1学年が奮闘している裏では、麻琴たち新2学年は学生舎前に集まっていた。

「遅せぇ!どんだけチンタラしてんだ!」

坂木の怒号に全員ははい!と返事をする。 ついに始まったカッター競技会訓練。

防衛大学校生活の中で特に厳しいとされているこの訓練・・・この競技会が終われば一人前の防大生として認められ外泊や私服での外出など様々な申請が行われるようになる。他にも廊下にあるソファの使用許可、浴場での椅子使用許可、喫煙、飲酒が解禁だ。

各大隊の中隊から16クルーが参加し、麻琴は11クルーのメンバーだ。

・・・そして クルー長が坂木、海トレ長の岩崎、陸トレ長の西脇、安全管理は大久保が担当する。他にも4学年がサポートとして入りこの約3週間、二人三脚で金クルーを目指していく。



坂木は全員を見渡すと、

「これを乗り越えりゃテメェらは一人前の防大生だ!やるからには金クルーを獲る! そのためには血反吐吐くほど本気で訓練に喰らいつけ!分かったか?!」
「はい!!」

その後は地獄のような特訓だ。
早朝5時に叩き起され走水の海上訓練所まで走り櫂漕訓練、それが終わると7時の朝食に間に合わねぇぞ!と竹刀を持った坂木に追いかけ回され食堂で朝食。

午後の課業が終わると筋トレ、ランニング、再び訓練所まで駆け下りてカッター訓練・・・この時期になると2学年の校友会活動は休止に入るため土日も続くのだ。

・・・その上、自身の対番の面倒を見なければならないため疲労困憊状態だがそれを見せぬように一緒に呼び出しを喰らい改善点を見直し指導していく。

乙女も最初は呼び出しが多く落ち込んでいたが、入校式が近づいてくるにつれてその数は減って行った。

「乙女ちゃん、明日はついに入校式だね。今から一通り必要な事をテストしていくよ!」
「はい!よろしくお願いします!」

靴磨き、ピカールを使った手入れ、プレス、そして起床時の布団の畳み方・・・最初は指導が多かったものの、コツを掴んだのかスピードが上がったような気がする。

「(凄いなこの子・・・)」
「できました!」

ピカピカになった靴を渡され麻琴はチェックし、襟章や学帽、プレスも確認する。

「・・・うん、素晴らしいね。合格!」
「やったー!」

乙女は両手を上げて喜び、麻琴はふふと笑うと

「明日は立派な姿をご両親に見せようね。」
「はい!」
「一応入校式までは対番である私がサポートしたけど、明日の入校後は乙女ちゃんの力でこの防大生活を乗り切らないといけないの。」

その言葉に乙女は真剣に聞くが、不安そうな顔も覗かせている。麻琴はまたニコッと笑うとぽんぽんと肩に手を置き

「でも、それは形式上だから。 何かあったらすぐに頼ってね。 私は乙女ちゃんの味方だから」
「ありがとうございます。あの、私・・・頑張ります!」

麻琴は笑顔を絶やさないまま部屋を出ると

「ぶはあぁ・・・」

全身が痛い。産まれたての子鹿のような動きをしながら麻琴も居室に戻るのであった。




入校式・・・麻琴は対番である乙女の母親と挨拶をした。

「初めまして、乙女さんの対番を担当しております、真壁麻琴です!」
「乙女の母の岡上幸子です。あの・・・乙女は大丈夫ですか?」

不安そうに乙女を見つめる幸子に麻琴は笑うと

「はい!飲み込みも早く、手先も器用です。先輩からの指導も少なくなり優秀ですよ」

そう言うと幸子はホッとした顔になる。

可愛い愛娘が手を離れるのは不安だろう・・・麻琴も入校式の時は両親が不安がったものだ。

「お母様、乙女さんは私がサポートしていきますのでご心配なさらないでください。」

幸子は乙女が心配なのを察されて驚いたが微笑むと

「私、離婚していて乙女とは2人きりで暮らしていたんです。 なのでいきなり防衛大に行くって言った時は凄くびっくりして・・・」
「では尚更、離れてしまうのは寂しいですね」
「ふふ、そうですね。でも、真壁さんみたいな方がそばに居てくれるのなら私も安心です。どうか乙女をよろしくお願いいたしますね」

