2015.Oct.10

たとえば春の日に戻れたとして

あれは高3の春頃だったか、俺らのなかで誰が一番早く結婚するかなんてことを話したことがある。

ほとんどの部員が彼女と中学から付き合ってる「ヤノジュンだろ」と口を揃えるなか、匠だけが「直正だ」と答えていたのを不思議とよく覚えている。

匠は直正と仲が良かった。そして誰よりも直正を信頼して、そして尊敬もしていたんだと思う。その証拠に匠のコントロールはお世辞にもいい方とは言えなかったけど、直正がリードするとまるで別人のようにいい投球をすることが多かった。匠から信頼されてない俺はそれが少し羨ましくて、同時に匠が"あのこと"を知ったらと思うと少し怖くなった。

そんな昔のことを思い出したのは実家の母さんから電話があって、ヤノジュンが結婚することその結婚式の招待状を送ってもいいか実家に電話があったことを告げられたからだ。

「俺いかないよ」
「でも矢野くん、卒業してから何年も音信不通のあんたのことを気にかけてくれてんのよ。招待状送ってもらうように言ったからあとはあんたが自分で決めなさい」

数日後本当にヤノジュンから結婚式の招待状が届いた。実家の母さんにこの住所を聞いたということと、そのことに対する謝罪。中学から付き合ってるあの彼女と結婚することになったとの報告、そして他の野球部のやつらはみんな来るから俺さえよければ式に出席してほしいという内容だった。

「結婚式の招待状?行くの?」

ソファに座ってそれを眺めていると、名前が隣に腰をおろしながらそう尋ねてきた。名前とはあの年の冬に付き合い始めた。職場が二人とも横浜市内だったこともあって卒業と同時に同棲もしてる。「高校の野球部のだからいかないよ」と答えながら欠席に丸をつけようとペンに手を伸ばそうとしたとき、名前が咄嗟に俺の手を掴んだ。

「行ってきなよ、何か変わるかもしれないよ。きっと大丈夫だから」

一人でいたならきっと迷うことなく欠席にしていただろう。本当は5年以上経った今でもあいつらに会うのが怖くて仕方がない。けど名前が「何があっても受け止めてあげるから」なんて言ってくれるから本当に大丈夫な気がしてきて、結局その場の雰囲気に押し切られるように出席で返事をした。3ヶ月以上前の話だ。


そして今日ついにヤノジュンの結婚式当日になってしまった。不安と緊張で昨日はよく眠れなかった。あまりにもその不安が表情に出ていたのか名前にひどく心配されて、駅まで見送ってもらう羽目になった。

会場に入ると見たことがある顔もちらほらいるが、ヤノジュンの親戚や相手の招待客も多くてにぎやかな式になりそうなことを知って少しほっとした。これならもし野球部に再会しても会話することなく終わるかもしれない。

「岳史」

名前を呼ばれて驚きながら振り向くと誠と善斗がそこにはいて「久しぶり」とか「元気そうでよかった」と声をかけてくれた。よかった、と安心すると同時にまだみんな俺のしたことを知らないんだという罪悪感が押し寄せてくる。これじゃあ突然姿を消したのに今更やってきた俺にも優しくしてくれる二人を騙してるみたいだ。

式後の披露宴では公が友人代表スピーチをした。「このあと余興で俺ら嵐踊んの、岳史も飛び入り参加しちゃえば?」なんて隣で誠が調子のいいことを言ってくれるのを聞きながら出てきた食事を口に運ぶ。

前方に目をやるとタキシード姿のヤノジュンとその隣の彼女が幸せそうに微笑んでいる。ヤノジュンは元からかっこいいやつだったけど、更にかっこよくなってた。彼女も高校の頃応援にきてた時も可愛くてお似合いだと思ったけど更に美人になってて、二人ともとても幸せそうだった。よかった、これを見れただけでもここに来た意味があった。

披露宴も滞りなく進み聞いたことのある曲が流れて、誠たちの余興が始まった。ステージには公と直正に修平、善斗もいる。

「これ本当は俺も出たかったけど善斗にじゃんけんで負けてさ」

隣のテーブルに座っていた匠が俺の隣の誠の席に腰をおろしながら呟く。「善斗がこれやりたがるの意外だな」と答えると匠が「そういえばこれやればモテんじゃねって誠と話してた」なんて言うので二人して笑った。

