きみは清らなクレーター



※スパイファミリー61話まで一気読みしたあやふや知識で書きました。
※名字「フライシュッツ」固定です。





ナマエ・フライシュッツは東国首都バーリント近郊の系列スーパーで細々とレジ打ちをしている。

親なし学なし彼氏なし。ないない尽くしの彼女にあるのはオリエンタルな血を感じさせる整った見目だけ。二十一歳の実年齢を感じさせない幼げな面差し。あざとさすら感じる可愛い女性が、支給品のオレンジのエプロンを身に着け一生懸命に接客する様子はいつまでも初々しいアルバイトのようだった。


「入社して三年でしょう? いつまで新人のつもり?」
「おつりの計算あいませんでした?」
「仕事ができるのは最低限。プラスで何ができるのか考えるのが接客業でしょ」
「それで時給があがりますか?」
「……ああ、そう。ほんとうにお金が好きなのね」


足取り荒く去っていくお局のかわし方も慣れたもの。人懐っこそうな印象に反して必要以上に関わらずほどほどにこなす。同僚からの誘いも乗らず直帰が常のナマエは職場で浮いていた。


「水道料金は支払ったし、保険の話はおばあちゃんに任せているけど一応確認しなきゃ。ああ、なんでテレビが壊れるかなぁ」


ぶつぶつと算段を立てながら歩く。可愛らしいのは顔立ちだけで手足は長く出るところは出ている。通りすがった男が鼻先をくすぐる清楚なグリーンアップルに振り返るくらい。きっとちゃんと着飾れば恋人なんてすぐできるだろうに。そうしないのは余裕がないから。


「テレビ、100ダルクじゃ買えないよね……」


貧乏暇なし。祖母と二人で生活するには心許ないお給料。祖母はテレビがなくても大丈夫だと遠慮していたが、お昼の手芸番組を毎日楽しみにしていることは知っている。唯一の家族に遠慮されるのはナマエにとって耐えがたい事実であった。

ナマエと祖母に血の繋がりはない。六年前、十五歳で帰る場所を失くした女の子を何も聞かずに引き取ってくれたのが祖母のフライシュッツ夫人だった。戦争で息子夫婦と孫娘を亡くし夫にも先立たれた寂しい夫人が手を差し伸べてくれなければ今のナマエはいない。

東西に鉄のカーテンが引かれて十年も経っていない時分。明らかに異国の血を引くナマエは怪しい子供に違いなかった。国家保安局が訪ねてきた時点で突き出してしまえばよかったのに、祖母は。


『こんな年端もいかない子供まで疑うなんてどうかしている!』


ナマエは祖母のために生きようと思った。


「久しぶりにやるかぁ」


すぅぅ……、と。長い黒髪が空気に溶けた。

普通に歩いていた少女と見紛う女性は目立っていたはずなのに、今や彼女を気に留める人間はいない。石畳を叩くブーツの音も清楚なグリーンアップルの香りも立ち消える。1あった存在を徐々に希釈しゼロに近づけていく綱渡り。そうして完全に誰からの視線も受け付けなくなったところでナマエは飛ぶ。カフェテリアのパラソルを、電話ボックスを、街頭の上を、踊り場の手すりを、アパートメントの屋根を。飛んで、すり抜け、掴んで、蹴って、飛んだ。

重力なぞ無視した空中走行を繰り返し、お目当てのバーの壁をすり抜ける。閑古鳥が鳴く店内のカウンターにはバーテンダーの姿はいない。いるのは何度か仕事をしたことがある顧客たち。希釈をほんのりと緩め、1mの間合いでさえずる。


「お困りですか、ミスター」
「ッ! あ、相変わらず心臓に悪い。どこから嗅ぎ付けてきた」
「何も。ここにいるのは私を待っていたのでしょう?」
「ふん。仕事だ」


外務大臣のプライベート写真。ネガも含めて、包み隠さず本性を暴けと。


「お前が来ないから他に任せたが……あの無能、西国のハエにまんまと横取りされおって」
「報酬は」
「ほらよ」


アタッシュケースの中身はザッと一万ダルク。テレビを買ってもおつりが出る。


「承りまして。それでは前金の、」
「……うちの専属になる話は考えたか?」
「お断りしたはずでは」
「さあ、聞こえなかったな」


こちらに向けられる銃口。あちらから姿は見えていないはずだが、声の聞こえる方向はさすがに分かるだろう。


「答えは“もちろん”だ」
「いいえミスター。答えは“さようなら”」


パシュッ、パシュッ、パシュッ。

サイレンサー付きのピストルが三発。ちょうど心臓と肺のあたりを捉え、──通り抜けた。

コツン、カツン。さらに一段階、わざと希釈を緩めたことで足音が響き渡る。近づくブーツの音に顔色を変えた男が部下に命じて突撃させる。二人の大男が飛びついたところであえなく床に転がり頭を打つだけだった。

パシュッ、パシュッ、パシュッ!


