Novel - Vida | Kerry

傾けたハートから何でもかんでも溢れちゃうから



※シェアハウスに住んでいるというちょっと特殊な設定のお話です。
星墜様のページをみていただいた方が分かりやすいかもしれません。

その日はなぜか全てが上手くいかない一日だった。

朝、携帯のアラームが鳴らなくて寝坊した。慌てて部屋を出た時、ほどけた靴紐を踏んでこけてしまったのをお隣の白石さんの彼女さんに見られて心配されてしまうし、結局大学の講義も遅刻した。
帰りは帰りで朝はあんなに晴れていたのに、急に雨が降り出して、ビニール傘を買おうとしたら全て売り切れてしまっていて、結局家まで濡れて帰る羽目になった。

極め付けは、高3から付き合っていた彼と別れたことだ。とても大事なことなのに”好きな人が出来たから別れよう”とたった一言のメールで別れを済ませられてしまうんだから、彼にとって今の私はその程度の存在なんだろう。付き合い始めたときはあんなに好きだって言ってくれたのに、これからもそうだと思ってたのに。いつから彼の中で私の存在はこんなにも軽くなっちゃったのかな。一体どこでずれちゃったんだろう。どこで何を間違っちゃったのかな。もう、分かんないや。

次の日は、風邪を引いたことにして講義を休んだ。泣き腫らした目がひどいことになっていたのもあるけど、同じ大学に通う彼を見て泣かずに居られる自信が今日はまだ持てなかった。

時計に目をやるともうお昼をすぎていて、仕方なしにベッドから這い出て着替えることにした。昨日泣いたから、涙が溢れ出るのは少し落ち着いたけど、倦怠感が残ってる。からっぽになってしまったとでもいうのだろうか、何もする気にならない。原因が泣き疲れたせいでも体調不良でも何でもないことなんて分かりきってて、また少し悲しくなった。

こういうときにシェアハウスに住んでいてよかったなと思った。大学進学と同時に実家を出て、一人暮らしを始めるとき、家賃の安さと可愛らしさと一階のクレープ屋さんに惹かれて決めたけど、落ち込んでいる時や具合の悪い時は誰か人の気配があるだけでだいぶ気持ちが楽になるものだと思う。

「風邪大丈夫?」

そう連絡してきたのは栄口くんだった。栄口くんとは高校の同級生で同じ大学に通っているから、会えばそこそこ話す。けど普段から連絡を取り合うほどは仲良くない。だから、まさか栄口くんが私が休んだことを知ってるなんて、まして心配して連絡してくれるとは思ってもいなかった。

「大丈夫だよ。ありがとう」

と返すと、「やっぱ心配だから帰り様子見に行っていい?」と言われ少し驚く。そしてふと別れた彼が栄口くんと同じサークルだったことを思い出した。もしかしたら栄口くんは彼と私のことを知っていて、それで心配してこんなことを言ってくれるのかもしれない。

「少しだけなら大丈夫」

そう返事をして住所を告げてから30分ほどして栄口くんから着いたと連絡があったので部屋の扉を開ける。すると、ドアノブにコンビニのビニール袋がかかっていた。中にはリンゴとゼリーとスポーツドリンクが入っていて"お大事に""元気になったらおしゃべりしようね"と書かれたメモが入っていた。このシェアハウスはお店もあるとはいえ、内はオートロックになっていて住居スペースは基本的にここの住人しか入れない。各部屋の鍵は別にあるけど、共有のリビングダイニングなんかはここに住んでる子ならみんな行き来できる。

これもきっと同じアパートの子が置いていってくれたのだろう。この字は同じ階と2階に住んでる大学生の子だろうか。2人ともツキシマくんとシンカイくんという恋人だったり片思い(様子を見る限りだと両思いだと思うけど)の相手がいる。ちょっと前まで私も…と考えかけて思考を止めた。外で栄口くんを待たせてるのだ。


ドアを開けると栄口くんが待っていた。両手にはここの大家さんである手嶋さん特製のクレープを持ってる。そういえば栄口くんは甘党だと水谷くんから聞いたことがある。いちご生クリームにメイプルバターシナモン。どっちも私も好きな味だ。

