防衛大学に入校して2ヶ月が経とうとしている・・・
全員が寝静まった頃、麻琴はむくりと起き上がり
「(トイレ・・・)」
先輩たちを起こすまい、と静かにドアを閉めた。
薄暗い廊下・・・私物のL型ライトを照らしながら歩いていると外から光が見えたため思わず立ち止まった。
「(おばけ・・・?)」
恐る恐る外を見ると、1人の男子学生がそわそわしながら走っているではないか。
「(こんな夜中なのに・・・外に出る? まさか)」
麻琴の中に脱柵というワードが過ぎった。
どうしたものか・・・麻琴は部屋に戻るとこっそりと部屋長の真下をつんつんとするとバッ!と起き上がった。
一旦窓を見て夜なのを確認すると、麻琴を見る。
「・・・どうしたの?」
「あ、あの・・・さっきトイレ行こうとしたら外を歩いている男子学生が居て・・・こんな時間におかしいですよね?」
そう言うと真下は顔を強ばらせると起き上がりベットを降りると靴を履く。
「男子は気づいてないみたいだね・・・ロッカーに行って携帯持ったら、すぐに追いかけるよ。」
「はい!」
「ライト持ってるね?」
「はい、持ってます」
「まだ敷地内は広いからまだ捕まえられる可能性はある。私は男子の所に行って誰か呼んでくるから先に行ってて」
こくりと麻琴は頷くと廊下を走り外へ出ていった。
「(確かここ走って・・・)」
全力で走っていると1人の男子学生の背中が見えた。当たりをキョロキョロしており、木陰に隠れながら歩いている。
「あ、あの!」
「っ!・・・真壁!?」
それは、同期の梶原だった。
「か、梶原くん!? えっと、何してるの?」
「そ、それは・・・」
「脱柵じゃない・・・よね?」
どうか正解では無いことを祈る・・・しかし梶原は合わせていた視線を下ろす。
「や、やめようよ! 脱柵してもすぐバレるし、実家に帰っても駅に行っても全部先回りされてる。逃げ場は無いよ」
麻琴は念の為持っていたスマホを取り出すと真下に連絡をしようと画面を見た、その瞬間
「ほっ・・・ほっといてくれよ!」
「わっ!むっ・・・!」
突然口を覆われて麻琴は混乱し手を退けようとしたが今度は腕を掴まれて逃げられない。
「ばか!暴れるなって・・・!」
「んん!むむむ!!」
そのまま背の低い草木に連れ込まれてしまい、麻琴は脚を引っ掛けて地面に倒れ込むとそのまま後ろに倒れる。
185cmほどある梶原と150cmしかない麻琴。頭ひとつ分以上違う体格差に勝てる訳もなく、口を抑え込まれ地面に押し倒された。
「ふっ・・・んん、んん!」
麻琴はじたばたと地面を蹴り抵抗し、腹部に蹴りを入れることが出来た。
「うっ・・・」
緩んだ手から麻琴は口を解放されると息を吸い込み
「だ、誰か!!!」
思わずそう叫んだ。
コンコン、とドアをノックをされて坂木はこんな時間に何だとドアを開けると上級生の女学生・・・4年の真下だったため小声で挨拶をした。
「男子が1人脱柵した」
「は?」
「多分うちの大隊。今うちの部屋っ子が追い掛けてる。」
「・・・脱柵ですか」
話し声で起きたのか、坂木の部屋長が起き上がると
「俺は中指に報告する。坂木、お前は捜索に回れ」
「了解!」
「真下は坂木についてってくれ」
「分かった!」
「よし、わかれ!」
その号令で坂木と真下は廊下を走った。
坂木と真下は暗い廊下を走っていると
「だ、誰か!」
遠くでそんな叫び声が聞こえた気がして坂木は反射的に立ち止まった。
「どうしたの?」
「今、誰かの声が・・・」
外を見ても暗がりで分からなかったが、背の低い草木に僅かなLEDの光が見えた。
「すみません、オレ先に見てきます!」
「ちょ、坂木!?」
幸いにも1階・・・坂木は緊急事態だと言い聞かせて窓を開けて窓枠に手を着くと飛び降りた。
LEDの光がある場所・・・坂木は駆け寄って近づくと背筋が凍るような光景があった。
男子学生が麻琴に覆いかぶさり口を塞いでいる。
さすがの坂木もこの光景は驚いて脚が固まったが、涙を流す麻琴と目が合った瞬間
「ってめェ!!何してんだ!!」
思わず脇腹を蹴りあげ、学生を吹き飛ばした。
怒りのあまり荒くなった息を吐きながら坂木は蹲る学生にライトを当てる。
「(こいつは確か・・・1年の梶原つったか・・・)」
それよりまずは麻琴だ。
動けないまま麻琴は焦点が合っておらず、仰向けになったままだ。
「真壁、大丈・・・」
「いっ・・・いやっ!!」
坂木が伸ばした手を麻琴は咄嗟に払い除けた。
先程の光景を思い出してこうなるのは無理はない、と思ったがまずは麻琴の安否確認がしたい・・・手を伸ばしても麻琴は触るなと暴れて逃げるように起き上がった。
脚に力が入らないのかそのまま木に凭れると自分の身体を抱きしめて震えている。
「真壁、大丈夫だ」
そのまま坂木は着ていたジャージのファスナーを一気に降ろすと脱いで麻琴に被せようとするが
「こ、こないで・・・」