「なっ、ば、馬鹿な!」
「交渉決裂ですねミスター。とりあえず前金の5000ダルクはいただきましょう」
「何故だ、この銃弾は銀製だぞ!?」
「……なぁにそれ」


全弾吐き出したピストルをだらりと下げ、男は床にしりもちをついた。

見えないなにか。声だけはする女。それでも物を持つことができるのだから実態はある。当たるならどうということはない。だからこそ大枚はたいてわざわざ銀の弾丸を作らせたのに。


「吸血鬼も、人狼も、銀の弾丸で殺せるものだろうッ!?」
「意外と児童書もお読みになるんですね。夢見がちでキモイ」


手が伸ばされていると気づいたのは、きっと、スーツの胸元に指がかかった瞬間だろう。服を通過し、皮膚を通過し、骨を通過し、心臓は通過しなかった。

文字通り、心臓を握っているのは女。



「お金を置いてさっさと消えて」



暗号名〈人狼〉

女は人外であった。

異世界にごく少数存在する『不可視の人狼』。彼女たちの能力は自身の存在を極限まで薄め、極小単位で世界の因果律を塗り替える。

ナマエは異界と現世が交わる地ヘルサレムズ・ロットに存在する人狼局特殊諜報部に十四歳で見習いとして所属していた。なにしろ人狼自体がレアな上にヘルサレムズ・ロットは世界の均衡を保つ最前線。人手があるに越したことはないと年若い身で諜報員の真似事に勤しんでいた。

同類は皆妹のように彼女を可愛がってくれたが、仕事となるとどうにも雑な扱いを受ける。何せあそこはキャリアウーマンの個人主義が多い。見て盗め、感覚でなんとかしろが基本の現場で、十四歳の少女は十五歳のセミプロへと成長した。

そうして仕事でミスをした。

異界とは違う。さりとて現世とは年代も地図も違う世界に放り出されて困惑しない人間はいない。身一つでヘルサレムズ・ロット入りしたとはいえ未成年向けの寮で衣食住は確保されていた彼女である。見知らぬ土地で一から生活基盤を作る方法なんぞ知らない。

すわ物取りか不法侵入かと追い詰められたところで声をかけてくれたのがフライシュッツ夫人であった。


「ずいぶん遅かったねぇ。仕事で何かあったのかい?」


帰宅したナマエを迎えたのは湯気立つ玉ねぎケーキ。祖母の得意メニューだ。テーブルに並べられた手料理の数々はあの日と変わらず輝いて見える。


「仕事終わりにバイトしてきたの。大変だけど実入りが良くてさ。テレビ新しいの買えそうだよ」
「ちょっと。テレビはしばらく見ないよ。そんなお金があるならもっと他に、」
「おばあちゃんの楽しみは取りたくないよ」
「あなたが取ったわけじゃないでしょう?」
「私がおばあちゃんにプレゼントしたいのー」


シミとシワが目立つ手がさっくりケーキを切り分ける。ケーキとは言うが甘さはない。キッシュのようにボリューミーで玉ねぎの旨味が効いた優しい味。

こんな美味しい料理を作れる人が悪い人なわけがない。という主張を受け入れるほど国家保安局は甘くなかった。

度重なる尋問。老齢の夫人だからと本拠地に引っ立てられることはなかったけれど、家具を壊され国家反逆罪の証拠を捜されたことは数知れず。鬱憤晴らしもきっと兼ねられていたそれらを、ナマエは大人しく睨むしかなかった。ここで飛び出しては余計に立場が悪くなると。

そんな諦めは突然に終わった。彼らはナマエが西国の人間ではないと証明できるまで諦めることはない。それまで祖母は精神的に追い詰められ家をめちゃくちゃにされ続ける。心底思い知って、我慢の限界が来た。