「…俺さ、お前がしたこと全部聞いた」

少し間をおいて匠がゆっくりと話しだすので、まるで殴られたような衝撃を受けて頭が真っ白になった。
じゃあみんな知ってたんだ。誠も善斗も、直正も。そんなことして何食わぬ顔でのこのこやって来た俺のことどう思ったかなんて聞くまでもない。やっぱり来るべきじゃなかった。ここは俺なんかがいていい場所じゃなかったんだ。

「最初はさ、すげーショックだった。直正とか修平のことを思ったら腹も立った。俺たちが勝ってきたのも実力じゃねーのかよって。でもどこかで"だから岳史美丞出てったんだ"って変に納得してる自分もいてさ」

「それからさ真面目なお前がなんでそんなことしたんだろって考えた。もちろんお前のしたことは良くないことだし、怪我させられたやつらにとっちゃ多分一生許せないことだろうけど。でも俺、あのときのお前の気持ち"分かるな"って思った。俺は3年になってなんとかベンチに入れたし何回か試合でも使ってもらえたけど、球速いだけでいくら練習してもコントロールも安定感も身に付かなくて、善斗にも優にも何一つ勝てなくてずっと苦しかったから」

そういって匠はビールを一口飲んでステージの直正と修平に目をやった。直正がこちらに気付いてちいさく手を振ってる。

「ヤノジュンにお前のこと招待してほしいって言ったの修平と直正なんだぜ」
「え」
「ほんとだって」

「俺さ、高3の時このこと知ったら許せる自信ねーけど。けど少し大人になってちょっと余裕が出来た今ならお前のこと分かろうって思うし、俺たちだけはお前のしたこと許してやりたいって、多分みんなそう思ってる。だからさたまには帰ってこいよ」

匠が俺にとっては最後の試合となったあの日と何も変わらないニカっとした顔で笑う。あの事を知ったら絶対許してくれるわけがないと思っていた。特に修平、直正と匠は。二人のことを深く傷付けてしまった俺のことを直正はもちろん匠も一生許してくれないと思ってた。

俺がいなければ直正は正捕手で修平はライトのままで、匠だって捕手が直正だったら善斗や優と肩を並べるくらいいい投球が出来ていたかもしれない。劣等感を感じずに済んだかもしれない。俺のしたことは取り返しがつかなくて直正や修平、匠の3年間をぶち壊したのに。どうしてこんなこと言ってくれるんだろう。

こんなに優しくていいやつらを裏切ったことは一生消せないから苦しくて、それでも"許す"なんて言ってから嬉しくて。じんわりと目頭が熱くなるのをビールを飲んで誤魔化した。


岳史も来いよ、という言葉に甘えて二次会にまで参加して終電を降りてから実家まで歩いていたら名前から着信があった。

「もしもし」
「もしもし岳史くん?」
「あ、あのさごめん。今日二次会も行ったから実家に一泊して明日帰る」
「うん、わかった!よかったね」

よかったね、の一言には色んな意味が込められているのが電話越しでも感じ取れたのでゆっくり頷く。

「…あのさ」
「なに?」
「ありがとう。名前がいてくれなかったらきっと一生、こうしてあいつらに会うこともなかった」

「幸せになれよ」帰り際ヤノジュンに言われた言葉を思い出した。言われた時はその意図が分からなかった。結婚したのはヤノジュンなんだから、それはむしろ俺のセリフだろうとも思った。けどあれはきっと矢野なりのエールだったんだろう。名前の声を聞いていたら不思議とそう理解ができた。

もしも今からコーチの言葉に頷いてしまったあの春の日に戻ってもう一度やり直すことが出来るのなら、もうあんなことは絶対にしない。でもきっと、名前のことを探してやっぱり美丞から出て行くことを選んでしまうんだろう。それくらい名前の存在が俺の中で大きなものになってしまった。

俺にもちゃんと帰る場所がある。明日の朝一番に帰ろう。沢山の感謝と、それから愛しいと思う気持ちを、多分いくら言ったって一生かけたって伝えきれないけど。それでもちゃんと伝えたい。

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