嘘つきリリーは地獄に堕ちた



希望を願い、呪いを受け止め、戦い続ける者たちがいる。それが魔法少女。奇跡を掴んだ代償として、戦いの運命を科された魂。その末路は、消滅による救済。この世界から消え去ることで、絶望の因果から解脱する。いつか訪れる終末の日を、円環の理の導きを待ちながら、私たちは戦い続ける。悲しみと憎しみばかりを繰り返す、この救いようのない世界で、あの、懐かしい笑顔と、再び巡り会うことを夢見て。



***



もしもこの空の上に神がいて、地上に住まう人間を見降ろしているというなら、私は神を一生恨むだろう。


新品特有の糊の利いた匂いを身に纏って、今日卸したてのニーソックスの境目を精一杯上に伸ばす。私が何度タイツがいいと言ってもあの男は許してくれなかったから、出来るだけ肌が見えないように隠したかったけど、どうしても膝小僧の少し上で止まってしまう。それが負けたみたいでなんだか悔しい。

大聖堂の座席の一つで、人知れず布と格闘している間にも時間は迫ってくる。


「新入生代表、暁美名前」
「はい」


壇上へと続く階段を登る間も、壇上で挨拶のお辞儀をする時も、足元が気になって仕方なかった。それもこれも、こんな状況を作り出したあの男のせいだと思うと余計に腹立たしいのだけれど。


「−−−−以上を新入生代表の言葉とします。新入生代表、暁美名前」


人の笑顔も歓声も、向けられることにはことさら慣れない。だから学校なんて来たくなかったのよ。もう一度ゆっくりとお辞儀をして、もといた席に足を向ける。その間にも集中し続ける視線が気持ち悪くて眉が歪んだ。

私は今日、正十字学園に入学する。

そして正式に、あの悪魔の駒になった。


悪魔と呼ばれる存在がいる。

世界中のあちこちに蔓延し、一般人には視認することすらできないもの。そんなものが当たり前のように存在する狂った世界。

正直、そんなことはどうでもいい。問題なのは、この世界が私がいたあの世界ではないということ。あの子が自分の身をもって守ったあの世界。悲しみと憎しみを繰り返す、救いようのない世界。それはあちらもこちらも変わらないのだろうけれど、それでもあの世界にはあの子がいる。

目に見えなくても、手が届かなくても、話すことができなくても。遠いどこかであの温かいぬくもりが見守っている。大切な私の友達。鹿目まどか。まどか。


「まどか……」
「暁美さん? 自己紹介、暁美さんの番ですよ」
「、はい」


まどか、私は、


「暁美名前です」


あなたの元へ還ることすらできないの。



***



「奥村燐だ。よろしくな」


馬鹿正直な挨拶。入口でわざわざ名乗りあげるなんて、良くも悪くも律儀な人ね。

ずかずかと柄の悪い風体で入ってきた彼は、私の二つ前の席に座った。だらしなくはみ出たシャツや、青みがかった黒髪。その隙間から覗く耳が、よく見ると尖っている。あの男を彷彿とさせる特徴ね。

自然に口がへの字になったところで、左手の中指が熱を持ち始めた。通路を挟んで隣りに座っている男子たちの死角になるように、掌の下でソウルジェムを具現化させる。濁りない紫色を放つ宝石が、より一層怪しげな美しさを帯びた。

それは、この教室に悪魔がいるということ。

すぐさま指輪に戻して顔をあげれば、苛立たしいほどに円らな瞳と目があった。奥村燐の隣りに忽然と姿を現した白い犬が、子憎たらしいウインクを私に飛ばして来たのだ。


「チッ」
「……っ!」


隣りで動揺したような気配を感じたけれど、そんなことは関係ない。既に前を向いて何やらコソコソしている奥村燐と犬を睨み付けた。馬鹿にするのもいい加減にしなさい。そんな思いを込めながら。

それから暫く。講師の奥村先生と奥村燐との一悶着が終わり、再び教室に足を踏み入れた瞬間、教室の白い犬の姿を見付けてそちらへ足を向けた。


「わふ」
「え、あ、オイ、お前ソイツ」
「奥村先生、少し体調が優れないので今日は早退します」
「あ、はい……じゃなくてその犬は、」
「知り合いの飼い犬です。どうやら一匹でここまで来てしまったようなので私から飼い主に返してきます」
「いや、だからよソイツはメフィ、」
「さようなら」


双子の追及を聞いてあげられるほど今は機嫌がよくない。

当たり前のように両腕に収まった犬の腹を一回強く抱き締めて私はすぐに鍵を使った。この男の屋敷に繋がる、妙にゴテゴテとした鍵を。


「アインス ツヴァイ ドライ☆」


ポン☆

間抜けな音と煙の中から間抜けな格好の男が現れる。ピエロのような格好だと評する人間が多いようだけど、私からすればピエロほど笑えないぶん質が悪い。


「制服がよくお似合いですね名前さん。高校生活一日目の感想はどんなものでしたかな?」
「足が落ち着かなくて仕方ないから黒タイツの着用許可をもらいたいわ」
「おやおやもったいない、こんなにも素晴らしい絶対領域をお持ちなのに」
「あなたが毎日そんなことを言うから嫌になったのよ、メフィスト・フェレス!」


この男に拾われたことが不運だったと諦めるしかないのかしら。

咄嗟に荒らげてしまった声を抑えて与えられた部屋へと歩いて行く。後ろから付いてくる存在には知らないフリをして。


「それにしても、初日から仮病で早退とは感心しませんな。ただでさえその容姿なのに、他にも悪目立ちする要素を作ってしまうのですか?」
「私は彼らと馴れ合う気はない。それだけのことよ」
「孤高のクール系美少女キャラですか。それはそれは、いつクーデレに進化してくれるのか楽しみですね☆」
「黙りなさい」


変態。本当に、この男に頼るしかない今の現状と自分の無力さが憎い。この状況を作り出したのが神という存在ならば、私は一生許しはしないわ。

無駄に広大な屋敷を歩く。後ろから着いてきてはペラペラとなにやら喋りかけてくる男は無視して。歩く。歩く。歩く。


「今日も、収穫はありませんでしたよ」
「…………そう」


ピタリ、と。私の部屋の前に着いた途端言われた台詞を瞬時に理解して、扉の中に身を滑らせた。

扉が閉まったのを確認してからソウルジェムを具現化する。ぼんやりとした輝きを纏ったそれが、みるみる内に元の眩い光を放ち始めたのを感じて、私は深く安堵の息を吐き出すのだ。


「生きている」


この体は死んでいるけれど。私はもう人間ではないけれど。

魍魎一匹もいない殺風景な部屋のベッドに倒れこんで、カチューシャ代わりの赤いリボンを引き抜く。優しく、ゆっくり、壊れ物を扱うように。闇を彷彿とさせる黒髪の上を滑っていく感覚は、まるであの子が私の髪を梳いてくれているようで、思わず涙が溢れ出しそうだった。


「まどか、まどか、まどか」


魔女も魔獣もいない世界。

もちろんグリーフシードもない。悪魔が存在しない無菌状態の聖域でしかソウルジェムを浄化できないこんな世界で、私はあなたのいる世界に帰るために足掻いている。それがどんなに絶望的なことか、分からないはずがないのに。あなたがいないこの世界で、あなたの元に還ることなく魔女になってしまう恐怖を抱えて生きていく。


あなたにもう一度会うために、悪魔の手先に成り下がった私を、あなたはどう思うかしら。



電気もつけていない真っ暗な部屋。その宝石は濁ったり光ったりを繰り返しながら、一晩中私を照らし続けた。

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