美しいって言ってよ
※さわやかな高瀬くんはいません。
花びらの雨が降る庭先で、舞い散った花びらが風に運ばれてどこか遠く見えないところへ飛ばされていくのをベランダから眺めていた。
庭と言うと立派に聞こえるかもしれないが、実際はアパートの前のちょっとした空き地に桜の木が一本忘れられたように生えているだけだ。
ここに住んで4年目になるのに私はあの桜の満開を一度も見たことがない。現に今も花びらはほとんど散ってしまっていて、ところどころ葉が生えてきていた。どうやら今年も間に合わなかったらしい。
「何見てんの?」
そう言いながら後ろから私を抱きしめる高瀬くんに「なんでもないよ」と返して振り向くとすぐキスをされた。触れたらはじまる。
高瀬くんはいつも、嫌なことがあると決まって私に会いに来る。
そしてこうして恋人同士がやるようなことを一通り済ませて、ご飯を食べて、少しだけグチをこぼすとまた帰っていくのだ。これだけを話せば恋人のような甘い関係を想像してしまうけど、私たちのはそんな美しいものじゃない。私と高瀬くんがやっているのはただの"恋人ごっこ"だ。
高校生の頃一言も話したことがない、ただのクラスメイトだった高瀬くんとこんな関係になってしまったのはゼミの飲み会がきっかけだった。大学もゼミもたまたま一緒で、偶然飲み会で隣の席になった。
私はもちろん高瀬くんのことを覚えていたけど、高瀬くんも同じクラスだったことを覚えていてくれたみたいで色んなことを話した。高校生の頃あった一緒にいる子たちのグループとかが最初からなかったみたいに。
これまで強豪と言われていた野球部のエースとして、有望な投手として将来を嘱望され、周りの人々の期待に応えてきた高瀬くんが大学入学と同時に野球を辞めたことを知ったのもその時だ。
「好きで続けてきたはずの野球が、周りの期待とかこうあるべきってイメージに押しつぶされて、気が付いたら何よりもしんどいものになってた」
たいして仲良くもなかった私に突然そう打ち明けてくるほどに、その頃の彼は苦しんでいた。私はその姿をみて、驚くというより、少し安心したのを覚えている。
高校時代の彼は無関係の私から見ていてもエースとして完璧であろうと振舞って、常に気張ってるように見えたから。そんな彼の周りには常に人がいたけれど、彼らの期待に応えようとしていつかパンクしてしまうんじゃないだろうか、なんて思っていたから。
「もうちょっと一緒にいてよ」
帰り際、そう言われて連れられるまま高瀬くんのアパートについていった。それで高瀬くんが一瞬でも満たされるのなら利用されるだけでも、やり場のない感情の捌け口にされるだけでもいいと思ったから。それからずっとあいまいなこの関係は続いてる。
高校生の頃、あんなに弱さをひた隠しにしてきた高瀬くんが私に弱みを見せたのはきっと、私と高瀬くんがそれまで無関係で断ち切ろうと思えばすぐに断ち切れる関係だからだ。
「お前はさ、誰かに期待とか希望とか抱いたりしないから。一緒にいると落ち着く」
あの日高瀬くんはそう言った。
きっと高瀬くんがなりたかったのは"強豪桐青の絶対エース"でも"良いシンカーを投げる期待の投手"でもない。高瀬くんはきっと、誰からも特別何かを期待されるわけじゃない普通の男の子になりたかったのだ。
だから、傷付いたとき彼は私の元にやってくるのだ。関係に名前を付けようもないくらい曖昧で、すぐに切れてしまいそうなくらい脆い繋がりでいいと言う私と。高校時代の高瀬準太を求めない私と。
でも結局、何も求めないままではいられなかった。ずっと一緒にいたら高瀬くんのなかで何かが変わるんじゃないかとか、いつか恋人同士になれるんじゃないかって、結局何一つ諦められないまま淡い期待を抱いてしまっていた。
「すき」
ブラウスのボタンに手をかけながら高瀬くんが呟いた。そうだ、私はずっとその言葉が欲しかった。本当は一緒にいたいとか、私のことを好きになって欲しいとか、捌け口じゃなくてちゃんと、女の子として私を見て欲しいっていつも思ってた。知ったら幻滅するだろうか。でも、
「私も、好き」
0309 企画 夜会 様に提出しました
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