いつものように舎前にて乾布摩擦を終え掃除の時間・・・と思ったが、突然アナウンスが流れた。
《えー本日は「勤労感謝の日」。1学年の日頃の働きに感謝し・・・1学年と4学年を立場を入れ替える。 尚、期間は本日の消灯までとする。敬礼する側からされる側になる1日を楽しむように!》
「勤労・・・感謝?」
11月23日・・・勤労感謝の日。
日本国民の祝日のひとつで勤労をたつとび、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う・・・という意味が込められている。
そのアナウンスが聞こえた瞬間、目の前にいた梅原、荻野、永井が麻琴に向かって素早く敬礼をし始めた。
「うえぇ!?」
「おはようございます!」
「真壁さん、ご指示を!」
「あ、う・・・」
4年生の立場になったということは、麻琴が指揮を取らなければならない・・・突然の事に麻琴はえっと、と戸惑いながら
「せ、清掃開始・・・?」
「清掃開始!」
廊下に出ると上級生が猛スピードで廊下の清掃をし始めている光景が飛び込んできた。 自分たちがやる以上にピカピカになる廊下に麻琴は胸を抑えると
「・・・なんか、日頃出来てない気分になる」
思わずそう呟いた。
上級生から逃げるように麻琴はくぐり抜けていると、目の前から大久保が現れた。
「真壁さん、こんにちは!」
「(げっ!)こ、こんにちは!」
ふと、襟章が目につく。
普段ピカピカにされている襟章が、くすんでいるのだ。大久保はそれを知ってか、指摘して欲しいのかじーっとこちらを見るだけで何も言ってこない。
「大久保学年、ピカール不備!」
「ピカール不備! 自分はお仕置でしょうか!」
「え!?」
するとどこからか、あの時のコント大会で使ったバラ鞭を取り出すと立膝を付いて麻琴に献上した。
「罰はいかようにも受けます!」
麻琴はそれを手に取ると
「こっ、今後は気をつけるように!!」
「あっ真壁さんっ!」
逃げるように麻琴はUターンをした。
「はぁ、はぁ・・・勢い余って持ってきちゃった・・・」
大久保から取り上げたバラ鞭をどうしたものか、と歩いていると今度は
「ちわっ!」
麻琴を見た途端すぐに敬礼をする坂木。・・・麻琴の中で1番会いたくない坂木とエンカウントしてしまった。
あの御殿場の日からお互い普段通りの生活を送っているが、少し意識してしまう。
・・・しかも大久保同様、襟章のピカール不備に加え靴磨きもしておらず、襟の金具も外れているし制服もシワがついている。
「あの、坂木学生」
「はい!なんでしょうか!」
「全部不備です!」
「全部不備!」
すると坂木は悪そうな顔をすると
「ではご指導よろしくお願いいたします、真壁さん」
「ぐ・・・ぐぐむりです・・・」
腕を掴まれて逃げられない。
すると坂木はグイッと麻琴を引き寄せると鬼の形相で
「何でテメェの後輩に敬語使ってんだ?あぁ? こっちがやってる意味ねぇだろうがよ・・・」
「ひぃー!」
逃がしてくれないようで麻琴は観念すると自身の実習室へと案内した。
「真壁さん、アイロンの掛け方が分かりません!」
「真壁さん、ピカールが上手く出来ません!」
「真壁さん、靴磨きを教えてください!」
坂木に指導を乞われ、麻琴は迫力にたじろぐ。
麻琴が入りたての頃、アイロンの掛け方を対番の渥美が教えてくれた・・・今ではクリーニング屋にでもなれるのではないかと言う技術を身につけている。
自分も来年になれば対番を持つ立場になる・・・その練習だと思い、麻琴はニコッと笑う。しかしその笑顔に坂木は嫌な予感がした。
「(コイツ、何考えてやがる・・・)」
「はい、坂木学年。まずは襟章を外しましょうか。」
「は、はい・・・」
「襟章の外し方はこうです。金具を無くしちゃだめだよ?」
「はい!」
麻琴は金具の外し方から教える。
「ピカールは研磨剤です。常に手入れをしておかないと鬼の先輩達からシバかれるから気をつけようね」
「はい・・・(それオレの事だろ)」
「片方は私がやるから、坂木学生はもう片方の襟章をやってみようか」
「わかりました!」
坂木が手入れをする中、麻琴はそれをニコニコと見守るが
「(あーーーー早く終われーーー!!耐えられない!!坂木さんに敬語使わないなんて無理無理近い近い近い坂木さんの襟章触っちゃったーーー!あーーーーっ!)」
よりによって2人きりの空間、脳内の麻琴はゴロゴロと転がり回っている。
一方坂木は
「(あぁーーー!とっとと終われーーー!ってか何だよ真壁のやつ逃げると思ったらめちゃくちゃノリノリじゃねぇか優しくすんじゃねぇよコイツ上級生になったら仏部類になるのか!!!クソが!めちゃくちゃ優しいじゃねぇか・・・!!)」
麻琴の事だ、どうせ日頃の鬱憤を晴らすために坂木に復讐するのではないかと思ったのだが、逆に仏対応をされてしまいピカールをしながらそんな事を脳内で叫ぶ。
「じゃあ坂木学生、プレスの方法ね。 直接当てると繊維が痛んだり、焦がしちゃうから必ずあて布をしてね。」
「はい!」
坂木がアイロンを掛けていると麻琴がその上に手を置く。突然の事に坂木は怯むと
「坂木学生。力が入りすぎですよ」
「すみません!」
・・・こうしてお互い地獄の指導は続くのであった。
***
坂木の指導を終え、ぐったりとしながら麻琴は廊下を走る。
出来ればもう、上級生に会いたくはない・・・
「(あれ?ていうか、4学年が1年生なのになんで3学年まで不備だらけなの・・・わざとでしょあれ・・・!)」
上級生は内心楽しんでいるに違いない。
廊下を走りながら上級生に敬礼されるという違和感を抱きながら角を曲がると、今度は岡田と鉢合わせしてしまった。
物凄い目力と形相で麻琴を見ると脚を60度に揃え、素早くキレのある敬礼をすると
「真壁さんッ!こんにちはッ!」
デカボイスで挨拶をされ麻琴は肩を震わせる。
さすがは応援團、声量が半端なく遠くにいる学生ですら飛び上がっている。
「こ、こんにちは・・・」
圧力に負け麻琴は力なく敬礼を返すと、岡田は何か言いたげな顔・・・とても怖い顔でこちらを見ている。
お前、声小さいな。それでも4学年か?そんな事で後輩を引っ張っていくのか?
