「真壁!」
「ふぁい!」
次の日、午前の課業を終えて1学年の遠泳訓練の応援をしに行こうとしていた所・・・学生舎のホールで突然名前を呼ばれて振り向く。
そこには、航空要員の訓練から帰ってきたばかりの坂木が立っていた。
「坂木さん、おかえりなさい!お疲れ様です。」
「おう。 真壁、ほらよ」
ポイッと渡されたのはメガホン。
何だ?と首を傾げていると今度は西脇がやってきた。
「1学年の応援だ。短艇に乗って近くまで行くから真壁、お前が艇指揮をとれ」
「私がですか・・・?!」
突然の事に驚いていると坂木は麻琴の手首を掴むと
「時間がねぇ!ほら、走るぞ!」
「はい!」
坂木に引きずられポンドへ向かうと他の大隊も同じらしく短艇に乗り込んでいる。自分が指揮して良いものか・・・と乗り込んでいく先輩たちやシンチャイ、松原、松平を見つめていると
「真壁、モタモタすんな。行くぞ!」
船から手を差し出してきた坂木。
麻琴は頷くとその手を取り、艇に乗り込んだ。
無事に1学年の遠泳訓練を終え、あとは夏季休暇のみだ。入浴を終えた麻琴はお風呂セットを持ちながら1大隊へと向かっている。
1学年は遠泳で疲れ果てているため、人気が少ない。麻琴は時折すれ違う上の学年に挨拶をしながら今日の出来事を振り返った。
「(もう2学年の夏季休暇・・・早いなぁ)」
麻琴達が1年だった頃を思い出す。1学年もあっという間だったが、2学年もあっという間だ。そう思うと、1日1日を大切せねばという思いやちょうどこの時期時計が壊れて坂木がご褒美にと時計を買ってくれたのを思い出した。
もちろん、その時計は今でも大切に使っており壊れる気配もない。坂木同様、今でも同じ時計を使っておりふふ、と思わず時計に頬ずりをしてしまう。
「そうだ、乙女ちゃんに何か買っていこうかな。」
遠泳の疲れを取るため、予備に持っていた湿布以外にも飲み物やお菓子を差し入れしようとUターンしPXへ向かおうとすると、建物の暗い影から会話が聞こえた。
「遠泳、頑張ったな」
「うん! あっゼリー、ありがとう」
「おう」
聞き覚えのある声・・・麻琴はキョロキョロと辺りを見渡し、固まってしまった。
建物の暗い、視界に入りづらい所に2人の影。
その相手は坂木と麻琴の対番である乙女・・・坂木は乙女と話している最中だった。
「っ・・・!」
思わず手の力が抜けて、お風呂セットのカゴを落としてしまった。 ガシャン、とプラッチックの大きな音が響き、2人は慌てて顔をこちらに向けた。
坂木は麻琴だと認識すると目を見開いて
「真壁」
「あ、えっと・・・あっ!こ、こんばんは」
動揺しながらも麻琴は敬礼をせねばと敬礼をする。そして震える手でお風呂セットのカゴから飛び出したシャンプーや服、タオルを慌ててカゴに放り込んでいる間に乙女と何か小さく会話した後、坂木がこちらにやって来ていた。
「で、では・・・し、失礼します!」
「おい!待て真壁!」
坂木がやってくる前に頭を下げるとダッシュで1大隊の建物を目指そうとするが肩を掴まれてしまった。
「真壁、話がある」
「すみません。私まだ課題が残ってるので・・・後日で」
「後日じゃ駄目だ、今がいい。こっちにこい。」
二の腕を強く掴まれて先程2人がいた建物の死角に連れていかれる。
今の自分は酷い顔をしているはずだ。出たばかりの風呂だと言うのに嫌な汗が背中を伝い、チラッと顔を上げると坂木の後ろで不安そうにこちらを見つめる乙女と目が合った。
「聞いてくれ。オレと、岡上学生との関係だ」
そんな事、言われなくても分かる。
しかし先輩の言う事だ、従わなければ・・・と麻琴はギュッとカゴを抱きしめると俯いたまま坂木に向き直った。
「真壁、こっち見ろ」
恐る恐る顔を上げると坂木は真剣な顔で麻琴を見つめてくる。坂木は深呼吸をしてクイッと親指で乙女を指すと
「岡上学生は・・・オレの妹だ」
岡上学生は
オレの妹
妹
兄妹
麻琴は目を見開いて坂木をじっと見つめると
「・・・・・・・・・え?」
「真壁さん、黙っていてすみませんでした!」
すると今度は乙女が麻琴に向かって深々と頭を下げてきた。
「妹?え?坂木さんと、乙女ちゃ・・・ああっ!」
麻琴は大声を出してしまい慌てて口を抑える。
確か去年の夏、坂木は麻琴に知り合いが防衛大学校に入りたがっていると相談してくれた日があった。
「じゃあ、去年知り合いが防衛大にって」
「ああ。コイツの事だ」
「でも、お2人は苗字が・・・」
「ウチは親が離婚してるからな。 オレは父親の姓、乙女は母親の姓を名乗ってる」