ナマエは市役所に忍び込んだ。戸籍を偽造するためだった。

なんの伝手も技術もなく見様見真似でナマエという子供を作ってやろうと。忍び込んだそこで偶然鉢合わせたのは何者だったのか。素性も何も知らない相手だったが、話を聞いてくれた彼はナマエの戸籍を偽造してくれた。極東をルーツに持つ東国民の戸籍が“突然”出てきたことで国家保安局はあっさりと手を引いた。そこから正式にフライシュッツ夫人との養子縁組が済み、ナマエ・フライシュッツは今日に至る。

彼は去り際に一つの道を示した。

とっさに名乗った種族名の〈人狼〉を暗号名とし、フリーのスパイとして影に日向に暗躍するコネクション。六年前から現在までお金に困ったときの当てとして不定期的に続くバイト。存在を希釈し世界からの干渉を退ける人狼だからこそ命の危機は訪れない。不可視の人狼に銀の弾丸は当たらないのだから。

それでも、ずっと、この世界に来る前のミスが胸の内に残っていた。


『馬鹿っ! あんたにソレは早すぎる!』


一番懐いていた。本当の姉のように思っていた。だから、お姉ちゃんのようになりたかった。


『ナマエ!』


「ナマエ? 聞いているのかい?」
「なに、おばあちゃん」
「まったく、困った子だね」


祖母の心配する顔は堪える。苦笑いして食べる玉ねぎケーキもまた美味しかった。




祖母の言葉をちゃんと聞いておけば良かったと思ったのは、それから一月後の話である。



「あの、ハンカチ使いますか?」
「えっと、お借りします。ごめんなさい」


初対面の女性に泣き、初対面の男性に慰めれらている。こんな事態に陥ったのはそもそもが祖母の心配から始まった。

祖母ばかりに給料を使い、洒落っ気ひとつない孫娘にかなり思うところがあったのだろう。市役所で保険の話ついでに愚痴ってしまった相手の事務員が『実は……』と切り出したのが彼女の弟のこと。最近結婚し弟との距離が開いてしまったことが彼女としては気がかりだったのだろう。何より結婚で幸せを得た彼女は、弟にもその幸せを享受できたら……と考えたらしい。お互いの利害が一致した結果、ナマエは見も知らない男性とのデートのためにワンピースを新調するハメになった。

祖母の願いだ。確かに依存している自覚があった彼女は大人しくおめかしをして街に繰り出した。ところがナマエは目立った。人狼の特性か、彼女たちの多くが美しい見目をしているため、着飾ったナマエが目立つのも道理であるわけで。四度目のナンパをかわした瞬間、彼女はズルをすることにした。不自然でない程度に気配を消して人の波を渡り歩いたのだ。

驚くほどすんなり着いた待ち合わせ場所。そこに立つ雰囲気の似た男女にそっと近付く。気配を消したまま、背後から。うっかりしていたと言えばそれまでだったが、別段問題になるとは思わなかった。

きれいな人だとは思っていた。黒髪がさらさらで、ちょっとだけ今は会えないお姉ちゃんに似ている気がした。けれどそれだけだ。お姉ちゃんはクールでサバサバしたかっこいい女性だ。今目の前にいるのはふんわり柔らかい雰囲気の美女。まったく違う、別人だと。直前まで。


『何者ですか。急に背後に立たないでください』


鋭い視線。底冷えする声音。ただ構えられただけの手が凶器に見える。

久しく感じていなかった何か。靡いた黒髪が正解を教えてくれた。


『お、ねえちゃ』
『え』
『あ?』
『おねえちゃん、おねえちゃ、うわあああん!』


涙腺が決壊した。


「わたし、おねえちゃん、家族みたいなひとで、も、二度と会えないおねえちゃんが、似てたんです。あんまり似てないけど、なんだか、っぽくて。突然ごめんなさい」
「まあ、そうだったんですね。おつらいことを聞いてしまってすいません」
「いえ、こちらこそ急に、すいませんでした」
「とりあえず泣き止んで良かったです。ね? 姉さん」
「ええ、私てっきり怖がらせてしまったとばかり」
「姉さんが謝ることなんて一ミリもないよ!」


祖母が懇意にしている市役所のヨル・フォージャーとその弟で外交官のユーリ・ブライア。どちらも身元がしっかりしている公務員。戸籍を偽造している身分では並ぶのに躊躇する姉弟だ。

