのはそれが関係してるんじゃないんか」 「一番最初に俺の名前を聞いたのは」 「俺が息子だって確認するためだったん?」 「俺が息子やったから近づいたん?」 「俺を好きだと言ったのは」 母親が、俺の父親を殺したという、負い目があったから? 蓮二は何も答えなかった。 視線を下にやったまま、ずっと黙っていた。 雨の音が大きく部屋に響いている。 蓮二の髪から落ちる雫の立てる音が、その音に混じる。 蓮二が何か一言でも否定の言葉を発してくれたら、俺はそれを信じると思うのに、蓮二は唇を噛み締めて、少しも話そうとはしなかった。 違う、とただ一言言って欲しかった。 俺は立ち上がり、手に持っていた紙を蓮二に向かって投げ捨てると、部屋を飛び出した。 傘を持つのも忘れて、アパートの階段を転がるようにして駆け下り、全速力で走った。 目の奥がぎゅっと痛んだ。 口の中に入ってきた雨はしょっぱかった。 次の日、朝、携帯電話を覗くと、蓮二からの着信が六件あった。 メールも十通来ていた。 それを見る気にはなれず、俺は携帯電話の電源を切った。 その次の日は学校で、蓮二と顔を合わせるのが嫌でしょうがなかったが、大変都合の良いことに蓮二は学校を休んでいた。 蓮二が休む理由に、俺が関わっているのかも知れないと思ったが、心配する気にはなれなかった。 しかし、次の日も、その次の日も蓮二は学校に来なかった。 その日の放課後になって、俺はようやく、蓮二はいなくなってしまったんだと気付いた。 [←前へ] | [次へ→] |