Novel - Vida | Kerry

花降るる



 幼いころからずっと旅が好きだった。
 観光名所やその土地の名物はもちろんだが俺はその街並みを眺めるのが、たとえそれがそこに住んでる人にとってはありふれたものであっても、そこで生活している人の息遣いが聞こえるようでいつだって新鮮で、好きな歌手のMVや映画の中に入り込めたようなそんな気がして好きだった。

 大学卒業と同時に住み慣れた関東を離れて就職と同時にここ大阪へ引っ越した。駅から家までは徒歩15分。本気を出せば10分。このまま川沿いに歩いて踏切を越え商店街を抜けて、次の角を右に曲がればアパートに着く。
 この街で迎える春も、もう三度目になる。引っ越してきた頃はまるで旅行先のように新鮮に映っていたこの風景も街並みも今やただの日常と化してしまった。

 就職するまで大阪には観光でしか来たことがなかった。家族やチームと甲子園を観にきたり、中学の修学旅行だったり。
 彼女と初めて遠出の旅行をしたのもここ大阪だった。ほかにも京都でヤノジュンが美味いと言ってた喫茶店で抹茶パフェを食べて、ずっと行きたいって言ってたテーマパークにも行ったっけ。あの時揃いのカチューシャを着けて撮った写真、どこしまったっけな。多分まだ部屋のどこかに埋まっている。

 大学で出会った彼女と別れたのは社会人になってすぐのことだ。あの日もこんな穏やかな春の夕暮れだった。
 別れた理由は他愛もない。学生の頃と違って社会人になってからお互い忙しくてすれ違うことが多くなっていた。それと同時に二人の距離も離れていってしまった。そこらじゅうに掃いて捨てるほどありふれてる話だ。
 これが遠距離ならまだわかる。無理もない話だ。でも俺らは運良くどちらの配属先も同じ大阪市内だった。こんなに恵まれた条件だったのに上手くいかないんじゃきっとどの道ダメになってたんだろう。

 「今はもっと違うことに目を向けたい。だから、ごめん」
 別れを切り出された時、自分が本当はどうしたいかなんて考える間もなくすんなり「分かった」と返事をしてしまった。それが優しさだと思ってたし、別れたくないとごねるのも縋りついてるみたいでみっともないと思った。最後まで彼女が好きでいてくれた優しい守谷修平でいたかった。それきり彼女とは会ってない。
 本当はあの時別れたくなかったんだ、と思う。自分のことなのにひどく曖昧だ。昔から何でも人に合わせてしまって自己主張が出来ないタイプだった。自分がしたいことがあっても、本当は自分の意見があっても。人に譲ることで「優しいね」って言われることに少し酔っていた。それが本当の優しさじゃないって、自分を持てないからっぽな男だっただけだって、気付くのに時間がかかりすぎてしまった。

 土手沿いの道の水溜りに一枚花びらが浮いている。いつのまにかこんな時期に来ていた。駅までの道は毎日通っているはずなのに仕事に忙しくてまともに見ちゃいなかった。今年も俺は満開を見逃したらしい。土手の桜はすでに葉が目立って散り際だった。
 これが映画であればあの桜並木の下に彼女がいて、互いの存在に気付いた俺たちは駆け寄り抱きしめあうんだ。伝えきれてなかった想いをぶつけるように。これまでの互いの溝を埋めるように。やっぱり好きだったとかなんとか言ってさ。
 けど現実はそう上手くはいかない。桜の下には酒盛りをしてるオッさん達が騒いでるだけだし、俺の人生は映画じゃないし。主役って柄じゃないし、そんな特別な人間じゃないし。平々凡々、自分の人生ですら脇役が似合ってしまう。

 思い返してみてもずっと、平凡で意地も信念も持てないつまらない人生だよな。気分が塞ぎ込みがちになると思い出す。高3の夏のことを。監督からライトのレギュラーを告げられた日のことを。
 正直納得いかなかった。ずっと頑張ってきたのに、ずっとここが俺の定位置だったのに。でもそれ以上に直正との実力の差は明らかだった。同じチームでずっと一緒に練習してたんだ。言われなくても分かってるよ。俺が監督だって直正を選ぶ。
 本当は直正が外野練に参加するようになった時から心のどこかでこうなるかもしれないって思ってた。けど思っただけで何もしなかった。直正に負けじと一段と守備練習を頑張るわけでも、打撃に磨きをかけるでもなく今までと同じことをやり続けた。

 直正は岳史が正捕手に決まった時、祝うと同時に『まだ正捕手狙ってんかんな』と言ったらしい。直正らしい言葉だ。どんな時も誰に対しても人の努力を認めて称えつつ、自分の望みは決して諦めたりしない。俺はそうなれない。なれなかった。何も言えずただ俯いてただけだった。
 「謝らねえからな」
 その言葉通り、直正は最初から最後までずっと謝らなかった。謝られるだけ、慰められるだけ俺が惨めになるだけだから。だから俺もすんなり受け入れた。受け入れたフリをした。それが出来る自分でいたかった。自分の努力不足を棚に上げて悲劇の主人公ぶりたかった。

 岳史のしたことを知ったのは大学に入ってからだ。その頃にはすでに岳史は美丞から去った後で連絡も取れなくなっていた。何を思ってあんな事をしたのか、今となっては知る術はない。
 俺は今でも岳史のしたことは決して正しいことだとは思わない。けどあいつは必死にもがいてた。手段は間違ってるし、人を傷つけてまですることではない。理解も尊敬も出来ないけど。あいつは自分の人生、主役として生きるための努力をしてた。かたや俺はどうだろう。今までの人生自分でこれはと思って必死になったことってあっただろうか。
 あの夏も、別れた春も、もっと必死になっていたら。手放さないためにもっと努力していたら。違う未来があったんだろうか。

 商店街の一番奥にある惣菜屋。近所でも美味いと評判のその店前を通り過ぎようとして、ふと見えた横顔に鼓動が一気に早くなる。少し髪型が変わってても、服装が違くても誰だかわかってしまう。当たり前だ。何回も何回もその姿を、いつだって笑っていたその顔を頭の中で思い描いてしまうんだから。
「久しぶりだね」
「うん、久しぶり?」
「…なんで疑問系?」
「なんでかな」
 思い切って声をかけるとそこにいたのはやっぱり彼女で。最初は驚いたような顔をして、次第に表情が柔らかくなっていく。
 桜の木の下なんかじゃなくて惣菜屋の店先だけど。熱い抱擁もドラマチックな言葉もないけど。こんな再会もきっと俺らしいよな。
 ふと、子供の頃好きだったアニメの映画主題歌が頭の中を駆け巡る。二度と君の手を離さない、なんてあの時何もしなかった俺が口にする度胸も資格もないけど。
 来年は一緒に満開の桜が見たい。今更こんなこと言っても許されるかな。そうなってほしいと願うだけなら、彼女も同じ気持ちでいてくれと祈るだけなら自由だろ。今度こそ自分の人生、主人公として生きてやる。

220121 最初でおそらく最後であろう修平の話
セリフも描写もほぼないけど、他の部員の話にはよく登場するあたり、とても人当たりがよく好かれてる子なんだろうなと思います
美丞夢アンソロに寄稿させていただいたものですが、許可いただいたのでサイトにもあげさせていただきました


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