「真壁、オレだ。坂木だ。もう大丈夫だ」
しゃがみこんで同じ目線になり抵抗されながらも広げたジャージを麻琴に無理やり巻き付けると同時に抱きしめてやった。
すっぽりと収まった麻琴はまだ小さく震えており安心させようと頭を撫でてやる。
手もカタカタと震えており手を握ってやれば緊張状態なのか手は氷のように冷えきっていた。
逃れようとする手を離すか、と強く握ると坂木は麻琴の顔を覗き込む。
「真壁、怪我は?」
「ひっ・・・・・・あ、れ?坂木さん?」
「ああ、オレだ。」
やっと正気が戻ったのか、麻琴は腕の中で坂木を見上げる。
いつも前髪を上げているのだが、今は降ろしている・・・一瞬分からなかったが相手が坂木だと認識すると麻琴は涙を溜めて
「こ、殺されるかと思いましたあああぁ!!!!」
と、大号泣し始めた。
中指が来た頃には梶原は腹を抑えて蹲っている状況、そして坂木は麻琴を横抱きにして抱えると草木を掻き分けて出てきた所だった。
真下はめそめそ泣いている麻琴を見ると慌てて駆け寄り
「麻琴はどうしたの!?」
「あ・・・えと・・・」
坂木は濁しながら真下を見ると
「あの・・・オレが来た頃には押し倒されてました。酷く混乱してたみたいで最初は暴れましたが、今は落ち着いてます。」
「は・・・え・・・?」
想定外の答えに真下も顔を青白くして戸惑うと他の部屋からも男子学生がやって来た。
坂木は下級生を見ると
「おい1年!梶原を取り押さえろ! 真下さん、オレはこのまま真壁を医務室へ」
「う、うん・・・お願い。」
坂木は頭を下げて麻琴を医務室へと連れていった。
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泣き止んだ麻琴は横抱きに抱えられたまま・・・恐る恐る坂木を見上げると
「あの、坂木さん・・・私歩きます・・・」
「あ?もうすぐだからいいだろ。」
拒否権もなく麻琴はされるがまま医務室の先生に事情を話すとどうやって転んだのか、脚を回したりぶつけた肘を入念に診察してもらうと
「特に異常は無さそうだね。肘は擦りむいてるから、消毒するよ?染みるけど我慢しなさいね〜」
「え・・・」
咄嗟に腕を引こうとするとガシッと腕を捕まれる。強い力で先生の目の前で固定されると坂木は鬼の形相で
「真壁・・・先生は忙しいんだ。とっとと済ませるぞ」
「坂木くん、助かるよ〜」
「ひ・・・!っ〜〜〜〜!」
「真壁!脚じたばたすんじゃねぇ!こんなかすり傷これから先嫌ってほど味わうんだからな!」
「(この男、鬼だ!)」
先程の助けてくれた優しい坂木はどこへやら、いつもの坂木に戻っていた。
「あの、梶原学生はどうなるのでしょうか?」
坂木の少し後ろを歩きながら麻琴は疑問を投げた。
「・・・呆れるほど面談を重ねてそれをクリアしちまえば、まあ退学だな。ただ、簡単には辞めれねぇ」ぞ。・・・宣誓文を書いたの覚えてるか?
「はい・・・」
「あれは一見普通の宣誓文だが、「入校式で誓った宣誓文に嘘をついた」と嘘つき呼ばわりされる呪いが掛かってる」
「ひえ・・・梶原学生、プレスが苦手だから私に教えてくれないかって頼んできた時もあったんです。私に勉強聞いてきたり、真剣だったのに・・・」
「あ?アイツは・・・・・・」
坂木がそう言いかけて口を開いたまま固まった。どうしたのだろう?と麻琴は見上げると
「あー・・・どうせ、内恋でもしたんだろ」
「内恋・・・って、確か防大内部での恋愛は禁止でしたよね」
「まあ昔ほど厳しくないがな。こっそり付き合ってるヤツらも居るし、行き過ぎた内恋は教官から指導が入る。・・・ただ新入生は別だ」
確かに、基礎を身につけなければいけない1年生・・・そんな暇をしているなら先輩から注意されずに1日を過ごす事に集中した方がいい。
「(坂木さんは内恋とかしなさそうだな〜むしろ恋愛下手そう。まあ鬼だし・・・誰も近づかないか)」
「お前、なんか変な事考えてねぇか?」
「い、いえ!」
麻琴は全力で否定をすると
「そんだけ元気ありゃ大丈夫だな。ほら、とっとと寝るぞ」
突然早歩きになった坂木。
慌てて麻琴も追いかけ、坂木に並ぶと
「あのっ、坂木さんっ!」
「あ?」
麻琴は少し照れくさそうに目を合わせてから逸らすと
「・・・あの、助けてくれてありがとうございました。正直、めちゃくちゃ怖かったです」
素直にそう言うと坂木も一旦目を逸らし、麻琴と頭をガシガシと乱暴気味に撫でると
「おう。お前も、慌てずによく報告してくれた。」
撫でてからぽんぽん、と軽く叩くとそのまま学生舎に入りお互いのフロアへと戻るのであった。
・・・連行された梶原は面談を重ねて退学という形となった。むしろ、脱柵だと校内でバレているので肩身は狭いだろう。
そして、麻琴の被害状況を聞いた教官は念の為・・・と1週間ほど精神的なケアで静岡の実家に療養するようにと言い渡された。