あぁ、なるほど・・・麻琴は口をあんぐりと開けたまま坂木と乙女の顔を見比べる。
「(・・・に、似てない)」
坂木の妹、聞いた時はどんな子だろうと色々と想像していたがまさかこんな美少女だったとは。
空いた口が塞がらずにいると坂木は
「おい真壁。今お前『似てない』とか思ったろ」
「えっ」
「ぶふっ」
図星を突かれた麻琴。
すると乙女が吹き出して大笑いし始めた。
「おい乙女、何笑ってんだ」
「ふふ・・・ごめんなさい、兄さん。私も去年の事思い出してて。やっぱり電話越しに聞こえてたのは真壁さんだったんだなぁって」
乙女は笑いすぎたのか目元の涙を拭いながら
「ここに来た時対番が真壁さんと聞いてもしかして?と思っていたんです。」
「真壁、黙ってて悪かった。本当は前期が終わったら話すつもりだったんだ。・・・今後とも、うちの妹をよろしく頼む」
そう言うと坂木は足を揃えて背筋を伸ばすと頭を下げてきた。それを見た麻琴は慌てて手をブンブン手旗信号のように振り回すと
「そんな!坂木さん!あ、頭上げてください!乙女ちゃん、本当に優秀な子なのでむしろ私で良いんですかってくらいのレベルなんです・・・」
「そんな事ありません!真壁さんの方が凄いです!」
「そんな事無いよ!」
「そんな事あるんです!」
乙女も拳を握って力説すると坂木はお前ら落ち着け、と制止をかける。
「この事は4学年のヤツらと教官しか知らない。他言無用にしてくれると助かる。」
「もちろんです」
「ありがとう。 ・・・ほら、乙女。お前はもう休め」
「はーい。それじゃあ、ごゆっくり」
うふふ、と乙女は意味深に笑うと坂木は「こら」と怒る。駆け足で帰っていく乙女を見送ると麻琴は壁に凭れへなへなと座り込んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「いえ・・・はぁ・・・そういう事かぁ〜」
乾布摩擦の時の坂木の視線、やたらと麻琴の対番を気にかける坂木・・・全てに合点が行きとんでもない誤解をしていた、と麻琴は顔を赤くして頬を抑えた。
「何がだよ」
「いえ・・・その」
「言ってみろよ」
視線を合わせるように坂木もしゃがみこむと、麻琴は帽子を外して赤くなった顔を隠すと
「・・・乙女ちゃん、可愛いので」
「おう」
「(否定しないんだ・・・) 坂木さん、よそ見しちゃったのかなって・・・焦りました」
聞こえるか聞こえないか、か細い声でそう呟くと坂木は黙り込んでしまい恐る恐る帽子を顔から外すと
「はあぁ・・・」
と大きくため息をつかれた。
「坂木さん?」
「ったくお前は・・・かわ」
「川?」
「・・・チッ、なんでもねぇよ!」
「ぐえっ」
突然坂木が麻琴の半乾きになった頭をグリグリと乱暴に撫でると、複数の会話が聞こえてきたため坂木は壁に両手を着いて隠れた。
「さ、さささ坂木さん・・・!」
「うっせ、静かにしろ」
俗に言う壁ドンというもので坂木の喉仏が至近距離にある。
しばらくして静かになった空間で、麻琴は恐る恐る顔を上げると
「・・・もう、行きました?」
「いや。・・・まだだ」
もう誰もいなくなって静かになったはずなのに坂木は離れようとしない。麻琴は恥ずかしくなり俯くと
「随分と大人数ですね」
「だな。 なぁ真壁・・・オレはな、お前以外が乙女の対番だったらこの話はしなかった。」
「へ?」
坂木は壁を睨みつけていたが麻琴を見下ろす。その顔は暗がりだがやや顔が赤くなっており目線を逸らすと
「・・・お前だから話したんだ。」
「は、い・・・」
「馬鹿じゃねぇんだ、意味分かるだろ」
「はい・・・」
麻琴は頬が緩み、思わず坂木のシャツを握ってしまった。
「坂木さん。話してくれてありがとうございます」
「よそ見する訳ねぇだろ」
「はい。へへ、ごめんなさい」
「全くだ。 まあ、不安にはさせちまったよな。悪かった」
坂木は麻琴の手を握ると立ち上がり人の気配がないのを左右や上を確認して大通りに出る。
「それにしても喉乾いたな。なんか飲むか」
「はい!」
「あと、お前の乗艦訓練の話も聞きたいしな。どうだったんだよ」
「はい! まず乗ったらすぐに船酔いに襲われて、船も揺れるからご飯食べるのも大変で・・・」
麻琴が楽しそうに乗艦訓練の話をする。
本当は陸志望だった麻琴だったが、教官の指名通り海上が合っているようだ。
「(乙女も心配だったが、お前の事も心配だったんだぞ)」
坂木は一安心すると、2人で肩を並べながら1大隊へと帰っていくのだった。