借りたハンカチで目を抑えながら恥ずかしくて顔も上げられない。


「今日のデートはやめておいた方がいいでしょうか」
「え!」
「そうだね、フライシュッツさんも大変そうだし」
「こ、困ります!」
「はい?」


とっさに声を荒らげてしまい、ヨルとユーリが同じ表情をした。


「あ、いえ、その、ユーリさんとお話できるのを楽しみにしていたので、えと、よければ今日、このまま続けてほしい、です」


本当はこれっきりで終わってしまっては祖母にがっかりされることを恐れて、だ。

なによりわざわざ休日に予定を開けたのにまた時間を割くのが面倒というのもあったから。せめて収穫の一つや二つを携えて帰りたかった。

へたくそすぎるアプローチでも人が好いヨルには十分だったらしい。簡単に「あとは若いお二人で〜」となった。

さて、残された二人と言えば気まずい。引き留めた方も引き留められた方も、身内たっての希望でこの場にやって来た同類だ。二人ともなんとなく空気で察していたため、むしろスムーズに近くのカフェに足を向けた。


「おばあちゃんは、その、自分が死んだ後に私が一人になることが不安なんです。それで、私より私の恋人づくりに必死になっていて」
「ああ、なるほど」
「ユーリさんは?」
「ボクは姉さんが幸せならそれでいいんだ。いつの間にか子持ちバツイチと結婚してたのがまだ信じられなくて……姉さんがちゃんと幸せなのか見極めないことには、自分のことは二の次かな」
「そう、ですか」


二人同時にコーヒーを口に含んで、頭の中でも似たようなことが廻った。

お互い恋人を作る気はないが身内を安心させることはやぶさかではない。こういうことがまたないとも限らない。ならば、


「「あの」」
「あ、どうぞ」
「いえ、ユーリさんの方こそ」
「では。──ボクたち、仲良くなれそうじゃありません?」
「です、ね」


ナマエは身元がしっかりした恋人を得られ、ユーリは市役所の利用者から姉の好感を保てるメリットがある。

カップをソーサーに置く。お互いが利き手を差し出しどちらともなく握りしめる。


「よろしくお願いします、ユーリさん」
「ユーリでいいですよ。あなたの方が年上なんだから。ボクもナマエさんと呼びます」
「はい、じゃあ、ユーリ」
「よろしくナマエさん」


微笑みあう可愛らしい男女。その実、初々しさは微塵もない乾いた契約関係でしかなかった。────この時は。




***




ユーリ・ブライアはナマエ・フライシュッツのことを姉に紹介される前から知っていた。

資料室で住民票の写しがファイルからピラッと滑り落ちてきただけの、ほんの少しのニアミス程度の話だ。なんだろうと中身を流し見、思わず眉根が寄った。

事務方のミスで戸籍が紛失された孤児のナマエ。善意で匿ったフライシュッツ夫人。たったそれだけの関係が当時の秘密警察にはよほど重大な案件だったらしい。執拗なほどに繰り返される“面談”。西国からのスパイの流入が発覚して間もない混乱期の話だ。手柄を取ろうと我さきに躍起になっていたのだろう。それにしても老婦人を相手にする内容ではない。これが姉相手にされていたなら、ユーリはここにはいなかっただろう。

平和のため。治安維持のため。姉のため。汚いことはいくらでもできるユーリとて、か弱い少女や老人に対する不必要な暴力は避けたい。

痛ましい気持ちを少々。元のファイルに挟めて戻そうとしたところで、ふと疑問が沸く。──なぜ、こんな一市民の書類がここに保管されているのだろう、と。

そのファイルは西国から流入したスパイの痕跡をまとめた報告書だった。

過去に存在したとされるスパイ。暗号名〈白虹〉。現在暗躍する〈黄昏〉より以前の凄腕エージェントは死亡したとされている。その彼とこの少女。何の関係があるというのか。首をひねりつつどうにも気になったユーリは自然とそのオリエンタルビューティーを目に焼き付けた。

その彼女は思いもよらない形でユーリの平和に差し込まれた。


「デートというのはこういうことであってる?」
「あってるよ。こうして一緒にいればたいていデートです」
「ユーリは慣れているんですね」
「まあ、ボクは姉さんとたくさんデートしてきましたし?」
「あ、そっち」


初対面で大泣きした女の子は、ユーリの一つ上だと思えないほど幼かったが、実際に付き合ってみればかなり気安くサバサバしている。服装だってシンプルであまり色を着ない。それでも元の美しさが際立って周囲の男がちらちらと視線を寄こしてくる。自分が手伝わなくとも簡単に恋人役を探せたのでは、と思わなくもない。


