二クロム酸カリウム



市松こひなは帰り道、ふと前を歩く人間に目を留めた。上から下まで紺の制服に身を固める今時にしてはきっちりとした身なりの女子高生。別に変わったところはどこにも見受けられないが、よくよく見るとその口元だけ僅かながら動いている。何を喋っているのだろう。人形であり、電波であり、ぼっちではあるが、人並みの好奇心を持ち合わせている市松は軽快な足取りで女子高生の足元まで近づいていった。


「二クロム酸……二クロム酸銅? 二クロム酸、二クロム酸ナトリウム? 絶対違うわ、教科書にあった覚えないし……二クロム酸……二クロム酸……」
「ニクロムさん??」
「!!?」


なにやらお勉強をしていたようで、ハッとした顔で女子高生は手元の単語帳から目を離し、足元の市松に目を向けた。そして四角い瞳と瞳がかち合う。ジーと感情のない目を女子高生に向ける市松と、感情ありまくりのパッチリお目目の女子高生が見つめ合う。観察し合う。身構える。先に動いたのは女子高生の方で、市松は微動だにせずその様子を観察し続けた。


「やーんかわいー! お持ち帰りするぅ!!」
「へぷ」


プラーンプラーンと足を宙に彷徨わせる市松とさっきの独り言をほっぽって可愛いを連呼する女子高生。彼女はその日からニクロムさんと呼ばれるようになり、市松家に頻繁に姿を現すことになるのだ。



「こーひーなーちゃーんー! 今日は生麺風味なことが売りな例のカップメン調達してきたわよー!」
「なんと、鶏がらスープにさらなる磨きをかけたという、例のかぷめんですか。ささ、中にどうぞニクロムさん」
「お邪魔しまーす」


膝丈のプリーツスカートと同じ色のブレザー。古き良き赤いリボンタイで第一ボタンまで締めた、真面目そうな彼女は右手のビニール袋を掲げながら市松の家に訪れた。


「お湯の準備をしなくっちゃあね!」
「既に準備済みです。ニクロムさんがこの時間にいらっしゃるのを市松は知っていましたから」
「やーん嬉しい! さすがこひなちゃん! うちの子になる日も近いわね!」
「市松は人形なのでどこの家の子にもなりません」


蓋を剥がして粉末スープを並んで入れる二人はさながら仲の良い姉妹のようである。お湯を淹れて三分経つまで、黙ってカップメンを凝視するところまでそっくり。けれど決して、二人は姉妹でもないし、友達ともどこか違う。だって市松は人形であるし、彼女は友達よりも深い仲になりたがっている。共通点として、二人共カップメン愛好家なことから、仮称同志としておくとしよう。

ニクロムさんは女子高生。近所の公立高校に通っている、服装から何から真面目そうな、けれどよくよく見ればお色気だだ漏れな容姿をしているお年頃JKである。得意科目は理系。化学の勉強に熱心で、将来の夢は化粧品会社に勤めること。志望大学もきっちりリサーチ済み。教師からの人望もある優等生だ。けれど彼女は、決して、普通の女子高生ではなかった。


「ただいまー。こひな? 帰っているのか?」
「いけませんコックリさんが帰ってきてしまいました」
「コックリさん?」
「こひな? またカップメンなんて食って……なんでこんなモンがいんだよ」


買い物から帰ってきたコックリさんが、瞬時に買い物袋から長ネギを取り出して臨戦態勢を取る。対してニクロムさんは今しがた食べ終えたカップメンの割り箸を構え、ゆるりと妖艶な笑みを浮かべていた。


「まさかこひなちゃんが狐憑きだったなんて、そんな気配はしなかったけど」
「そりゃあな。俺はどこぞの狗神と違ってこひなとはクリーンな関係なんで」
「狗神も憑いてるの。どおりでクセのある匂いがすると思ったわ」
「で、お前は何者だ」
「あら、狐如きでは私の正体は見破れないのかしら。こんなに分かりやすくしてあげているのに」


ピリリとした空気が一瞬で張り詰め、均衡が崩れる。コックリさんが速攻で間合いを詰め、ニクロムさんの首元に獲物を突きつけたのだ。けれどニクロムさんも負けていない。もうすぐで首に当たりそうになったネギの切っ先を割り箸で弾き返し、逆にコックリさんの懐に入る。市松が瞬きをする僅かの間にコックリさんの首元には割り箸の切っ先が押し当てられていた。長ネギと割り箸の白熱した試合はニクロムさんの勝利で幕引きとなったらしい。

ぐぬぬと歯噛みするコックリさんと、女子高生とは思えない色気で唇を舐めるニクロムさん。そこで遅れてやっと事の次第を理解した市松は、恐らく普通じゃない女子高生に率直に尋ねた。


「ニクロムさんは妖怪だったのですか?」
「ごめんなさいこひなちゃん。隠すつもりも騙すつもりも微塵もなかったのよ……とは言い切れないけれど」
「おい最後のところ小声で言っても聞こえてるぞ」
「あら、ごめんあそばせ」


コックリさんの鳩尾に500のダメージ! コックリさんは瀕死だ!

