バイバイ、黄色いチューリップ | ナノ

08 アリウム




柳は、あのまま家に帰った。
俺が帰るように言うと、ただ頷いて、その言葉に従った。
俺は柳の鞄を教室から取ってきて、校門まで彼を送った。
柳は、何も言わなかった。
俺も、何も言わなかった。


アリウム
(深い悲しみ)


部活を終えてから、俺は、柳の家に行くことにした。
どうしているか気になったから、というのは言い訳で、本当言うと、ただ会いたかったんだと思う。

柳は、一人で泣いてやしないだろうか。
そんな、押し付けがましい心配の気持ちもあった。


インターホンを押してから、すぐに、中から女の人の声が聞こえた。
「はい、どちら様ですか?」
機械を通した、少しざらついた声だった。
「あ、俺、柳君と同じ学校のものですけど。あの、早退したんで、配られたプリント、持ってきました」
とっさの嘘だったけど、俺にしては中々マシなもんだったと思う。
ちょっと待ってくださいね、と言われて、少ししてから、目の前のドアが開いた。

「どうもすみませんねえ」
出てきたのは、柳の母親だった。
「あの、直接渡したいんですけど、柳君の体調って…」
「ああ、だったら、部屋に行ってあげてちょうだい。体調が悪いなんて、嘘よ、嘘。あの子ってね、実はすっごく分かりやすい子なのよ」
と柳の母親は、可笑しそうに笑った。
それから、わずかに真剣な表情になって、「なんだか、珍しく落ち込んでるみたいなのよねえ」と言った。

あ、すみません、それ俺のせいかも、とは言えなかった。
代わりに、曖昧な笑みを返して、柳の家に上がった。

少しだけ嬉しかった。
落ち込むくらいには、柳は俺のことを考えているんだろう、と思ったからだ。



二階の部屋の前まで俺を案内すると、柳の母親は「ごゆっくり」と言って去って行った。

ドアをノックする。
「柳―…?」
返事は無い。
考えるのが面倒になって、返事は無いけど、勝手にドアを開けた。

中に入ると、柳の姿は無かった。
でも、ベッドの毛布が不自然なくらい膨らんでいるのが見える。
俺はその枕の辺りに寄る。

「…起きてんだろい」
そう言うと、膨らみは、もぞもぞと動き出した。
そして、毛布の間から、不機嫌そうな柳が顔を出した。
「…お前には、本当にデリカシーというものが無い」
そう言って、柳は上半身を起こした。
いつものように言い返してきたから、元の調子を取り戻したのかと思ったけど、瞼は腫れているし、頬には涙の跡がある。

「また、泣いてたのか…?」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「…俺のせい?」
俺の問いかけに、柳は答えなかった。
宙をぼうっと、見つめながら、ぽつりと呟く。
「こんなに泣いたのは久しぶりだ…」
「お前は、もっと感情を表に出した方が良いと思うぜい?」
「…無理だ」

思いつめたようなその声に、俺は、あ、また泣く、と思った。
でも、そうはならなかった。
それどころか、柳は、何かを諦めたように笑った。

「…今から言うことは、俺の独り言だ」
「え?」
「独り言だ」
念を押すように言われ、俺は、強く頷いた。


「昔、とても好きな人がいたんだ」
柳はそう言って話し始めた。

「でも、その人は好きになって良いような人では無かった。…男だったから。しかも先生」
「ええ!?」
「…独り言だと言ったはずだが」
はっとして、両手で口を塞いだ。
柳が、はあ、とため息をつく。

「…悩んだんだ、相当。俺は、もしかしたら、女を好きになれないんじゃないかとか。まあ、実際には、どちらでも平気だという結論に至ったんだが」
それもすげえと思うけど、と俺は心の中で呟く。
「性別のことだけじゃない。年齢のこと、教師であるということ。でも、そんなことはどうでも良くなるくらいに好きだったんだ。自分が、自分じゃ無くなってしまうんじゃないかと思うくらい好きだったんだ」
そう話す柳の顔は、今にも泣くんじゃないかと思うくらい弱々しかった。

「しかし、結局、卒業するまでに、彼に自分の想いを伝えることは無かった。後から、彼が教師を辞めたことを知った。なんで辞めたのかは知らない。ただ、もう二度と会えないと分かると、俺はひどく後悔した。なぜ、好きだと言わなかったんだろう、と。もし、もう一度会えたら、ちゃんと想いを伝えるのに、と」
「もう一度、会えたら…」
「…会ってしまったんだ」
困ったように、柳が笑う。
その時の柳も、こんな風に笑ったんだろうか。
どうなんだろうか。
俺には、一生、分からないことだけど。

「…それで、彼に、好きだったことを伝えた。いや、今も好きだと…。もちろん、断られると思った。拒否されると。元教え子だし。なにより、俺は男だから」
柳は続ける。
「でも、そうはならなかった。彼も、俺のことが好きだと言ってくれた」
と柳は言った。
その顔は、今まで見たどの顔よりも、悲しそうな顔をしていた。
「嬉しかった。本当に、嬉しかった。たとえ、一時の気の迷いだとしても」

俺には、もうこの物語の結末が分かってしまった。

「…俺は、自分が男だということを忘れていたのかもしれない。可笑しな話だが」
柳の言葉は、段々と脈絡の無いものになってきていると思った。
それは、まるで、本当の独り言のようだった。
「彼は言ったんだ。やっぱり、無理だと。男の俺は、無理だと」
柳の声が震える。
「何度も謝るんだ、俺に。すまない、無理だって。君の好意を無駄にしたって。すまない、すまない、許してくれ、と。何度も何度も」

それが、どういう場面であるかは、俺にも容易に想像が出来た。

「俺は、どうすれば良かったんだ?だって、彼は悪くないんだ。俺が悪いんだから。俺が好きになったりしなければ、彼を苦しめることも無かったのに。なのに、彼は何度も謝るんだ。すまない、すまない、と。ずっと。俺が、そこから立ち去るまで」

俺は、きっと、柳は一度とても傷ついたに違いないと思っていた。
確かに、それは間違いではなかった。
しかし、彼がもっとも傷ついていたのは、自分の愛した人が傷ついてしまったからだった。
自分のせいで、愛した人を傷つけてしまったと思い込んでいる。
そのせいで深く傷つき、更にはひどく臆病になってしまったんだろう。
誰よりも、愛することに。
そして、愛されることに。



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