03月15日(木)02時05分 の追記


正気の沙汰じゃない、と真田は思った。
しかし思っただけで、言葉にはしない。
というよりも出来なかった。
今一言でも喋ったら、口の中に入っているものが全部出て、とんでもないことになりそうだった。
そのため頭に浮かんだ「正気の沙汰じゃない」は飲み込み、ついでに口の中のものも飲み込もうと必死に喉を動かした。
横で丸井が、暗闇なので分からないけど最初の並び順から変わっていないのなら丸井が、げえ!と大きく声を上げた。
ついでに何かを投げたらしい。
「誰ですか!今私にコンニャクを投げつけたのは!」と憤慨する柳生の声が聞こえた。
柳生よ、それは本当にコンニャクか?


その鍋、悪魔的につき


中学での初めての夏の大会が終わり、数ヶ月が経った時だった。
急に、明日闇鍋をするから食材を持ってくるように、と幸村に言われた。
真田は正直に訊ねた。
「闇鍋とはなんだ?」

答える幸村いわく。
各自持ち寄った食材をとにかく一緒くたに鍋に放り込んで、煮る。
部屋の明かりが消された真っ暗な中、一斉に鍋に箸を差し込み、掴んだものは絶対に食べなければならない。
ただし鍋に入れて良いのは、食べられるものだけ。

この説明を聞いた真田は、「なんだ、ただの鍋か」と思った。
そう思った自分に忠告してやりたい。
ただの鍋ではない、心してかかれ、と。


翌日、途中で一緒に行こうと約束していた柳と合流し、真田は幸村の家に向かった。
言われた通りに食材、白菜と大根とニンジンを持って。
会って早々、真田が右手に提げたビニール袋の中身を見て、柳は言った。
「逆に斬新だな」
なんの逆だ?と真田は頭を捻った。
「そう言う蓮二は何を持ってきたんだ?」
「素麺」
真田は更に頭を捻った。
「なぜ素麺なんだ」
「夏にお中元でいただいたものが余っていたからな」
もしかして闇鍋とは自分が思っているよりも危険なものなのではないか?とこの時点で少し嫌な予感がした。
そして予感は、幸村の家の前でばったり会った丸井の手に抱えられた紙袋の中身、イチゴとパイナップル、を見て確信に変わった。
「ビタミンCは加熱すると溶けだしてしまうぞ」
柳が心底どうでも良さそうに言った。
真田は頭を抱えた。


窓にかかった遮光カーテンは閉められた。
部屋の明かりも消された。
さっきまで点火してあった携帯用ガスコンロも、明るい、という理由で消された。
そのせいで、真っ暗な中で手探りに放り込まれた食材には、火が通らないに違いなかった。
しかしイチゴとパイナップルを食べるのなら、まだ半生の方がマシかも知れない。
様々な食材が混ざり合った妙な匂いを嗅いで、頭が朦朧としてきた真田は、でも固い素麺は嫌だな、と頭の端で思った。

鍋を囲む七人は真田を中心に右から、丸井、柳、仁王、柳生、ジャッカル、幸村の順で座っている。
左隣の幸村が大きく声を張り上げた。
「じゃ、いただきます!」
続いて六人分の「いただきます」が揃った。

「ぎゃ!なんじゃこりゃっ!」
第一声が怯えたような叫び声だったのはいけなかった。
実際には、仁王がまだ何も食べていない癖に、周りの不安を煽るために放った言葉だったけれど、暗闇なのでそんなこと分からない。
分からないので、真田はただ怖ろしくなった。
一体鍋の中には何が入っているのだ。
しかし覚悟を決め、そろそろと箸を伸ばす。
その間にも誰かが「ひい!」と悲鳴を上げ、「おええ」と吐き出すような声を出し、「いってえ!」と到底食事中とは思えないような言葉まで聞こえてきた。

真田の一口目の食感は「ぐにゅ」だった。
味は、すっぱいと甘いとしょっぱいが、それぞれ一ずつ混ざったような。
あ、なんだイチゴか、と遅れて気がついた。
醤油と鰹だしがしみ込んだイチゴは少しも美味しくなかったが、食べられなくはなかったし、正体が分かってしまえば怖ろしくもなかった。
そんなこんなで二口目に手を伸ばした。
とにかく中身を無くして、さっさとこの闇鍋を終わらせるのだ、と真田は決意した。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
心を無にすれば、ぐちゃぐちゃに混ざった得体の知れない食材もまた、無味無臭になるはずだ。
そう信じて箸と喉を動かし続けた。
結果、歯と舌を極力使わずに食材を丸飲みにする技を身に付けた。
この技が先の人生で何の役にも立たないことだけは明白だった。

「誰ですか!今私にコンニャクを投げつけたのは!」
柳生が憤慨した。
「ジャッカルだろい」
丸井がシラを切った。
「俺かよ!いや俺コンニャク食ってねえよ。…ねえよな?」
ジャッカルが不安そうな声を出した。
「ひいー、やめんしゃい、幸村あ!」
仁王の方から不穏な声が聞こえてきた。
「俺の皿にファンタグレープを入れた罪は重いぞ!」
幸村の方からどたばたと暴れるような音がした。
「違う!ファンタオレンジじゃ!」
「どっちも同じだっつーの!シュワシュワしやがって!」
「許してくんしゃい!嫌じゃあ!おええ!ベトベトしとる!」
「おい、今俺に餅の塊を投げつけたのは誰だ」
「柳生です!」
「仁王くんいい加減にしたまえ!」
まさに正気の沙汰じゃない。
いつの間にか、暗闇から聞こえてくるものが悲鳴ではなく、笑い声になっている。
うひゃひゃ、げらげら、ケケケ、もはや人間のものじゃない。

そんな笑い声の中から、再び、悲鳴が上がった。
「いぎゃあ!」
右隣からだった。
ガシャーン、と皿を落とす音がした。
「辛い!辛い!」
丸井はひたすら叫んでいる。
「誰だよ!いきなり辛くしたやつは!辛い!」
「うるさいぞ、丸井」
と柳がなだめるように言ったが、丸井は「誰だ」「辛い」と叫ぶのをやめない。
そしていきなり辛くなったらしい鍋に手を出す勇気のあるやつはいないようで、全員の箸が完全に止まってしまった。

少しして、幸村の立ち上がる気配がした。
「一時中断にしよう」
そうしてカーテンが開かれ、電気がつけられた。
急な明るさに慣れるまで、チカチカと目の前を白く小さな玉が光った。

やがて目が慣れてきた頃、七人の真ん中で異様な空気を放っていたのは、毒々しく真っ赤に染まった鍋だった。
「悪魔じゃ。悪魔鍋じゃ!」
「悪魔の所業…」
仁王が騒ぎ、柳生が呟いた。
鼻が曲がるような、きつい匂いがする。
真っ赤な鍋は確かに悪魔じみていた。
しかしもちろん、悪魔の仕業なんかじゃない。
闇に乗じて、仁王がキムチと鷹の爪を大量に投入しただけのことだった。
結局犯人の仁王が、丸井に無理矢理キムチまみれのパイナップルを食わされ、なぜかジャッカルまで食わされ、ようやく闇鍋は終了した。


時は過ぎ、闇鍋の悪夢がすっかり楽しい思い出に変わっていた頃。
テニスの試合中、一学年下の切原が身体をみるみる赤くし、「ヒャーハッハッハッ!」と高らかな笑い声を上げたことが一部の三年生の間で、「悪魔鍋の呪い」と噂されていたことなど、切原本人は知る由もなかった。
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