18 雛菊 暗くなった道をゆっくり歩いた。 柳と二人だけで帰るのは初めてだった。 キスもフェラも抜き合いもしたのに、可笑しなことだ。 帰り道の半分まで、俺達はほとんど何も話さなかった。 「顔の痣、消えたな」 ぽつぽつと、どうでも良いことを話すだけ。 この話題は、以前にも喋ったことがある。 二回くらい。進歩しない俺。 「そうだな。もう痛みもすっかり無くなった」 三回目にも、柳は律儀に答えた。 柳のこういうとこが好きなのかな、と曖昧に思う。 人の話に真剣に耳を傾けるところ。 馬鹿にしたりしないし、本当の意味で人を下に見たりしない。 優しいんだ。 「俺さあ」 俺は前を向いたままで言った。 「柳のことが本当に好きだよ」 何度も言ったこと。 柳が信じてくれなかったこと。 これからも俺はこの言葉を言うんだろうか。 分からない。 柳も前を向いたままで言った。 「分からないんだ」 夜の空気を裂くような声だった。 少なくとも俺にはそう聞こえた。 夜の空気と一緒に、俺の心まで裂く。 「どうしてお前が、俺を好きになったのか」 裂く声が続ける。びりびり。 「どうして今も俺を好きでいてくれるのか。……俺は男だ。女のような顔をしているわけでもない。それに、面倒だと思う」 そんなん、俺にも分かんねーよ。 夕方の部活中と同じように、俺は心の中で呟く。 キスをして、なんとなくドキドキしたような気がしたから? 欲望イコール恋愛の俺。 色々分からないままの俺。 進歩のない俺。 けど、ちゃんと分かっていることだってある。 「どうして好きになったのかは分かんねーよ。でも、理由が分かっても分からなくても、……あってもなくても、好きなことは変わんねえの」 もちろん柳が女でも男でも。 根拠がなきゃ信じられないと言われればそれまでだけど。 それから俺は、本当に言いたかったことを言った。 「別に好きになってくれなくても良いんだよ。柳が俺を好きじゃなくても、俺が柳を好きなことも変わらないし。でも俺が本気で好きだって、信じてくれたらそれだけですげー嬉しい」 無償の愛なんて立派なものじゃない。 むしろエゴの塊なのかも知れない。 独りよがり。そうかも。 でも俺が柳に求めていたのは、たぶんそういうことだった。 愛されていると理解すること。 しばらく歩いてから、柳は小さな声で言った。 「信じる」 今度は切り裂く声ではなかった。 柔らかくて温かい声。 初めて聞く肯定の言葉だった。 「信じている」 俺達はそこから別れ道まで無言で歩いた。 沈黙は少しも苦じゃなかった。 俺はその間、柳が幸せになることを願った。 柳が何を思っていたかは分からない。 少なくとも、俺の幸せを願ってはいなかっただろう。 それで良い。 柳は自分が幸せになることだけ考えていれば良い。 俺や、柳を襲った男子生徒や、明石さんや、いなくなった先生の幸せなんて願わなくて良いのだ。 最後のは俺のエゴだ。 もしそうなるなら、柳が誰を好きでも、誰の幸せを願っていても構わない。 本当はそう思っている。 雛菊 (希望) [←] | [→] |