Novel - Vida | Kerry

8年の対価



その日は太陽が燦々と照りつけうだるような暑い晴れた日で、普段外で活動することのない私はスタンドにいるだけで倒れてしまいそうだった。その日、航ちゃんの高校最後の夏が終わった。

航ちゃんが野球を始めたのは航ちゃんが小学4年生、私が小学3年生のときだった。小さい頃テレビでみた甲子園に俺も行くんだと言って始めた野球を航ちゃんは高校3年生まで8年間ずっと続けてきた。

それまで何をするにも航ちゃんの後ろをついて歩いていた私は、航ちゃんが有紀くん達と野球してる間そこに入っていけないことが寂しくて仕方がなかったことを覚えている。

ちょうど同じ頃、私もピアノを始めた。航ちゃんが8年かけて甲子園を目指したように私も8年間ピアノを続けた。けど、私と航ちゃんとでは同じ8年間でもその重みが違うことは知っている。

「お前、なんでピアノ辞めたの?」
「お勉強するの、航ちゃんと同じ大学行くんだもん」
「…ピアノ馬鹿のお前が?」
「…航ちゃんだって野球馬鹿のくせに」
「その馬鹿にテストのたび『航ちゃん数学教えて〜』って泣きついてくるのはどこの誰ですか〜?」
「む、似てない。」

似てんじゃん、と笑いながら航ちゃんは私の髪をくしゃくしゃと撫でる。せっかくのデートだから少し髪を巻いてみたのに。崩れちゃうよ。

「まだあと1年あんじゃん」
「うん、でもいいの」
「...あっそ」

私はもともと航ちゃんと一緒にいられない時間をつぶすためにピアノを始めた。ピアノは楽しかったし真面目に練習していたけれど、甲子園みたいに何か明確な目標があって続けてきたわけじゃない。だからピアノを辞めたことに今さら悔いはない。

けど航ちゃんは違う。甲子園はずっと航ちゃんの夢だった。ずっと行きたいって願って、そのために努力して毎日がんばって、それでも叶わなかった夢だった。

「航ちゃんはさ」
「あ?」
「大学でも野球続けるの?」
「…どうだろな、多分やんねー」
「野球馬鹿の航ちゃんが?」
「俺もいつまでも野球馬鹿じゃいらんねぇの。」

航ちゃんが野球に捧げた8年間はすべて甲子園に行くためにあった。生活のなかには常に野球があって、ただの幼馴染だったあの頃も中2で付き合い始めてからもずっと常に航ちゃんのすべてだった。

航ちゃんがこの8年どれだけ頑張ってきたのかずっと見てきたからよく知っている。朝早くから夜遅くまで泥だらけになりながら白球を追いかけていたことも。それでも航ちゃんの目指したものにはあと少し手が届かなかった。

それなのに航ちゃんはあの日泣かなかった。悔しくないわけがないのに、これからどう頑張ったって叶わない夢なのに。それでもいつもみたいに葵くんと涼くんを軽く叩いて「お前らは甲子園行けよ」なんて言って笑っていた。

「…航ちゃん」
「んな顔すんなよ」
「だって航ちゃん、泣かないんだもん」
「…自分でもびっくりしてんだよ。ホームラン打ったからかな、むしろすっきりしてんの。」

その言葉に嘘がないのは知っている。航ちゃんがどんなときでも泣かない強い男の子だってことも。それでも去年の秋武蔵野に負けたあと誰よりも悔しがって誰よりも一生懸命練習していた航ちゃんが、いつだって負けたあとは必ず前を向いていた航ちゃんが初めて野球を辞めたいと思ったんだ。
この夏のことはきっと航ちゃんのなかで一生燻り続けるんだろう。

航ちゃんはすごいひとだ。楽しいことばかりじゃないのに毎日練習して、努力だっていっぱいしてきた。それでも届かなかった甲子園。これからどう頑張ってもあそこに行くことは出来ない甲子園。もう目指すことすら叶わない甲子園。

それでも季節は確実に前に進んでいて、いまこうして過ごす夏もいつか過去になる。いつかスタンドにいたおじいさん達みたいにこんな日もあったねと笑い話にできる日が来るんだろうか。

その頃にはきっと私たちが8年かけて苦労しながら身に付けたものもすべて忘れて、みる影もなくなってしまうんだろうけど。それでもいいと思った。航ちゃんがホームランを打てなくなっても、私がなんの曲も弾けなくなっても。

今はとがってて触れるたびに心が引き裂かれるように痛い記憶でも川底で石の角がだんだん取れてゆっくり丸くなっていくみたいに、ふとあの日のことを思い出しても傷つかずに笑える日がくること、私も航ちゃんも知っているから。


0530 高橋くんの「生涯最高のホームラン」発言について深く考えてみた結果

title : さよならの惑星


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