ニクロムさんは倒れ伏すコックリさんの頭、特に耳を狙ってハイソックスの足でグリグリ踏みつける。きっちりかっちり制服を着た女子高生に踏まれて這いつくばるケモ耳の男。場所が場所ならそういうプレイにも見えなくもない。現に扉の隙間から動向を見守っていた狗神さんがよからぬ妄想を掻き立てている。コックリさんに嫌がらせをして返り討ちにあい、ペースト状にされてしまった故に市松のそばにいなかったのだ。


「それで、ニクロムさんは何の妖怪なのですか?」
「こひなちゃんには教えてあげるわね、私は姑獲鳥っていう綺麗で可愛い素敵な妖怪さんなのよぉ」
「姑獲鳥!?」
「こかくちょう? コックリさんはご存知なのですか」
「ああ、こひな、今すぐこいつから離れぶべら」
「うるさいわよ野干の分際で」
「違う! 俺はあんな野良じゃない!!」
「こひなちゃんに取り憑く前は野良だったんでしょう?」
「うがあああ耳が! 耳が別の意味でも痛い! 早く足をどけろ姑獲鳥!」


渋々と退けた足の下からゴキブリのようにカサカサ這い出たコックリさんは、光の速さで市松の元まで行くと、その小さな肩を掴んで懇懇と説き伏せた。


「いいかこひな。姑獲鳥は人間の女の子を攫って自分の子供にする恐ろしい妖怪なんだ。連れて行かれたら最後、お前も妖怪にされちまう。あいつは全然綺麗で可愛い素敵な妖怪じゃないんだぞ」
「でもニクロムさんは綺麗なお姉さんです。かぷめんもくれますし」
「頼むからこいつにだけはカップメンに釣られないでくれ後生だから!」
「あらあら、私がカップメンでこひなちゃんを誘惑しているとでも?」
「違うっていうのかよ」
「いいえ、あわよくば本当の親子になって我が家で美味しいカップメンを啜りたいわ」
「反論しろよ認めんなよォ!!」

「許しません、こひなちゃまを連れて行くなんてこの狗神が許しませんよ!」


と、そこでとうとう扉の隙間から動物verの狗神さんが市松とニクロムさんの間に立ちふさがる。見た目だけならそこらのマスコットに引けを取らない愛らしさだが、中身の凶暴さはコックリさんがよく知っている。この時ばかりはコックリさんは狗神さんの応援をすることにした。


「ああ、そういえば狗神憑きでもあったのね」
「わたくしはこひなちゃまの忠実なる下僕! こひなちゃまを姑獲鳥になんてさせませんよ!」
「あら、でもこひなちゃんを妖怪にしたほうがあなたにとって都合がいいんじゃないかしら?」
「なんですと?」
「だって狗神にとって人間の寿命なんてたかが知れてるじゃない? こひなちゃんが妖怪になれば、それこそ永遠にあなたと一緒よ?」
「こひなちゃまと……永遠に……」
「別に私はこひなちゃんと家族になれるならペット憑きでも構わないわよ? むしろ娘のお婿さんをこんなに早く見れるなんて嬉しいわあ」
「永遠……婿……永久に……共に……」
「い、狗神ィィイ!!! 騙されるんじゃない!!!! こひなが妖怪になったら狗神憑きじゃなくなるんだぞ!!!! お前との絆がリセットされるんだぞ!!!!」


しばらく俯いていた狗神さんは、唐突に人間verに姿を変え、恭しくニクロムさんの手を取り口付けた。


「お義母様、至らぬわたくしですが、今後とも末永く息子としてよろしくお願いします」


狗神さんはちょろかった。

その後、市松の『妖怪になるのはちょっと……』という発言と、ニクロムさんの経済的理由から二人が親子になることは保留になった。けれど彼女はもちろん諦めていない。養育費ができたら必ず迎えに来ると遊びに来る毎に宣言し、狗神さんは全力で擁護、コックリさんの胃痛の原因を増やす結果になったのだった。



書いている途中で飽きた面白くないギャグ。狗神さんにお義母様と言わせたかっただけ。ニクロムさんは妖怪ですが、これからは手に職つけないとやってらんないとの考えから人間に化けて高校に通っている立派な姑獲鳥です。でも行動理念が子育てだから褒められたことじゃない。大学出て就職するまでにこひなが成人しちゃいそうなのでこの後バイトを始めて養育費を稼ぎだします。見た目お色気お姉さんbut処女こじらせてる。コックリさんは彼女が来たら信楽を呼ぶ戦法をしばらくして覚えると思う。

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