深々と頭を下げられ、麻琴は慌ててしまった。



***



「乙女ちゃんも寂しい?」

入校式を終え、幸子の後ろ姿を見ながら麻琴はそう呟いた。

「少し寂しいですが・・・真壁さんが居てくれますし、それに・・・」
「それに?」
「い、いえ!何でも!」

乙女は慌てたが麻琴に向き合って敬礼をすると

「これから、よろしくお願いいたします!」

真っ直ぐな目で見つめられ、麻琴も敬礼を返すと

「乙女ちゃんならできる! 一緒に頑張ろう!」


・・・そしてついに1学年のお客様期間が終わり、宣誓書を書き入校式を終えた1学年達は徹底的な指導を受けることになる。

廊下に並ばされた1学年から4学年・・・坂木は近藤の襟を掴むと床に叩きつけた。

「腕立て用意だ。 テメェら早くしろ!」

怒鳴るような声に、1学年だけではなく他の学年も内心震え上がっている。

「(坂木さん、3年の頃より鬼度増してるような・・・!)」

麻琴もそのような坂木の姿を見るのは初めてだったため動揺したが、すぐに床に伏せると腕立てを開始したのだった。




入校式後に豹変した先輩たちに戸惑いながらも1学年は生活をする。さすがの乙女も優しかった先輩たちの変わりようには対応出来ず失敗を繰り返してしまっていた。

「はぁあ・・・こんな事じゃいけませんね。せっかく真壁さんが教えてくれたのに、焦って頭が真っ白になっちゃう・・・」

時間に追われるため風呂に入る時間も激減し、戻ったら反省文、プレス作業や靴磨きもある。

「でも、休養日にはお兄ちゃんに会える!」

兄である4学年の坂木龍也・・・この事は内密にされており乙女が入校するときの条件でもあった。きっと坂木は本当に入ってきやがった、と思っているだろう。

パタパタと駆け足で廊下を走っていると小さいスペースの談話室で話し声が聞こえたため立ち止まってしまった。


「(あれ、お兄ちゃん・・・と、真壁さん?)」


談話室のソファに座るその後ろ姿は、兄と麻琴だった。


「はぁ・・・」
「お疲れ様です」

麻琴は苦笑いし、坂木は談話室のソファに思いっきり凭れると大きくため息を着いた。

「ったく、なんでオレの部屋に6人も居るんだよ。怒鳴りすぎて喉痛てぇ」
「飴ありますよ、どうぞ」
「おう、サンキュ」

4学年になり1番上の立場となった坂木、そして部屋長となり6人もの新入生の面倒を見なければならない。そのプレッシャーは顔には出さなかったが大きなものだ。

「私も入校式後は坂木さんにご沢山ご迷惑を掛けてきましたから・・・」
「ん?ああ、そんな事もあったな。4学年になったんだ。1番上の立場になる・・・オレたちにとっちゃ試練みたいなもんさ・・・」

ポリポリと頬をかき、麻琴は笑うと坂木が奢ってくれたジュースをを開けようとするが

「いっ・・・ててて」
「手、大丈夫か?」
「はは、テーピングしてないので・・・」

総短艇のオールは重く、手袋やテーピングをしていても意味が無いのがほとんどだ。剣道で竹刀を握っており手のひらは丈夫だと思っていたが麻琴の手は荒れ始めている。

「シャンプーするとき凄い痛かったです」
「見せてみろ」

そう言って手を取られる。
坂木の大きな手に掴まれ麻琴は恥ずかしくなり俯いてしまった。

傷だらけの麻琴の手を痛くないように軽く握ると

「もう少しの辛抱だ。気張れよ。」
「はい! 必ず優勝します!」

麻琴はその手を握り返すと、途端お互い顔を赤くして坂木もパッと手を離し・・・麻琴のペットボトルを手に取ると蓋を開けてやった。

「・・・ほら」
「あ、ありがとうございます」

嬉しそうにはにかみながらペットボトルを受け取る麻琴。


それを影で見ていた乙女は目をキラキラさせると

「(やっぱり電話の相手は真壁さん・・・!お兄ちゃんと真壁さんとええ感じしゃない!今度根掘り葉掘り聞かんと!)」

しかし乙女は覗き見している場合ではない。反省文の山が残っているため、音を立てずそそくさと居室に戻る。

そんな乙女の存在には気づかず、麻琴と坂木は火照った顔を冷ますそうにひたすら無言で飲み物を飲んでいると

「・・・お前んとこの対番、どうだ?」
「ん? へへ、とても可愛い子ですよ。 最初はよく呼び出しをされていましたが段々減りましたし・・・ただお客様期間が終わったのでメンタルが大丈夫か心配です。 」
「そうか・・・対番の面倒も見てやらねぇとな。オレも2年の頃は大変だった。」

坂木でも大変だった時期なのか・・・内心驚いたが麻琴は頷くと

「はい。時間がある時は顔を出して話などを聞いてます。 あ、そういえば坂木さんと同じく高知県の子なんですよ!」
「・・・ほう」

同じ高知・・・坂木は話を聞きながらペットボトルに口をつける。

「岡上乙女ちゃんっていう子で、もうすっごい美少女・・・」
「ゴホッ!」

突然むせ始めた坂木に驚いた麻琴は声を上げて坂木の背中を叩く。

「ちょっと坂木さん!大丈夫ですか!?」
「ん゛ん゛っ!だ、大丈夫だ・・・」

坂木は口をグイッと拭うと

「真壁・・・」
「はい?」
「対番には厳しく指導してやれよ」

厳しく・・・麻琴は分かりました、と頷くが

「でも乙女ちゃん、とっても出来る子「い い な ?」・・・はっ、はい!」

坂木の圧に負けて麻琴は返事をする事しか出来なかった。



避雷針とカッター訓練



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