「本当の恋人はいいんです。私はおばあちゃん第一なので、恋愛とかちょっと」
「わかる。姉さんを差し置いてほかの女を優先しろとか意味不明無理」
「どうして家族より他人を大事にしないといけないんでしょうね」


すっっっっっっっごいわかる。

はじめは姉からの頼みを断れなかったことと姉の評価を上げたかったことと姉の心配を払拭したかったこととあとちょっとの不信感。それがこうも気が合うとは思わず、警戒心がゆるゆるのガタガタになっていくことを自覚していた。

いかんいかん。この女は西国との繋がりがあるかもしれない。かもしれない。たぶんないけど。かもしれない、だけれど。でも、しかし。もしもなにもなかったとしたら。ただの善良な一市民だとしたら。


『十五歳以前の記憶が曖昧なんです。おねえちゃん、みたいな人がいた気がする、程度で』


記憶を失くすくらい保安局にトラウマがあるに違いない。

姉以外のことでこうも親身になった記憶がないほど、ユーリはちょっと、ほんのミジンコ程度に、ナマエに嘘をついている罪悪感に襲われた。


「ナマエさん、もしもボクが、」
「うん?」
「ボクが、けっ、」


なんで今、結婚が出た?

本当に、唐突すぎるほど、それこそ姉が一年前に結婚してた衝撃と同じくらい突然に沸いた謎の結婚。秘密警察で鍛えた平手がユーリ自身の顔面にさく裂した。


「けっ、傑作映画を見に行こうと言ったら行きますか!?」
「映画かー。これからおばあちゃんと夕飯なんですよね」
「なるほど! じゃあ今度にしましょう! ボクも姉さんの顔を見に行きたいし!」
「ん? え、はい」


姉の手料理を食べた時並みに前後不覚になりながら、ユーリはどうやって別れたのか覚えていない。

ふらふらした足取りと熱っぽい顔を風にあたって紛らわせ、数分で秘密警察の顔に戻る。緊急の呼び出しか、視界の端に見覚えのある顔がいたから。外交官の顔で建物に入り、待ち構えていた先輩が小声で本題を口にした。


「裏が取れた。狼を生け捕りにするぞ」
「やっぱり、ですか」


ここ数年、東国で暗躍するスパイ。痕跡を一切残さず口の軽い依頼人のみが白昼夢の内容を話すようにこぼす幻。暗号名〈人狼〉。存在自体が不確かで殺しは決してしない。時には西国に組みし、時には東国へ利をもたらす。完全に金目当てのフリーの諜報員だが、恐ろしいのはどこにでも入れること。誰にも気付かれずに逃げること。気付くのは必ず情報がリークされた後。


「イーデン校の懇親会に紛れ込んでいたようです。我々の警戒網の内側に」


実在が確認された。本物だった。あの警戒態勢の中を誰にも悟られずにゆうゆう入り込んだのだろう。

まるで透明人間だ。


「存在が確認された以上、西の諜報機関も狼を取り込もうと躍起になる。必ず我々が先に見つけ出し、情報を洗いざらい吐かせてからこちら側に取り込んでやる」



狼につける首輪は何色がいいかな。




***




「こんにちは、あるいはこんばんは〈黄昏〉くん。きみにはオペレーション〈梟〉と並行して新なミッションを課そう。殉職したエージェント〈白虹〉の置き土産だ。野生に放たれた〈人狼〉を東西の、ひいては世界平和のために捕まえておくれ。期待しているよ」




***




『まだアンタは符牒を決めてないでしょ!』


決めていた。決めていたんだ。人狼局のみんなの、チェインのもとに帰る。それが私がこの世に戻らなければいけない理由。しっかり打ち込まれた楔。そう、思っていた。

でも、私にとってみんなのもとに帰ることは純度100%の心残りじゃなかったみたい。

存在を希釈した。希釈しすぎた。私は世界から消えた。死ぬよりも悲しいことになって、気が付いたら知らない異世界にいた。

おばあちゃんは私が何をしているのか知らないけれど、なにか危ないことをしているのは察しているみたい。バイト終わりはいつも玉ねぎケーキが焼きたてあつあつだった。──この世界での私の楔。きっと純度100%だと信じている。



「おばあちゃんがいなくなったら生きていけないよ」



この楔がなくなったら、今度こそ私はいなかったことになるんだから。






フライシュッツ→魔弾の射手(デア・フライシュッツ)。直近でスパイファミリー読んで血界戦線を読み返した結果でした。姉で理性が無くなるユーリくん可愛いですね。

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