そんな事を言いたげなオーラがビシビシと伝わってくる。
「(待って待って岡田さん顔に出てる出てる)」
すると岡田はまた敬礼をすると
「真壁さんッ!こ ん に ち は ッ!!」
またデカボイスで挨拶をしてくる。
これは、大きな声が出るまで解放してくれないやつだ・・・麻琴は白目を剥くとやるしかない、と息を吸うと
「こんにちはッ!」
「こんにちはッ!」
大きな声を出せばマウントをかけるようにもっと大きな声を出される。というか、岡田はどこまで声がでかいのだろう・・・
「こんにちはッ!」
「こんにちはッ!」
「あのっ!!岡田学生!!」
「はい!!」
麻琴は今日1番の声を出してやろう、と腹に力を入れると
「声がッ!!デカすぎるッ!!!!!!」
「うるせぇのはお前だァ!!真壁ー!!」
「ぎゃっ!!」
通りすがりの久坂。麻琴は久坂が持っていたボードで頭をペシン!と叩かれた。
***
夕飯の一斉喫食、これも4学年が猛ダッシュで食事の準備をしているのを1年生は呆然と見守るしかない。無駄のない動き・・・神様と呼ばれる4年生の実力を目の当たりにし自分たちはまだまだだと見せつけられているような気もする。
普段通り、麻琴は席に着こうとすると
「真壁さん!こちら宜しいですか?」
顔を上げると目の前には岩崎が爽やかな笑顔で無駄動きをしながら立っており、むしろ麻琴が許可を取る前に椅子に座っていた。
「・・・真壁さん、こちらよろしいですか?」
次に来たのは坂木で、殺気を放ちながらこちらも許可を取る前に椅子に座る。どうやら拒否権は無いらしい。
目の前に岩崎と坂木。その周りにいた学生は関わりたくない、と若干椅子を離し始めオイオイ逃げるなお前ら・・・と、麻琴は目で訴えた。 隣にいた知念は肩に手を置くと「ドンマイ!」と声をかけ地獄の一斉喫食が開始された。
麻琴と知念は談笑しながら、サラダにドレッシングをかけようと箸を下ろし手を上げた瞬間
「麻琴さん、どうぞ」
坂木が素早く奪い取りごまドレッシングの蓋を開けて構える。
「な、なんで私がごまドレッシング派だと・・・」
「・・・リサーチ済みです」
それを見て岩崎は悔しそうにするとヤカンを手に取り
「真壁さん、知念さん、お茶のおかわりはいかがですか!」
「あ、はい・・・ありがとうございます・・・」
「ありがとうございます〜」
フッとドヤ顔する岩崎に坂木はギリギリと歯を食いしばり鬼の顔をする。一方の麻琴は「早く食べてしまおう」と心に決めるとご飯をかきこんだのだった。
風呂から出て、居室に戻ると先輩3人は「おかえりなさい!」と声を揃え麻琴は控えめに頷く。
「真壁さん、作業着と制服のプレス完了です!」
「ベッドメイキング終わってます!」
「靴も磨いておきました!」
この短時間でパキッと整えられた制服、麻琴がやる以上に整えられたベッド、麻琴がやる以上にピカピカに磨きあげられた靴。
またしても自分の出来なささを痛感して胸を抑えると
「あ・・・ありがとうございます・・・」
そして待ちに待った消灯時間になった瞬間、梅原達はふぅ〜とベッドに座ると
「で、麻琴。どうだった?1日4年生」
「なんか変な感じでした・・・」
「今頃調子に乗って指導していた1年生は倍返しされてる頃だね」
やはり、それ相応の対価があったのだ・・・麻琴は坂木をシバかなくて良かったと心底ほっとする。
上級生目線になれたのはいい経験。そして改めて自分たちはまだまだだなと言うのを痛感する1日だった。
それに先輩がベッドメイキングしたシーツは気のせいかふわふわとして寝心地がいい。おかげで段々と瞼が重たくなってきた。
「(私の対番・・・坂木さんみたいな子だったらどうしよう・・・)」
夢に出ませんように・・・麻琴は意識を手放した。