「あれ、雅?早いじゃないの」 区役所に着くと、ちょうど入口のところに母親がいた。 「あら?」 目ざとく隣にいる柳を見つけた母親の目が光る。 柳が体を固くしたのが分かった。 「お友達?」 「おん。こないだ転校してきた」 「あ、通りで見ない子だなあと思ったのよ」 「柳蓮二と申します」 柳が丁寧に腰を折る。 母親は、まあ、と間抜けな声を上げて、しげしげと蓮二を見つめた。 「じろじろ見すぎじゃって」 「だってねえ…すごく綺麗な子なんだもの」 「そんな」 柳の表情が強張っている。 明らかに困っている。 「もうええって。さっさと戻りんしゃい。仕事中じゃろ」 そう言って諌めると、はいはい、と肩をすくめ、彼女は階段を上がっていった。 「すまん。うるさかったじゃろ」 と柳の表情を伺う。 「良いお母さんじゃないか」 「でも、迷惑そうな顔しちょったよ」 「緊張していたんだ」 そう言って笑う柳は、いつも通りの表情に戻っていた。 やっぱり、さっきは困惑していたんだろう。 「なんだっけ。資料?出すんなら、多分、あっちじゃ」 と受付の方を指差す。 「ありがとう。では行ってくる」 柳がそう言って、受付の方へ行く。 俺はそれを見送ってから、階段を登った。 二階はどの部屋もドアが開けっ放しだ。 一番手前の部屋のドアの近くに、母親のデスクがある。 「さっきの子は?」 「下」 そう、と頷いた母親は明らかに残念そうに見えた。 「何運べばいいん」 俺はさっさと終わらせようと、先を促す。 「それ」 「それ?」 母親の指差した先を見る。 電気ポットだ。 元は白かったのだろうが、今は黄ばんでしまっている。 「え、これ?」 「そう、それ。今日新しいのが来たから、これ、もらってって良いって」 「えー…いるん?」 家に既にある電気ポットは、これよりも綺麗だったような気がする。 「いるわよ」 答える母親は自信満々だ。 仕方なく、電気ポットを抱え上げる。 「地味に重い…」 「よろしくね!」 バシ、と肩を叩かれ、よろめいた。 「袋とか、なんか入れるもんないんか」 「別に持ちにくくないでしょ」 「これ持って歩くことが恥ずかしいんじゃ」 そう文句を垂れるが、聞き入れてはもらえず、結局、俺は裸の電気ポッドを持ち帰るはめになった。 階段の下には、既に柳がいて俺を待っていた。 よたよたと階段を下りる。 「もう終わったん?」 「ああ。…それ、電気ポットか?」 おん、と頷く。 「新しいのが来たからもらったって」 「へえ、良いな」 柳の意外な反応に、驚く。 「電気ポットじゃよ」 「便利じゃないか」 「でも、もううち一個あるし…あ」 「どうした?」 「柳んち、電気ポットないん?」 「無い、が一人暮らしだし特に必要でも…」 おれの意図に気付いたのか、柳は慌てて首を振る。 「あげるぜよ」 「いや、でもお母さんがもらったんだろう?それに、さっきも言ったが必要無いんだ。やかんで十分事足りるし…」 「さっき便利って言った」 「それは…」 「どうせ、うちには一個あるんやし、二個もいらんよ。よし、今日はこのまま柳んちにピューじゃ」 と返事も聞かずに先を歩き出す。 区役所を出て、元来た道を戻り始めると、柳が心配そうな声で「お母さんは大丈夫なのか?」と言ってきたので、「大丈夫じゃ」と答える。 正直、俺は、母親がどうとか知ったこっちゃねえ、という気分だった。 [←前へ] | [次へ→] |