「ごめんね、急に押しかけちゃって」
「ううん、むしろ心配してくれてありがとう」
「名字さん家クレープ屋さんだったんだね。美味しそうだったからつい買っちゃった。何も食べてないでしょ。食べながら少し話さない?」

あまり話したくないと思ってたくせに、栄口くんの言葉に頷いてしまったのは、単純にお腹が空いていたからなのか、それとも誰かに側にいてほしかったからなのか。自分のことなのに自分でもよく分からない。
こうして二人でお店のソファに座って二人でクレープを食べているこの状況を選んだのが正解なのかも、分からない。けど、栄口くんの顔を見て少し気持ちが明るくなったのは事実だ。風邪をひいた時は人恋しくなるってよく聞くけど、それと似たようなものなのかもしれない。

「美味しいね、クレープ」
「うん」
「そっちも美味しそう。半分ちょうだい?」

手嶋さんのいちご生クリームもメイプルバターシナモンも、いつどんな気持ちで食べてもやっぱり美味しかった。昨日の夜から何も喉を通らなかったせいでからっぽだったお腹が満たされていくと同時に少しずつ気持ちも落ち着いていくように感じた。

「名字さんさ、風邪引いたっていうの、嘘でしょ」

手嶋さんや手伝いをしていた真波くん達が気を遣ってお店を閉めて、席を外してくれたのを見計らって栄口くんが口を開いた。驚いて目をやると栄口くんはにこにこと微笑みながらクレープを頬張っている。なんで分かったのかなと思ったけど、よく考えたらクレープを食べると答えてここまでついてきた時点で風邪ではないってことはきっとバレてる。

「俺、名字さんがあいつと別れたって聞いたんだ。それで心配でさ」

栄口くんが真剣な表情で私を見つめる。その眼差しは優しいようで強い意志を感じてまさしく栄口くんの性格そのものだと思った。そして、彼とはやっぱり違うなぁと思った。心配して来てくれた友達にまで彼の面影を探してしまうなんて、最低だ。全然忘れられる気がしないよ。

「…知ってたんだ。ごめんね、こんなことで休むなよって感じだよね。でも、もう大丈夫だよ。ありがとう」

咄嗟に笑顔を作るけど、栄口くんにはこれもバレてしまっているような気がする。きっと栄口くんは、人の感情の機微に敏感な人だ。その眼差しを向けられるとまだ引きずってることも、私の弱いところも全部見抜かれてしまいそうな気にすらなる。

「無理に忘れることはないと思うよ」

何を感じているのか、俺は分かってるよ、と言わんばかりの口ぶりでそう言うので言葉に詰まる。
本当はなんとなく気付いてた。彼の気持ちが離れていることに。私は、彼に好きな子が出来たことがショックだったんじゃない。別れを告げられたことが、私の存在価値がないに等しいものになってしまったことが、今まで過ごしてきた楽しい思い出も全部否定されてるみたいで悲しかった。

次の恋を見つけなよ、なんて友達は言うけど、彼を忘れる為の恋ならいらなかった。いつまでも想うのは不毛だと分かってるし、そんなことする気もない。けど、思い出や彼への気持ちは、両思いだったという事実は、捨てずに大切にしまって置きたかった。それくらい、彼は大切だったんだ。

「あいつにはなれないけど、好きな子の涙を受け止めるくらいなら出来るからさ」

おいで、と栄口くんの暖かくて大きな手にひかれて彼の腕の中に引き込まれた。こんな私のことを"好きな子"と呼んでくれた。そんな栄口くんの優しさに付け込んでこうして甘えるなんて私は本当にずるい女だ。「ごめん」しか言えない私の背中を栄口くんが安心させるかのように優しく撫でてくれるから落ち着いていた涙が溢れ出してしまう。

彼を完全に忘れることはきっと私には出来ないだろう。けど、もう彼を思って泣くのはこれで辞めにしようと思う。思い出は大切にとっておいて、これからは私を大切に思ってくれる人を、私も同じように大切にしてみたいのだ。

160229 企画「星墜」さんに提出しました!
参加させていただきありがとうございました!


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -