夜になって、蓮二が先に風呂に入った。 俺は蓮二が風呂に入っている間、携帯電話を意味もなくぱかぱかと開いては閉じてみたり、積んである本を手に取って片っ端から最後のページだけを読んでみたりと無意味なことをして、それにも飽きたので窓を開けて雨を眺めていた。 思いっきり手を伸ばしてみたが、届かない。 そこにあるのに、屋根が邪魔して触れない。 ふと窓の外に出した自分の指先を見ると、爪が伸びているのが気になった。 これから蓮二に触ることを考えて、切ろう、と思い立つ。 蓮二が痛い思いをしたら大変だ。 「蓮二ー」 脱衣所に立って呼びかける。 ジャージャーというシャワーの音が止んで、風呂場に反響した蓮二の声が聞こえた。 「どうした?」 「爪きりない?」 「爪きり…あー…ベッドの横の棚の…えーと二段目にあると思う」 「分かった。あんがと」 一拍置いてから、またシャワーの流れる音がする。 言われた通りに棚の二段目を漁ってみたが、爪きりは見当たらなかった。 うーん。どうしたものか。 この部屋には、ここ以外にそういう細々したものをしまっておくような場所がない。 となると、一段目か三段目か。 勝手に許可の下りていないところを漁るのは躊躇われたが、蓮二がすぐに出てくる様子もなかった。 棚の一段目を開ける。 通帳や印鑑、保険証などが見えた。 ここではないだろう、と思って閉める。 三段目を開けると、今度はクリアファイルの山だった。 ここでもない、んじゃやっぱ二段目にあったんか、と三段目を閉めようとしたところで、クリアファイルの中の紙に書いてある文字に手が止まった。 亡き妹の十三回忌の法要を営むことになりました、と書いてある、あまり縁起の良さそうなものじゃない。 しかし、そこに書いてある名前には見覚えがあった。 忘れられるはずがない。 俺の父親を殺した女の名前だった。 俺は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。 それから、ぽつぽつと、いくつかのことが真っ白いところに黒いインクを垂らすみたいに落ちてきた。 「別にふらっと来たわけじゃない」 一日前、蓮二はそう反論した。 「不幸じゃない?」 父親が死んでいると話した時、蓮二は俺にそう聞いた。 「両親はいないんだ」「死んでいる」 初めて身体を合わせた後で、蓮二はそう言った。 「悪い子の子どもは悪い子」 背中の傷を見た日、蓮二はそう口ずさんだ。 「秘密だ」 なんでこんなところに一人で来たのか、と聞いた時、蓮二はそうはぐらかした。 母親と会った時の蓮二の表情はとても緊張しているように見えた。 蓮二が東京で住んでいた町は、姉が今暮らしているところと同じだった。 辿り着きたくない結論が頭の中を支配していた。 真っ白だったところを真っ黒に、ぐちゃぐちゃとその答えだけが幾重も塗りつぶされる。 「君の名前は何と言うんだ?」 初めて会った日、俺に真っ先にそう尋ねたのは。 俺が、自分の母親が殺した男の息子だと、確めるためだったのか。 [←前へ] | [次へ→] |